双子のこと2019年09月17日 14:31

子どものとき、同じ学年に、3組の双子がいました。
女の子がふた組、男の子がひと組。
小学校と中学校の九年間、一緒だったので、どの双子とも、
少なくとも、片方とは同じクラスになりました。

みんな一卵性だったので、そっくりでしたが、
いつも一緒に遊んでいるわたしたち生徒は、
どちらがどちらかちゃんと区別がつきます。
声も、顔も、微妙に、でも、明らかに違うのです。
ところが、先生たちときたら、てんで見分けがつきません。
どうしてわからないんだかなぁって、みんなで不思議に思ったものです。

双子たちは、おもしろがってクラスを入れ替わったりしました。
(ふたりのロッテみたいですよね。)
でも、ただの一度もばれたことはありませんでした。

どの双子もきょうだい仲がよくて、話したり歌ったりすると
ハーモニーがきれいでした。
姿形はそっくりなのに、性格はそれぞれとても個性があって、
それが不思議で面白く、双子は、わたしにとって、
永遠に神秘的で、魅力的な存在となりました。

大学の卒論では、双子の女の子が主人公のファンタジーを書きました。
サラファーンの星にも、林檎園の双子(いたずらざかりの男の子)と、
葡萄亭という食堂兼宿屋の双子(子どものころは、やはり村一番の
いたずらっこだった十代後半の少年)を登場させました。
脇役で、葡萄亭の少年たちに至っては、話の中で語られるだけですが、
なぜかやっぱり双子の存在は、外せないのです。
どのキャラクターも、同級生とは、容姿も性格もまったく違うけれど
ありありと目に浮かんできて、つい書いてしまうのです。

高校に進学すると、同じ学年どころか、学校全体でも双子はいなくて、
以来、長いあいだ、まったく出会いませんでした。
そして数年前、双子の姉妹のお姉さんとお友だちになりました。
ひさしぶりの双子です。
二卵性なので、見かけは少し違いますが、とっても素敵な姉妹。
やっぱり双子と縁があったのかなと、なんだか嬉しく思っています。

れんげ畑とローレアの咲く丘2019年04月08日 20:40


れんげ草

岐阜県の大垣市で育ったわたしは、子どものころ田んぼの中の一軒家に住んでいました。
春になると、田んぼは一面のれんげ畑となり、濃いピンクの絨毯を敷きつめたようでした。
『ユリディケ』の冒頭、ローレアの花が丘を水色に染め、ユナがその中で寝転んで空を
見あげているシーンが浮かんだのは、子どものころのそんな原風景から来ているのだと
あとになって気がつきました。

れんげ草とローレアでは、色も形も違うし、ローレアの方は咲く季節も
早春から春の終わりまでと長いけれど
あたりがその色一色に染まり、そよ風が花を揺らし、蝶や蜜蜂が飛び交う
のどかで平和そのものの光景は同じです。

そうしたエピソードは『石と星の夜』のあとがきに書いたのですが、ちょうどいまが、
そのれんげ草の季節。
子どものころに比べて、れんげ畑は少なくなったけれど、春になって見かけると、
本当にうれしくなります。
実家で静養しているいま、ささやかですが、近くに咲いているところを見つけました。

『ユリディケ』から二千年の時をさかのぼり、前日譚を書くにあたっても、
ローレアの花は外せないエレメントでした。
どちらの物語でも、心のよりどころとなる存在ですが、
サラファーンの物語では、音楽も重要なエレメントであり、ローレアの花が
祖国を離れた者が故郷を思って歌う歌として登場するのは、ある意味で必然でした。

早春の丘を水色に染める
麗しのローレア……

歌が出てくるシーンでは、この歌詞を書きながら、いつしか自然とメロディが浮かび、
いつも歌いながら書いていました。
ごく単純な曲ですが、いずれ楽譜を紹介できたらと思っています。
(長調なのですが、なに調にするかをまだ決めていないのと、副旋律も入れたいのとで、
まだ譜面に起こしてないのです)。
また、環境保全活動に取り組んでいる友人(イラストもプロ並み!)に、
ローレアのイメージを伝えて描いてもらった作品が手もとにありますので、
こちらも紹介していきたいです。

初めての詩と小学校の文集2019年03月19日 21:02


絵里ちゃん手作りの文集の表紙

初めて詩(らしきもの)を書いたのは、小学校三年の時です。
詩や作文を書いて、友だちと交換して作品を集め、それぞれが文集を作ったのでした。
表紙もなにもかも手作り。
こちらの写真は、幼なじみの絵里ちゃんの表紙。紫の色使いが素敵です。
絵里ちゃんのパパはベレー帽姿もダンディな絵描きさんでした。きっとその血筋ですね。

記憶力がよくて物持ちもよい絵里ちゃんは、こうして小学校時代の文集も残っています。
わたしは、記憶力は悪いし、物持ちも悪く、文集も手もとにありません。
(10回ぐらい引っ越ししたので、そのせいもあるかな、と言い訳したりして。)

ただ、初めて詩を作って、すごくわくわくしたことだけは、鮮やかに覚えています。
「見たこと、感じたこと、何でもいいんだよ」
先生の言葉に、「もみじ」というタイトルで、庭のもみじのことを書きました。

庭には、
もみじの木が三本ある。
みんな、
赤色にそまった葉をつけている。
夏は、
青色をしていたのに。
まほう使いみたいに、
葉の色がかわった。
赤ちゃんの手の色が
かわっていくようだ……

初めての詩は、とってもつたないけど(葉は緑だよね?というツッコミ所も)
詩を好きになった原点、そして、創作の原点です。

絵里ちゃん、写真をありがとう。
今日はお誕生日だね。おめでとう! 素敵な一年になりますように!

雪の朝2018年12月29日 15:11



今朝目を覚ますと、一面の銀世界でした。

雪の降る日に生まれたからか、雪はとても好きです。(寒いのは苦手なんですけど。)
しんしんと降る雪を見ていると、時がたつのを忘れてしまいます。
夜の雪も好きです。暗い空から雪がはらはらと舞い落ちる雪を見ていると、自分という存在が消えて、世界とひとつになるような気がしてきます。
信州生まれの友人も、夜の雪を見つめているのが好きだといっていましたっけ……。

幼いころに住んでいた家は、東西と北側を田んぼに囲まれた一軒家で、縁側のある南側には空き地が広がっていました。
吹雪の日には、その広い土地が横殴りに降る雪で真っ白になり、恐ろしさと美しさと両方で、時を忘れて見入ってしまうのでした。

サラファーンの星には、全編、雪のシーンが登場しますが、冒頭、地吹雪が舞う大平原を、リーヴ一家が馬車でリーヴェインへ向かうシーンは、そんな思い出が重なっています。

雪の降る夜も好きですが、雪のやんだあと、庭一面の雪に月光が降りそそぎ、神秘的な紫色に染まるのもとても好きです。
第一部『星の羅針盤』では、リーヴとウィルナーが戦場の父に思いを馳せるシーンに、月光に輝く雪の庭を登場させました。

物語の中で、雪は、人の命を奪ってしまう悲しい宿命も帯びていますが、それ以上に、心をやさしく包むシーンや、少し切ないシーンにひんぱんに登場します。
サラファーンの星の中では、星やローレアの花などと並んで、大切な要素です。

たとえば、かつてフォーディルの村から姿を消した幼子トゥーリーに関して、雪がやさしい役割を果たす場面がいくつかあります。

彼が必ず自分のもとに戻ってくると信じている母、ヨハンデリ夫人が、降りしきる雪を見あげて、それがどこかにいる息子からの言伝のように感じるところや、彼女と同じようにトゥーリーが生きていると信じるリーヴが、降りしきる雪の中で、彼が母親のもとに戻るよう一心に祈りを捧げる場面などです。

そんなふうに、誰かが、小さなトゥーリーを思うシーンは、わたし自身、祈るような思いで描いていました。
やはり、ヨハンデリ夫人には、いつかトゥーリーを抱きしめてほしいと心から願いながら。

(写真は、今日と同じような雪の朝、亡き愛犬サリーと実家の庭で遊んだときのものです。雪の日には、よくこのときのことを思い出します。)

子どものころの空想遊び2018年12月29日 14:31

仙台の大学の図書館に勤めている友人、智ちゃんが、サラファーンの星の公式サイトを見て、感想を送ってくれました。

彼女は、物語の国や人物の設定、わたしのイラストを見て、子どものころ、自分でいろいろな訳や状況を設定して、夢中になって遊んだことを思い出したそうです。

「想像して物事を決めたりすることは本当に豊かで楽しいことですね。そういった経験が、大人になっても生かされていて、物語を創る作業につながっていくということなのかなぁ、という気がしてならなりませんでした」

そんな智ちゃんの言葉に、ずっと忘れていた子どものころの思い出がよみがえってきました。

そう。そういえば、わたしも、そんな子どもでした。
ぼうっと景色を見ていることがとても多かったけれど、心の中でろんな想像をして、ここはどこそれの国、と、違う国に住んで、その中でいろんな人たちが活躍するさまを思い描いて遊んでいたことも、たびたびあったのでした。
それが、いまも続いているということですね(*^_^*)

これまでは、物語を書き始めたのは中学1年のころだとばかり思っていて、そんな幼い日のことは覚えていなかったので、子ども時代の自分に会えた気がして、なつかしかったです。
智ちゃん、ありがとうございます☆