イギリスのお母さん〜Good night, my sweet English mother2024年12月06日 19:58

月曜日、大切な友だちが旅立ちました。
27年前の夏、サリー州のお家に11日間も滞在させてもらい、
My English mother と呼んで慕っていた女性です。

以前、つくばに住んでいた友人夫婦から、イギリス人の友だちが来るから
京都を一緒に案内してほしいと言われ、春に旅をしたのがお付き合いの始まりで
その後、わたしが渡英。
11日間もお世話になり、イギリスのお母さんと慕っていた女性です。

娘さんのペニーがわたしと同世代で、ウェールズからロンドン郊外のお家に
車で駆けつけ、3人でオックスフォードとシェイクスピアの街を旅したのも
大切な思い出です。
毎夏、お誕生日カードを送っていたのですが、今年は入院騒動で送れず、
お祝いメールを送りました。わたしの病気が治るようにと祈ってくれていたのに、
秋にペニーから連絡があり、転んで肋骨を折って入院したら、院内感染で
ひどい感染症にかかって、家で療養しているとのことでした。
食事がとれないので、水分だけでもとるようにどうにか工夫していると聞いて、
どうか快復しますようにと祈っていたのですが……。

まだ信じることができないでいます。
元気だったら告別式に飛んでいきたい思いです。。。
2018年の秋。ちょうどこのブログを始めたときに、イギリスを再訪し、
彼女とペニーにも再会しました。それが最後になりました。
家族のことが気になって、迷った末に、思い切って行った旅でしたが、
本当にあのとき会っておいてよかった。でも、せめてもう一度
会いたかったです。

去年の同じ時期にも、大切な友人が旅立ちました。もうすぐ一周忌。
寂しい季節となりました。

マーガレット。大切なイギリスのお母さん。
いつか、また会えますね。
暗いニュースが多いこのごろで、世界がどうなっていくのか心配ですが、
今度会ったときに恥ずかしくないように、きちんとまっすぐ生きていきたいです。

アラン・ドロンとサラファーンの星2024年08月19日 20:40

アラン・ドロンが亡くなりました。
数年前に脳卒中で倒れて以来、体調を崩していると聞いていて、いつかはこの日が来ると
覚悟はしていましたが、やっぱり寂しいです。
中学生の時、人生で初めて、ファンになった「スター」だったから。

当時のアラン・ドロンの人気ときたら、本当にすごくて、映画雑誌の表紙を何度も飾り、
映画もたくさん公開されたり、テレビでオンエアされたりしていました。
日本のCMにも出ていました。レナウンのダーバン! 愛馬と一緒のが特に好きでした。

こんな美しい人がこの世にいるだろうかと信じられない思いでしたが、
美しさよりも、彼の翳りに惹かれました。
4歳のとき両親が離婚。母親に引き取られるも、母の再婚で里子に出され、
いくつもの学校を(問題児だったため)放校になり、
17歳で軍隊を志願、インドシナ戦争に従軍し、軍でも問題を起こしたそうです。
たぶんずっと、愛情を求めていたのだと思います。

恋多き人でしたが、5年に渡る婚約が破綻して、長すぎた春と言われた
ロミー・シュナイダーとのその後の逸話は、とても胸を打たれます。
別れたあともずっと気にかけ、ロミーの一人息子が悲劇的な事故で亡くなったときには
半狂乱のロミーに代わって、葬儀をすべて準備したり、その後ロミーが亡くなった際には
3日間棺に付き添ったと言われています。そして、葬儀は静かなものにしたいと
(メディアが騒がないように)自身は出席しませんでした。
ボディガードが他殺体で見つかったときには、殺人容疑がかかりました。
この事件は未解決のままです。
真実はわかりませんが、この事件が彼の人生に大きな影を落としたのは
間違いありません。
そんなところも含めて、謎多き人ですが、犬と馬が大好きなことでも知られています。
孤独な分、動物と心を通わせることができるんだなと感じます。

青春の1ページのアラン・ドロン。
高校生の時に書いた短編の一つは、彼をモデルにしています。
また、ずっと前、このブログに書いたように、サラファーンの星のダイロスのイラストを
描くときには、彼の写真をたくさん参考にしました。
ダイロスは金髪ですので、髪の色は違いますが、アラン・ドロンの翳りと冷たい美しさを
投影したイメージです。こちらが、モノクロのスケッチ。(本物の美貌には届かないけれど
精一杯描きました。)

ダイロス・スケッチ(部分)by fumiko

そしてもう一人。まだ記事にはしていませんが、いつか書こうと思っているキャラが
ロンドロンド。
アラン・ドロンの明るく純粋で繊細な一面を投影したキャラクターです。
俳優として、ルネ・クレマンやヴィスコンティなど、超一流の監督と仕事をした人ですが、
ヴィスコンティの『若者のすべて』は、本当にピュアで心やさしい若者を描いて秀逸です。
ロンドロンドのイラストを描くときも、無論アラン・ドロンの写真を参考にしました(が、
全然似ていなーい! とても難しかったです)。

特に好きな映画は『冒険者たち』。これも前にブログで書きましたが、ヒロインの
レティシアがとっても素敵で、ジョサの母親の名前をレティにしました。
日本版とアメリカ版は、エンディングでアラン・ドロンが歌う『愛しのレティシア』が
流れます。テノールの素敵な歌声です。(ロンドロンドは歌が上手で素晴らしいテノール)
フランソワ・ド・ルーベ作曲で、主題曲ともども、口笛が印象的な、一度聞いたら
忘れられない曲です。かつてはレコードを買いましたが、今はCDを持っています。

抗がん剤の副作用の痛みで眠れないとき、何度も聴いていました。
不思議と気持ちが落ち着くんです。
それで、彼はどうしているかなと思っていたのですが。
亡くなった直接の原因は公表されていませんが、悪性リンパ腫を患っていたそうです。
B細胞型。私が罹患しているガンと同じタイプのリンパ腫です。
彼は逝ってしまったけれど、私は頑張って治さなくちゃね!

今週、4回目の抗がん剤の投与を受けます。
その直前、訃報を受け、思わずこの記事を書かずにはいられませんでした。

たくさんのインスピレーションを与えてくれたアラン。ありがとう。
いまごろ、先に旅立った愛する人たちと再会して、喜びに包まれていますように。

GODZILLA〜ゴジラのチョコレートケーキ2024年05月25日 06:30


ゴジラのケーキ

昨日、妹とふたりで家族の用事で金山に出かけました。
ちょっと疲れたし、たまにはホテルのロビーで優雅にお茶して帰ろうと、
ANAホテルに寄りました。
観光客で混んでいて驚きましたが、ロビーラウンジのショーケースにゴジラ発見。
上の階の美術館で「庵野秀明展」をやっているとのことで、タイアップ企画でした。
ケーキのタイトルは、そのものずばり〈GODZILLA〉。

妹は普段ならわたしが選ぶであろうイチゴのタルトとレモンティーを、わたしは
せっかくなのでゴジラのチョコレートケーキとミルクティーを頼みました。

白に金の枠の入ったシンプルなお皿に載ってきたのが、こちらのGODZILLA。
説明によると「ミルクチョコレートの中に、生キャラメルとキャラメルクリームを閉じ込め
ゴジラのチョコレートをのせました。一点一点手作りのゴジラチョコレートは、顔の違いを
お楽しみください」私のゴジラちゃんは、ちょっとユーモラスな雰囲気。
(クリック拡大で見えるかな?)
ちょっと甘そうで、実はあまり甘いケーキは得意ではないけれど、
友だちが『ゴジラ−1.0』に携わっていたので、(庵野さんの『シン・ゴジラ』ではないですが)なんだか嬉しくなって、迷わず選びました。
さっそくゴジラのチョコをがぶり。ラズベリージャムが散りばめてあり美味しかったです。
下の丸いところはほぼムースで甘かったけど、周りはちょっとビターだし
ラズベリーがひとつアクセントに載っているし、ゴジラの台はしっかり硬いビターチョコで
美味しかったです。

広告会社に勤めているころ、庵野さんが携わった『オネアミスの翼』をその友だちと見に行ったことがあります。展覧会では『オネアミス』関連も出展されていたようでした。
膀胱炎が治りたての妹。私も家族や自分の病院の梯子が続いていたあとで、展覧会には
寄らずにそれぞれ帰宅しましたが、やっていることを知っていたら、『オネアミス』の
絵コンテなど拝見したかったな。
展覧会は6月23日まで開催しています。ファンの方はぜひどうぞ。チケット提示で
ゴジラチョコは10%Offだそうです。

この悲しみもいつか幸せな思い出に2023年12月29日 14:06

友だちが逝ってしまいました。
(会社の先輩だったから、友だちと呼ぶのは失礼かもしれないけれど、会社員時代、
よく一緒に遊び、ともに夢を語り合った人なので…。)
共通の友人から訃報が届いた日は、なかなか眠れず、浅い眠りに落ちたと思ったら、
また目が覚めてしまって、そして、ふたご座流星群の時期だったと思い出しました。
バルコニーに出たら、大きな流れ星が夜明け前の空に向かってまっすぐきれいに流れました。
その流星の話は、この前に記事に書きましたが、友だちのことは書けませんでした。

病気だと打ち明けられたのは一年半前。私も障害のある甥の施設探しに奔走したり、
うつ病を発症したりで、なかなか連絡ができなかった時期で、
自分のほうが大変なのに、私のことを心配してくれるやさしい人でした。

亡くなった人は、姿が見えなくなっただけで、魂は決して滅びないとわかってはいても、
思い出が多すぎて、声を聞いたり、一緒に食事をしたりできないのが寂しくてなりません。
メールを読み返すこともできずにいます。今は悲しみが深くなるだけだから。
いつかそうしたすべての記憶が、幸せな思い出へと変わってゆくのかな…。

当たり前のことって、なにひとつない。家族も親戚も友人たちも、みんなそうですね。
どの人も、どの人との出会いも、かけがえのないもの。改めてそう感じています。

もうすぐ2023年が終わりますね。
ウクライナの戦争が長引くうちに、イスラエルとハマスの戦争が始まって、
この21世紀に信じられないような悲惨な状況になっています。
特に犠牲になっているのは子どもたち。本当に辛いです。
私たちは戦争をしている余裕はなく、協力して気候危機を解決しなければならないのに。
亡くなった友だちは、気候危機の問題を真剣に考えていました。
なにごとも、嘆くだけではなく、一歩踏み出すこと。私も、早く心身の元気を取り戻し、
もっと動いていきたいと思っています。
希望は、人の心とともにあります。

今年も、読んでくださってありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。

ふたご座流星群と祖母のこと2023年12月13日 10:37

ふたご座流星群の季節です。
今朝5時半すぎに目が覚めて眠れなくなり、しばらくグズグズしていたのですが、
そのことを思い出し、バルコニーに出ました。
星が大好きなのに、いろいろあって、ちょっと忘れていたのです。

澄んだ冬の空に、明けの明星が明るく輝いていました。
すでに地平線はうっすらとオレンジ色を帯びているし、流星は見えないかな、と思った途端、
大きな流れ星が、夜明けに向かってまっすぐ流れていきました。
一瞬ですが、ほんとうに美しかった……。

それからしばらく、星空をみあげていました。
雲ひとつなく、名古屋にはめずらしく、たくさんの星々が瞬いています。
春の大三角も見えます。
だんだん夜明けのオレンジ色が明るくなってきました。
そうだ、夜明け前の空と明けの明星の写真が撮れるかなと、iPhoneを取りに中に戻り、
ふたたびバルコニーに出ました。

撮ってみたのがこちら。クリック拡大すると、なんとか、画面の上の方、中央少し右寄りに
金星が映っているのが見えるでしょうか。
(一眼レフのいいレンズだと、他の星々も映ると思うのですが、私のiPhone7では、
これがせいいっぱいです。)
明けの明星

そのあと、もう一度、その明けの明星のすぐそばを、星がひとつ流れました。
明るくなりゆく空でもはっきりと見えたので、深夜にはたくさん見えたかなと思います。
今年のふたご座流星群は、明日14日の深夜から15日未明がピークだそうです。
名古屋は雨の予報。なので、今夜、晴れているうちに、また見てみます。

今日は大好きな祖母の命日です。9歳の時に亡くなりました。寒い冬でした。
いまでも恋しく、とても会いたいです。
子どもだったかたでしょう。余命が短いことは最後まで知らされていませんでした。
もし知っていたら、お別れが言えたのに、どんなに大好きで大切に思っているか言えたのにと残念でした。
もちろん、周りの大人たちが、よかれと思って(子どもがショックを受けないように)
内緒にしたのはわかっています。それでも、言ってほしかったなぁって、密かに思います。
子どもって、大人が思っているよりずっと、物事を理解できるんですよね。
星がこんなに好きなのは、ひとつには、星々を見ると、亡くなった愛する人たちのことを感じられるからかもしれません。

魔女の一撃Part22023年10月30日 21:01

最初に私がその脅威を知ったのは、広告代理店に勤めていた20代前半。新入社員時代。
制作の雑用をしていた私は、よく制作の副社長室にも出入りしていました(手紙や書類を
届けるなど、本当に雑用)。
あるとき、副社長の秘書がぎっくり腰になり、一週間休みますと、人材派遣会社から
連絡がありました(秘書の方は派遣社員でした)。
植木鉢を持ち上げた瞬間だったと聞いています。
副社長、怒るとコーヒーや灰皿が飛ぶと有名な方で(蜷川さんみたいですね。実際に、
友人はそのシーンを目撃しました)、
そのときも、「一週間も休むなどとんでもない!」と激高され、彼女はクビに。
(今では許されないことですね。)
副社長に負けず劣らず、とっても怖い年配の女性でしたが、そんな彼女が打ち勝てなかった
ぎっくり腰。恐るべし、と思いました。

そのとき派遣会社から代理でやってきた女性が、そのまま副社長の秘書になりました。
彼女、さっぱりした性格で、私は大好きだったのですが、
あるとき副社長から理不尽に叱られたとき、「私、辞めます!」と宣言し、
荷物をまとめて、出ていきました。あっぱれ。
副社長、ドジな新入社員の私には優しかったです。おそらくあんまりおバカだったため、
怒る気がしなかったのでしょう。)

話を戻します。
その恐るべきぎっくり腰、その後、私が最初に目撃したのは、同じ会社でのこと。
ある日、同僚から電話がかかってきました。内線電話です。
「フーちゃん、すぐ来て! 今コピー室。動けない」
何事かとコピー室に急ぐと、コピー機に抱きつくように覆いかぶさっている同僚の姿が。
「ぎっくり腰やったみたい。すっごく痛い」
コピー機に張り付いている彼女をなんとか引き剥がし、支えながら、
同じビルにあった整形外科に。
診察の結果は、やっぱり「ぎっくり腰」
20代でぎっくり腰になるんだ、と、彼女も私もびっくりでした。
会社に戻ると、優しい部長が、タクシーで帰りなさい、とタクシー券を出してくれました。
(これも今ではないかな。いろいろとおおらかな会社でした。)

さて。私自身が最初にその一撃をくらったのは、会社をやめたあとの28歳のときです。
ある日シャワーを浴びていて、シャンプーの後、立とうとしたとき、腰に激痛が走りました。
同僚の一件で、すぐにわかりました。ぎっくり腰!
これか。ああ、どうしよう。一人暮らしで、助けは呼べません。
そのとき思い出したのが、住んでいたマンションと駅の間に、「カイロプラクティク」と
看板を掲げた整体院があったこと。そうだ。あそこへ行こう!
しかし、一糸まとわぬ姿で行くわけにはいきません。なんとか着るべきものを着て、
這うように行きました。
普通に歩けば3分で着く場所ですが、ものすごーく遠く感じました。)
何やら不思議な形のベッドに寝かせられ、思い切り背中を押された途端、
バキバキバキッと音がしました。
超痛かったけど、不思議なことに、起き上がることができ、まっすぐに立てました。
重いものを持ち上げるときは体の重心に近くして持ち上げること、
朝起きるときや、低い姿勢から立ち上がるときは、急な動きをしないよう気をつけること、
身体を柔らかくすること(ストレッチなどで)と指導を受けました。

その後、癖になったのか、何度もやるようになりました。友だちが接骨院をされている方と
結婚したので、もと同僚じゃないけど電話して(内線電話はありません)
「すぐ来てくださ〜い!」と泣きついたことは一度ではありません。
そんなわけで、魔女の一撃とは長〜い付き合い。
どうか、今後とも、お手柔らかにしてほしいものです。

『エンジェルス・イン・アメリカ』2023年05月26日 21:25


エンジェルス・イン・アメリカ

1993年8月、ニューヨークの友人宅に2週間滞在し、
ブロードウェイにオフ・ブロードウェイと、演劇三昧しました。
(ちょうどその月『星たちの祈り』が出版されたので、印税を全部はたいて。)
その年のトニー賞に輝いた『蜘蛛女のキス』と『エンジェルス・イン・アメリカ』も、
友人が頑張ってゲットしておいてくれました。
「エンジェルス・イン・アメリカ」は、当時、Part1のMillennium Approachesが
上演されていました。

現在、新国立劇場で日本版『エンジェルス・イン・アメリカ』の公演が行われていますが、
「ミレニアム迫る」と「ペレストロイカ」の2部合わせて8時間。
明後日、28日までで、来月には愛知県と滋賀県で上演されるそうです。
(早く知っていて、もっと体力があったら、行きたかったなぁ。)

ニューヨークで観た舞台は本当にどれも素晴らしかったのですが、
『エンジェルス・イン・アメリカ』にも強く心を揺さぶられました。
エイズが猛威をふるい、恐れられた80年代のニューヨークが舞台で、
ゲイの人たちへの迫害や人種や宗教による差別、薬物依存問題などが描かれています。
天使が降臨するシーンはいまも脳裏に焼きついています。
エイズ患者であるゲイの若者の寝室に現れるのですが、照明も素晴らしく
本当に天使が舞い降りてくるようで、美しかったです。
プレイビル(劇場で無料で配っているプログラム)は、何度も引っ越ししたせいか
なくしてしまって残念でした。
上の画像は、英語が聴き取れなかった部分を知りたくて、帰国してから
のちに見つけたシナリオです。脚本はトニー・クシュナー。

数年後、タイトルにあったミレニアム、2000年が訪れ、
今ではエイズも死の病ではなく薬や治療法もありますが、1993年当時、
コロナ禍が未来の世界を襲うとは想像もできませんでした。
そして、LGBTQ+への偏見は、現在、世界的に少しずつ市民権を得始めているといっても
依然根強く、日本ではまだ市民権を得ているとはとてもいえない状況です。
そのほかの差別は、かえってひどくなっているのではないかとさえ思えます。
その意味でも、『エンジェルス・イン・アメリカ』は、いまなお色褪せない輝きを
放っているのではないでしょうか。

ところで、『ママはシングル』にはゲイの男性が登場しますが、
〈サラファーンの星〉にもLGBTQ+の登場人物が何人かでてきます。
みんな脇役ですが、それとわかるようには書いていないので、
よほど勘の鋭い人でない限り、わからないと思います。
どんな物語でも、わたしはほんと好き放題というか、自分が興味をいだけるキャラクター
しか描いてこなかったので、彼ら彼女らもみんな好きで、ブログに書きたいと思いながら、
まだ果たせていませんが、いつか紹介しますね。

自閉症と青い花2023年04月06日 20:27

毎年4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デー。
日本では、自閉症だけでなくすべての発達障害を含めて、2日から8日までを
発達障害啓発週間としています。
自閉症のシンボルカラーはブルー。「癒やし」や「希望」を表すそうで、
名古屋のテレビ塔はきれいな青にライトアップされています。

こちらは、少し前に、お花屋さんで買ったデルフィニウム。
自閉症のシンボルカラーのブルーに合わせて写真をアップします。
本当に癒やされる青。大好きな花のひとつです。

デルフィニウム

自閉症って本当にわかりにくい障害で、昔、映画館で『レインマン』をみて
初めて知りました。
ダスティン・ホフマンが自閉症の青年レイモンドを演じ、トム・クルーズがその弟。
レイモンドは施設に入っているのですが、別れ別れに育った弟は、
兄の障害をまったく理解しないまま、ある事情があって、黙って連れ出してしまいます。
レイモンドは重度の自閉症。
こだわりが強く、融通はきかず、コミュニケーションもとれません。
大通りで横断歩道を渡っていて(青信号が歩くマークだからわかる)、
赤になって歩行禁止のマークが出ると、道の真ん中で止まってしまったり、
パンケーキを食べるときには最初にメープルシロップが出てこないと
食べることができなかったり、下着も決まった商品でないと絶対に身につけません。
自閉症の人は、音や触覚に過敏なところがあり、生地によってはちくちくして痛いとか
あるそうで(わたしも、洋服の襟元のタグがちくちくして、取ることがよくあるので
あんな感じかな、と想像します。)
レイモンドは、そうした特徴をよく表していると思いますが、わたしが
そうしたことを本当に理解したのは、そのずっとあと。
自分の姪と甥が自閉症だとわかってからです。
(「レインマン」をみた時は、まさか将来自分の身内に、同じ障害をもつ子が
生まれるなんて、想像もしませんでした。)

身内や身近に自閉症の子がいない人たちが、いかに自閉症をわかりにくいか、
(あるいは、発達障害全般をわかりづらいか)本当によくわかります。
自閉症の人は、見かけは普通の人と変わらないですし。

姪が生まれた時も、ごく普通の赤ちゃんに見えました。
成長も、最初はごく普通の子に見えました。
妹たちは神奈川県にいたので、めったに会えず、やがて妹が我が子が他の子と違うと
悩み始めたのも、知りませんでした。
なかなかオムツがとれなかったり、夜中に起きてはベビーベッドの上でひとりで歌ったり
家中の靴やスリッパを床に並べたり、言葉が遅く、話せるようになってもオウム返し
だったり、先生やほかの子どもたちとコミュニケーションがとれず、
幼稚園をクビになったり(おたくのお子さんはうちでは預かれません、と)。

久しぶりに姪と会ったとき、さすがにこれはおかしいと思って、妹に話しを聞き
妹が悩んでいるのを知りました。
お姑さんに、あなたの育て方が悪いと言われていることも。

心理学に詳しい友だちに、姪の様子を相談したら、
「それは、ものすごくわがままか、障害があるかどちらかよ」と言われました。
そして、障害児の教育の専門家を紹介してくれました。
その方は京都の先生で、妹夫婦と私とで、3歳になった姪を連れて訪ねて行きました。
そうして、先生に言われた言葉は、「◯◯ちゃんには障害があります」でした。
それを言われた瞬間、妹夫婦と一緒に泣きました。
「親が死んだあとのことを思うと…」と妹の夫が声をつまらせました。
先生は優しくおっしゃいました。
「泣いて下さい。どうぞ思い切り泣いて下さい。今はそれが必要ですから」
それは、ずっと悩んでいたわたしたちが、初めて感情を表に出せた場でした。
いまも、そのときのことを鮮明に思い出します。

そのころ、妹のお腹には次の子がいて、実家の岐阜に帰省していました。
それから、私も一緒に障害について勉強しまくり、京都の先生に紹介していただいた
岐阜大学の先生を訪ねたり、自閉症に関するあらゆる講演会に行きまくりました。
姪のことで駆け回るうちに、生まれてきた甥も、やがて同じ障害があるとわかります。

自閉症は、脳の機能障害で、自分の殻に閉じこもっているわけでも、
親の育て方が悪いわけでもありません。
脳の機能の一部が正常に働かず、他の人の気持ちを察することができなくて、
それゆえ、コミュニケーションが苦手だったり、言葉がうまく話せなかったり、
排泄の感覚がわかりにくくて、オムツがなかなか(あるいはまったく)
とれなかったり、こだわりが強く、予定外のことが起こると対応できず、
パニックを起こしたりします。

けれども、その特性を知って、接すれば、少しずつ学んでいったり、
コミュニケーションも取れるようになっていきます。
もちろん、難しいこともたくさんありますが、
好きなことには驚くほどの集中力を発揮したり、
中には、芸術的なセンスが優れている人もいます。
カメラアイといって、見たものを記憶する力が優れていることもあります。
姪や甥も(言葉をうまく話せないからそれを伝えることはできませんが)、
一度会った人は覚えていたりします。
なんでもすぐ忘れちゃうわたしより、ある意味、ずっと記憶力がよいです。

自閉症をはじめ、発達障害を抱える人が、少しでも理解されて、
生きやすい世界になるといいなと心から願っています。
社会的に弱い立場いいる人たちが生きやすい世界、寛容で温かい世界は、
きっと、誰にとっても生きやすい世界に違いありません。