希林さんの思い出2019年07月27日 17:29

前回、岐阜新聞映画部の『あん』のイベントで樹木希林さんの講演会に行ったことを
書きました。
割烹着姿の希林さん、きらきらしたオーラがあって、それが会場を温かく包んでいました。

希林さんには、その30年以上前、一度お目にかかったことがあります。
広告代理店に勤め始めた一年目。
クリエイティブセンターという部署に配属され、ディレクターであった部長について、
あるCMの撮影に行ったときのことでした。

主演の希林さんの演技に関して、部長は何度もいろんなパターンを試します。
希林さんは、嫌な顔ひとつせずに何度も応じ、また、「こんなのどうかしら?」と、
自らいろんなアイデアを出されて、熱心に演じられました。
まさにプロフェッショナルなその姿に、とても感銘を受けました。

部長が「希林さん。うちの部の新入社員です」とわたしのことを紹介した際には、
二十そこそこの、使い走りのような娘に対して、
「Sさん(部長の名)にはいつもとてもお世話になっているの。どうぞよろしくね」と
こちらの目を見つめて、にこやかに会釈され、本当にびっくりしました。

あとで部長から、「希林さんは、あんなに有名なのに、いつも謙虚で、
本当に素敵な女性なんだ」といわれました。
あのときから、その姿勢は、きっと、ずっと変わらなかったのだと思います。
そのまっすぐな生き方の積み重ねが、岐阜のイベントでお会いしたときの、
全身から発せられていたオーラなのでしょう。
わたしもそんなふうに年を重ねたいと思いました。

訃報に接したときは、寂しかったけれど、亡くなってなお、多くの人に影響を
与えているのだと感じています。

あんずの季節2019年06月12日 16:34


杏ジャムと杏 by fumiko

杏が実る季節がめぐってきました。
子どものころから干し杏が大好きで、サラファーンの星にも、干し杏とくるみを
たっぷり入れた焼き菓子を登場させました。
ヨハンデリ夫人が焼くミンカです。

杏ジャムは、20代のころ手作りのをいただいて、その美味しさに恋に落ち、
信州から取り寄せて、自分で作るようになりました。
ジャムを作るときの甘酸っぱい香りもたまりません。

公式サイトの自然と暮らしコーナーでは、「食べ物」のアイコンは、迷わず杏に。
そのスケッチがこちらです。
(スキャンで取り込んだら、なぜかオレンジ色が赤くなってしまいました。)
公式サイトでは、いつものように、デザイナーの畠山さんが素敵なCGにしてくれました。
色もちゃんと杏色になっています♪

新鮮なものは、生で食べると、また格別です。
20代の終わりに、『ユリディケ』のささやかな印税で、安い航空券を買って
初めてヨーロッパを旅したときのこと。
フィレンツェで、イタリア人の友だちと一緒に、修道院に泊めてもらったのですが、
食卓にはいつも生の杏があって、そのみずみずしくて美味しかったことといったら!
今思いだしてもよだれが出そうです。

もぎたてだったのだと思います。杏は傷みやすいので、鮮度が命。
帰国してからは、一度もその味にであっていませんが、
信州で摘みたてを食べたら、きっと同じようにみずみずしいのでしょうね。
リーヴの思い出の郷土料理も、新鮮な杏を添えた栗麦粉のカシェルです。

創作事始めPart1〜12歳の出逢い2019年05月02日 13:05

中学1年の時、同じクラスになったKちゃん。勉強ができて、運動神経も抜群。クラス委員にもなるような活発な女の子で、内気なわたしとは大違い。でも、宇宙や文学好きなところが似ていて、仲良くなりました。

 

休みの日に一緒に町に買い物に行ったり、始終お互いの家に泊まりに行ったり。

ふたりで『森村桂パリへ行く』という本を読んでフランスに憧れ、フランソワーズ・アルディの歌を聴いたりもしました。


彼女の家に泊まって、暗いうちにパジャマのまま抜け出し、自転車の二人乗りで、夜明け前の世界を駆けまわったときのさわやかな風と、あふれるような喜びは、いまも忘れられません。

 

彼女は詩や短編を書いていました。わたしは小学3年のとき先生に教わって、詩は少し書いて

いたけど、短編は最後まできちんと書けたためしがなく、彼女の作品を読んでびっくり。

SFや家族の秘密を扱った作品など、どれも感動的で、あっと驚く仕掛けがあり、構成力も素晴らしいのです。


わたしも、彼女にならって短編を書いてみたのですが、ろくなものは書けませんでした。

でも彼女はそんなわたしにとてもやさしく、いつだって褒めてくれて、

豚もおだてりゃ木に登るといいますが、わたしもまた元気に次の話に取り組むのでした。

 

彼女は科学にも強くて、夢は宇宙飛行士だといっていました。わたしは近眼で運動音痴。もうそれだけでアウト。彼女とともに旅立ちたいけど、宇宙飛行士など夢の夢です。

それでも、一緒に宇宙の写真を眺め、宇宙の話をいっぱいして、本当にわくわくしました。

 

彼女は大学で飛行クラブに入りました。グライダーで自由に大空を飛んで、楽しそうでした。

宇宙にとても近いところを飛んだんだなぁと、胸が熱くなります。

その後、素敵な家族を作りました♡

彼女と逢わなかったら、今のわたしはありません。そして、この出逢いが次の出逢いへ
つながっていくことになります。
ありがとう、Kちゃん。遠く離れているけど、いつも幸せ祈ってるね☆

4月の終わりにメイを想う2019年04月28日 21:23


甲斐犬の血を引くメイphoto by Kumiko

甲斐犬の血を引くその子犬との出逢いは、ちょうどいまごろでした。
もう30年近く前になるでしょうか。4月の終わりにしては暑い日でした。

当時横浜の小さな街に住んでいたわたしは、駅前の本屋さんへの道を歩いていました。

車通りの激しい道を横切ったときのこと。

歩道で、通りかかる人たちにしっぽを振っている、人なつこい子犬を見かけました。

ちょっと狼みたいな風貌で、思わず心惹かれました。


本を買ってふたたびその道を通ると、先ほどの子犬が、歩道に倒れてぐったりしています。

目もうつろで、荒い息をしていました。暑かったからでしょうか。

病院に連れて行きたいけれど、動物病院がどこにあるかわかありません。

途方に暮れていたら、ひとりの女性が声をかけてきました。

「その犬、この三日間、ずっとここにいるのよ。ここで捨てられたんだと思うの」


彼女は、動物病院ならこの先で見たような気がするといいました。

そして、実は自分は犬は怖いんだけれど、わたしが抱いているなら、

一緒に行ってみない?といってくれたのです。

子犬といっても、けっこう大きく、抱いて歩き続けるのは無理そうです。わたしたちは

タクシーに乗りました。子犬はけっこう汚れているし、ちょっとにおったのですが、

運転手さんはいいよといって、走りながら動物病院を探してくれました。


獣医さんは、突然訪れたわたしたちに、とてもやさしかったです。

この犬は、甲斐犬の血を引いているねといいました。日本狼の血を引くという説もある、

甲斐の国の古い犬種だそうです。

子犬の体重は七キロ。推定、生後半年。もっと大きくなるだろうとのことでした。


わたしはの住んでいたマンションは、ペット禁止でした。獣医さんに、飼ってくれる人を

探すので、どうかこの子犬を助けてくださいとお願いすると、獣医さんはいいました。

「お嬢さん(当時はわたしも若かった)、捨て犬を助けようというあなたのやさしさに、

わたしもやさしさでこたえましょう。一晩無償で預かります。

なので、明日までに引き取ってくれる人をお捜しなさい」


お礼を言って、帰ろうとすると、ぐったりしていた子犬が、突然、診療台の上で

がばっと身を起こし、わたしのほうに来ようとしました。

また捨てられてしまうのかと思ったのかもしれません。

きっと誰か探すからね、といって帰りました。

友人や知り合いに片っ端から電話した末に、

東京の叔父が、いいよといってくれたときは、本当にうれしかったです。


翌日、叔父夫婦と従妹は、車で獣医さんのもとに迎えに行ってくれました。

従妹が入っていくと、子犬は、まるでこの人が新しい主事だとわかったかのように、

立ちあがってしっぽを振ったそうです。衰弱していただけだったようでした。


そうして、甲斐犬の血を引く子犬は、叔父一家の一員となりました。

従妹が洗ったら、水が真っ黒になり、汚れも匂いもなかなか取れなかったそうです。

叔父は、姪のわたしが拾ったことと、5月が目の前だったことから、

子犬をメイと名づけました。


従妹は、毎日二時間メイと散歩をして、食事も手作り、寝るときも一緒。

本当に可愛がってくれました。

甲斐犬は賢く、ひとりの主人に生涯忠誠を尽くすといわれているそうですが、

まさにその通りで、賢くて、従妹にとても忠実で、特別な絆で結ばれているようでした。


犬の一生は人間よりずっと短い。メイもそうでした。

でも、従妹とめぐり逢えて、本当に幸せな生涯だったと思います。

 写真は、従妹が撮影したメイです。従妹の家でくつろいでいるところです。


1999年、『ママはシングル』という現代物のコメディを発表したのですが、

その中に登場する、甲斐犬の血を引く犬、シャンペンとブランデーは、

メイのことを思って書きました。メイのほうがずっと賢いですけれど!

また、サラファーンの星全巻を通して登場する銀色狼には、

ちょっとメイのイメージが入っているんだろうな、と自分で思っています。