八千穂高原の星空 ― 2019年07月06日 22:08

わたしの創作のミューズ、つくばの友人は、ご主人がつくば大学の教授を退官された後
仙台に引っ越しました。ご主人は仙台、彼女は石巻の出身なのです。
東日本大震災の二年後のことでした。
森を望むマンションを訪れたとき、ご主人が、甥御さんの齋藤朱門さんの作品集
だといって、夢のような銀河の表紙の写真集を見せてくださいました。
"Dynamic Landscape Photographs" というタイトルの大判の本です。
どの写真も、あまりに素敵で、言葉が出ませんでした。
そして、この写真に出逢ったときには、息をするのも忘れました。
しんと静まりかえった雪の森。その上に輝く無数の星……。
ひと目で恋に落ちました。
サラファーンの銀の森のイメージが重なって、吸いこまれそうでした。
巻末には、八千穂高原の星空と説明がありました。
いつかサラファーンの星の公式サイトを作ったら、この写真を使えるといいなぁ。
そんな夢みたいなことを、そっと思いました。
数年後、本を書き上げて公式サイトを立ち上げるとき、その夢が叶って、
齋藤さんの写真を、公式サイトとプロモーション用のムービーに使わせていただくことに
なりました。
本当に幸運な出逢いでした。
齋藤朱門さんの素晴らしい写真の数々は、こちらでご覧になれます。
↓
サラファーンの星トレイラームービー ― 2019年07月07日 17:26
昨年、サラファーンの星公式サイトを作るにあたり、まず予告のMovieを作りました。
八千穂高原の星空をトップに、齋藤朱門さんの写真と詩で構成しました。
制作は知人を通して紹介してもらったHert1(ワン)の関山泰弘さん。
BGMは、シューベルトの即興曲作品90の第3番。
子どものころピアノを習っていたとき、作品90の他の曲は弾いたのですが
この第3番は弾かずじまい。
いつかまた習ったときに弾きたい憧れの曲です。
持っているCDはアルフレッド・ブレンデルの演奏で、少しゆっくり目で素敵なのですが
演奏から50年経っていませんので、著作権の関係で、パウル・バドゥラ=スコダが
1953年に演奏したものを使っています。
今夜は七夕。みなさまの夢が叶いますように☆
杏ジャムとはやぶさ2 ― 2019年07月12日 21:52

昨日、杏ジャムを作りました。
今年は怪我をしたこともあって、たくさん作るのは難しいかなと思って
杏は取り寄せはせず、青果店で買い求めました。
杏は、半分に切って(手でぱかっと割って)種を取り、鍋に入れて砂糖を振りかけ
ひと晩おいて火にかけ、20分ほど煮るだけでとっても簡単。
砂糖は控えめにして、果実の形がまだ残っているくらいのが好きです。
甘酸っぱくて、とっても美味しいのです。
リーヴやウィルナーが作ったカシェルには、こんジャムや生の杏を添えた
のではないかと思います。
ジャムを作っていたころ、遙か離れた宇宙空間では、はやぶさ2が、
重要なミッションのまっただ中でした。
りゅうぐうへの2度目のタッチダウンです。今回は、先日作ったクレーターへの着陸。
ドキドキしましたが、成功の知らせに、やった〜!と胸が躍りました。
そして、思いきり安堵しました。
杏ジャムつくりは、ほとんどリスクがないので、まず失敗しないけど、
全てを失うかもしれない、本当に難しい任務だったのですから。
プロジェクトマネージャーが記者会見で、100点満点だとしたら何点?と問われ
1000点とこたえていたのが印象的でした。
「太陽系の歴史のかけらを手に入れた」
本当にわくわくします。来年の終わりに、無事に地球に還ってくるのを
楽しみに待っています。
銀色狼〜輝くたてがみを持つ森の守護者 ― 2019年07月15日 17:41

薄い透けるような葉のあいだから、星明かりがこぼれる神秘的な森。
そんな夜の中を、銀色の狼が、ひとりの娘とともに歩いている姿が浮かんだのは
ずいぶん前のことです。
もともとは、まったく別の短編だったのですが、いつのまにか、わたしの中で、
ルシタナが、大きな狼をともなって、銀の森を歩いている姿と重なっていました。
そして、その姿も、はっきり見えるようになりました。
銀色狼……。そんな言葉が浮かびました。
けれども、どんないわれの狼かは、最初はよくわかりませんでした。
フィーンの旧世界が滅びるとき、フィーンと一緒にこの世界に渡ってきたのだと
ぼんやり感じましたが、なんといっても、強烈に伝わってきたのは、その姿。
フィーンと同じように、淡い光りを帯びたように輝いて、長い鬣が、月光のように
きらめきながら、風になびいています。
それから、一頭の銀色狼が、満月がのぼる雪の大地を、一心に駆ける姿が浮かびました。
また、眼下に森を見晴らす崖の上で、遠吠えをしている姿と、その声が聞こえました。
金色の瞳をのぞくと、そこには、銀河が渦を巻いて息づいていました。
サラファーンの星の、大切なエレメントだと感じました。
物語の中で、銀色狼は、フィーンの旧世界と、この世界の架け橋のような存在です。
前世で、フィーンに縁のある登場人物には、その遠吠えが聞こえたり、夢で姿を見たり
また、実際に、銀の森を訪れたときには、直接出逢ったりします。
公式サイトに「自然と暮らし」コーナーを作るにあたって、「生き物」のアイコンは
絶対に銀色狼にしようと決めていました。
デザイナーの畠山さんが、わたしのこのおおざっぱなスケッチを、いつものように
素敵なCGにしてくれました。
CGは額の白い星のないバージョンです。星があるのは、銀の森の一頭だけなのです。
犬好きで、犬の祖先だからか、狼にはとても心惹かれます。
旭山動物園を訪れたときも、森林狼に会えるのが一番楽しみでした。
リーヴが、銀色狼のふさふさしたたてがみのある大きな首を抱きしめるシーンは
描きながら、そのぬくもりや感触が伝わってくるようでした。
(『ユリディケ』を書いたときには、銀色狼の存在は知らなかったのですが、改稿の連載に
あたっては、絶対に外せないでしょう!と思って、冒頭から入れています。)
京都への祈り ― 2019年07月20日 21:16
一昨日、友人夫妻と数年ぶりで夕食をともにして、幸せな気持ちで帰ったあと、
京都アニメーションの放火事件で、大勢の死傷者が出ていると知りました。
とても信じられませんでした。あまりに理不尽で、むごい事件です……。
アニメには詳しくないのですが、実家の大垣市が舞台の映画『聲(こえ)の形』も、
京都アニメーションが手がけていたと知りました。
今日、20日から、市内のロケ地などをめぐるスタンプラリーが始まったそうです。
子どものころから、よく歩いた、なつかしい場所も多く出ています。
殺伐として、生きづらさを感じることも多々ある社会で、
夢と希望を与えるアニメーションの世界。
そんな仕事にコツコツと携わってきた人たちの命が一瞬の凶行で奪われてしまったなんて、
悲しくて、残念でなりません。
犠牲になった方々とご家族の方々に心からお悔やみ申し上げます。
そして、負傷された方々が一日も早く回復されますように。このような事件が、
二度と起こりませんように。
そのためにはどうしたらよいのか。日々考えていかなくてはと思っています。
南フランスの崖で銀の森を想う ― 2019年07月23日 14:59
30年前、『ユリディケ』の印税をはたいて、ヨーロッパを五週間旅しました。
こちらは、イギリスにいた友人を誘って南フランスを訪れたときのもの。
レ・ボーという断崖の村で、崖の端からは、眼下にオリーブの木立が見えました。
崖に座って宙に足をぶらぶらさせて、クロワッサンを食べているところです。
(クリック拡大すると、手に持っているクロワッサンがわかるでしょうか。
古い写真をスキャンしたので、わかりにくいかな…)
馬鹿ほど高いところが好き、といいますが、
落ちたらどうしよう、なんてことは、考えなかったんですね。
壮大な光景を眺めながら風に吹かれて、とても気持ちよかったです。
サラファーンの第Ⅰ部を書いたあとの旅だったので、ちょうど、ルシタナとリーヴが
銀の森を見晴らす崖の上で、並んで壮大な光景を見つめたのは、
こんな感じだったのかなと思ったものでした。
このレ・ボー。今でこそ日本でもよく知られていますが、当時はまったくで、
南仏への電車で近くの席にいた若者に、どこかおすすめありますか?と聞いて
教えてもらったのです。
デニムで有名なニムからガタガタとバスに揺られ、山道をぐんぐん上がったところで、
古城をいただく、名前の通り、本当に美しい村でした。
岐阜新聞映画部 ― 2019年07月25日 11:28
岐阜の実家では岐阜新聞を愛読しています。地方紙って、結構面白いのですが、
岐阜新聞で特に素晴らしいのが、映画部を立ち上げていることです。
地元の映画館とタッグを組んで企画をして、年間100本の映画を厳選上映し、
毎月、監督や俳優を呼んで、講演会をしています。
そんな新聞社って、ほかにあるでしょうか?
こちらの画像は映画部がネットで公開しているページで(クリック拡大して
チェックしてみてくださいね。ほんと、すごいんです!)、
紙面には、毎月一回、豪華見開きでバーンと登場! こちらも大変な迫力。
映画をこよなく愛するスタッフが、映画好きの魂を懸けて始めたと聞きました。
「映画を映画館で観ないなんてもったいない」がキャッチフレーズ。
わたしも大の映画好き。
その熱い想い、わかります!
なにしろ、生まれて初めての記憶が、映画館の中なのです。
(わたしは三歳。観た映画は、『101匹わんちゃん大行進』)
樹木希林さんの『あん』のときには、上映会と希林さんの講演があって、
抽選に当たって(やった〜!)行きました。
割烹着姿の希林さんのお話、本当に面白かったし、心に染みました。
この記事の『ニューヨーク公共図書館エクス・リブリス』のイベントも、とっても
行きたかったのですが、怪我の回復途上で3時間半はきついので、あきらめました。
すっかり治って、また観にいける日を楽しみにしています。
映画部の熱い想い&読み応えたっぷりの記事はこちらから。
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希林さんの思い出 ― 2019年07月27日 17:29
前回、岐阜新聞映画部の『あん』のイベントで樹木希林さんの講演会に行ったことを
書きました。
割烹着姿の希林さん、きらきらしたオーラがあって、それが会場を温かく包んでいました。
希林さんには、その30年以上前、一度お目にかかったことがあります。
広告代理店に勤め始めた一年目。
クリエイティブセンターという部署に配属され、ディレクターであった部長について、
あるCMの撮影に行ったときのことでした。
主演の希林さんの演技に関して、部長は何度もいろんなパターンを試します。
希林さんは、嫌な顔ひとつせずに何度も応じ、また、「こんなのどうかしら?」と、
自らいろんなアイデアを出されて、熱心に演じられました。
まさにプロフェッショナルなその姿に、とても感銘を受けました。
部長が「希林さん。うちの部の新入社員です」とわたしのことを紹介した際には、
二十そこそこの、使い走りのような娘に対して、
「Sさん(部長の名)にはいつもとてもお世話になっているの。どうぞよろしくね」と
こちらの目を見つめて、にこやかに会釈され、本当にびっくりしました。
あとで部長から、「希林さんは、あんなに有名なのに、いつも謙虚で、
本当に素敵な女性なんだ」といわれました。
あのときから、その姿勢は、きっと、ずっと変わらなかったのだと思います。
そのまっすぐな生き方の積み重ねが、岐阜のイベントでお会いしたときの、
全身から発せられていたオーラなのでしょう。
わたしもそんなふうに年を重ねたいと思いました。
訃報に接したときは、寂しかったけれど、亡くなってなお、多くの人に影響を
与えているのだと感じています。
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