春合宿お菓子事件2020年07月03日 19:49

前回、実印をうっかりゴミに出してしまった幼なじみの話を書きましたが、わたしも
人のことを言えないほど、ドジでうっかり屋です。

20代のころは、酔っ払って電車の網棚にバッグを忘れて降りて、家に入れなかったり、
酔っ払って、つり革につかまって眠っていたら、目の前のビジネスマンに
「お嬢さん、どうぞ」と席を譲ってもらったり(すごく恥ずかしかったけど、
あまりに眠くて座らせてもらいました)
酔っ払って、地下鉄の階段から転げ落ちたり。(ドジというか、酒癖が悪い??)

お酒に強くないのに、若い頃はつい飲んで、たぶんほかにも忘れている
失敗談がいっぱいあります。
サラファーンの物語には、お酒に強い人たちがいっぱい出てくるけれど、
あれは憧れですね。
わたしは全然ダメで、何度かそんな痛い目に遭い(階段から落ちたときは、
文字通り痛かった)分をわきまえるようになりました(注:飲まなくなりました)。

さて。運動音痴にもかかわらず、大学時代、体育会アーチェリー部に
入ってしまったわたし。
これは本当にドジでうっかりなことでした。そのため、
文学好きだったのに、アーチェリーに明け暮れる日々を送ることに。

体育会ということで、とっても厳しくて、たとえば、練習中に弦が切れて、換えの弦を
持っていなかったり、矢が壊れて、予備の矢が足りなくなったりしたら、
学年の全体責任となり、みんなでランニングさせられたり、長時間正座させられたり
しました。
先輩たちへの挨拶も、射場への挨拶も、きちんとしないと、同じです。
もしかして、いまは罰なんてないかもしれないですね。
でも、当時はそれが当たり前でした。
今も、練習中や試合で矢が足りなくなって、真っ青になる夢を見ます。
(夢から覚めると、本当にほっとします。もうかなりのトラウマ。)

合宿は個人戦の前の夏と、関東学生リーグ戦の前の春、年二回です。
夏は男女合同ですが、春は女子だけでYAMAHA(弓では有名です)のある浜松で
行われました。

さて。それは、二年生に上がった春合宿での出来事。
練習を終えて宿に帰り、休憩時間に、班ごとに別れた部屋に入ると、
畳の上のテーブルに、きれいな包みがのっています。
「わあ〜」と言って、開けてみると、美味しそうなクッキーが。
そのとき、部屋には四人ほど同級生がいたので、「食べよ〜」といって
みんなでいくつか食べました。

その夕方。一日の日程が終わったあと、先輩が集合をかけました。
なんだろう?
みんなでドキドキしながら正座して、先輩が話すのを待ちました。
女子リーダーより怖〜い鬼の副リーダーYさんが、重々しく口を開きます。
「今日、OGの誰それさんが、差し入れのお菓子を持ってきてくれました」

そこまで聞いた瞬間、思わず「あっ!」と叫んでしまいました。
わたしが包みを開けちゃった、あのお菓子!!

そのとたん、Yさんがぷーっと吹き出しました。
そして、先輩たち全員、畳の上で笑い転げてしまいました。
それから、Yさんが、
「無断で食べたものがいる。名乗りなさい、と言うつもりだったのに!
怒れなくなっちゃった!」と涙を流して笑いながらいうのです。

もうわたしは、穴があったら入りたいというか、
ひたすら謝ったのですが、先輩たちは、「いいよ、いいよ、もう。
あんまり馬鹿正直に、『あっ!』なんていうから、拍子抜けしちゃったよ」

そして、そんなことは今まで一度もなかったのですが、お咎めなし。
同級生にも「チョンボかと思った。助かったよ」と感謝(?)されました。

それにしても、わたしときたら、いったい何を考えていたのでしょう。
部屋のテーブルに、見知らぬ包みが置いてあったら、普通、絶対に
開けたりしませんよね。
あのときのことを思い出すたびに、
いまだに、自分のおバカな頭の構造が、まったく理解できません・・・。

みなさんも、見知らぬお菓子には、くれぐれもお気をつけくださいね。

ホワイトアスパラの思い出2020年06月21日 10:00


ザルツブルクのホワイトアスパラ

ホワイトアスパラガスは、4月から6月が旬だそうですね。
ヨーロッパの食べ物だと思っていたけど、北海道でも栽培されているようです。

子どものころは、白いアスパラガスというと、生ではなく缶詰で、
マヨネーズをかけて食べるのが好きでした。
そういえば、すっかり忘れていたけれど、緑のアスパラガスが登場したときは、
緑だ!とびっくりしたっけ。
今は当たり前にスーパーに並んでいますね。でも白いのはないなぁ。

両親がホワイトアスパラの旬に(そんなことはまったく知らずに)フランスを訪れ
レストランの前菜で山のようにでて、本当に美味しかったと言っていたので、
わあ、わたしもいつか機会があったら食べてみたいと思っていました。

その機会がめぐってきたのが、8年前。
父が亡くなって一周忌が過ぎたあと、母とふたりで久しぶりに旅に出たときです。
ザルツブルクを訪れ、旧市街のホテルにチェックインしたあと、
ザルツァッハ川にかかる歩行者だけの橋をのんびり渡って、
軽い食事ができるレストランを探していました。
どちらも、あまりお腹がすいていなかったのです。

河畔に瀟洒にたたずむのは、ホテル・ザッハー。
(ザッハートルテで有名なウイーンの名門ホテルです。)
豪華なホテルだけど、きっと、カジュアルなカフェもあるだろうと思って
中に入っていくと、ちょうど一階の素敵なレストランから、
支配人とおぼしき男性が、こちらにむかって歩いてきました。
彼なら知っているに違いありません。

「すみません。軽食のできるレストランはありますか?
川が見えるテラス席とかあるとうれしいんですけど」と聞いてみると、
「ああ! だったら、ぼくのところがいいよ」と満面の笑み。
ええっ。それは無理です。わたしはブルージーンズ。
全然ドレスアップしていません。
「いえいえ、わたしたちこんな格好だし、あまりお腹空いてないし」というと、
「ノープロブレム!」とにこにこ。
「でもほんと、スープとかサラダとか、ちょっとしかいらないんです」
「もちろん、そういうメニューもあるよ。さあ、来て。案内しましょう」
「あの、川をのぞむテラスがいいんですけど」
「それもまかしといて!」

ずんずん歩いて行く彼。
ほんとかなぁ。
半信半疑で、素敵な内装のレストランに入っていきました。
「こちらのご婦人方を、テラス席に案内してあげて」彼、スタッフを呼んでいい、
わたしたちに、「それじゃあ、エンジョイ!」

というわけで、母とふたり、黄昏のザルツブルク。
目の前をゆったり流れる大河をのぞむ、優雅なテラスに案内されました。
わあ。なんて素敵でしょう。夢のような光景です。
あまりお腹が空いていないというと、すすめてくれたのが、ホワイトアスパラガス!
もちろん、即決。
お酒も飲めないので、それと、お水を頼みました。
(フルコースを食べるようなレストランだけど、いいのかな? でも、支配人が
いいというんだし、女性スタッフも、どうぞどうぞ、という感じで。)

暮れなずむ異国の景色を楽しむうちに、運ばれてきたのが、写真のひと皿。
ものすご〜く美味しかったです!
ゆでた新鮮なアスパラガスに、オランデーソースというのかな、
黄色いソースが添えてあって、シンプルで、素材の味が生きていて、
旬の季節になるたびに思い出します。

物語を書いていて、楽しいことのひとつが、食べ物のシーン。
この世界には、どんなものがあるのかな。この人たちは、なにを食べているのかな。
地方によっても、国によっても、違うだろうな。
それぞれ、好みもあるよね、なんて考えながら、想像をふくらますのが好きです。

そうそう。今日は夏至と日食と新月が重なるのですよね。
お天気はいまひとつだけれど、久しぶりに姪と会える嬉しい日です。

ツゲの木と紫カタバミ2020年06月04日 16:33


ツゲの木と紫カタバミ

実家の庭のツゲの木陰に、紫カタバミの花がたくさん咲いています。
帰化植物だし、雑草だし、抜かなくてはいけないんだろうけど、可愛く咲いているので
ついそのままにしています。

植物は昔から好きですが、今の大変な状況下でも、いつもと変わらず咲く花や
風に揺れる木々を見ていると、気持ちがおだやかになります。
また、ちょうど薬草使いの話を書いているからかな、いっそう愛おしくなって
いつも以上に、話しかけたくなります。

モーツァルトを聞かせると美味しいトマトができるって、
昔、テレビで農家の人が言っていました。
植物も、ちゃんと音を聞いているのですよね。
植物になって、世界の音を聞いてみたら、どんな感じがするんだろう。
一度、聞いてみたいです。

アマリリスが咲きました2020年05月28日 16:48


我が家のアマリリス

鉢植えのアマリリスが咲きました。
八重咲きの赤いアマリリスで、とっても可憐です。
今年はなかなか花芽が出なくて、咲かないのかなと思っていたら、
先週ぐんぐん伸びてきて、昨日つぼみがほころんで、今朝、花開いてくれました。

「アマリリス」といえば、子どものころ、ピアノを始めたときに弾いた曲を
思い出します。
歌詞は忘れてしまったけど、「かわいいアマリリス」というところだけ覚えています。
そのころは、いまみたいにインターネットなんてなくて、
アマリリスってどんな花だろうと思っていました。

それから歳月が流れ、大人になって、そしてまた月日が流れたある日、
クロネコヤマトの配達員さんから
「アマリリスいりませんか?」と声をかけられたのです。
思わずうれしくなって、買ってしまいました。

どうしてクロネコさんがアマリリスを?と、ちょっと不思議でしたが、
オランダから輸入していたようで、白とブルーのデルフト焼き風の模様がついた鉢に
球根が植えられていました。

新春に咲くように、冬に窓辺に置いて育てる、というものでした。
いくつか買ったけれど、どれも新春に、見事な大輪のアマリリスを咲かせました。
それで、咲き終わった球根を、大きな鉢に移してみました。

わたしは植物を育てるのがへたで、いくつも枯らしてしまったけれど、
この赤いアマリリスは、毎年5月に、外で太陽の光をいっぱいに浴びて
元気に咲いてくれています。

連載中の『ユリディケ』には、ちょうど薬草使いの少女と弟が出ています。
あの子たちだったら、きっとどれも上手に育てただろうなぁ。
特に弟のリーは、植物の声が聞けて、話ができる男の子。
サラファーンの庭師のサピと同じく、わたしの憧れです。

ランス先生〜戦場にいった心やさしい村の医師2020年05月17日 15:06


ランス先生ラフスケッチ

ランス先生は、心やさしい村の医師。幼なじみのエリーと結婚したばかりの
愛妻家です。
でも、戦争が激しくなると、医療団の一員として、戦場に旅立つことに。

子どもの頃から虫一匹殺せなかったのにという村人(スピリ)に、先生はいいます。
「ぼくは命を奪いに行くんじゃない。救いに行くんだよ」
そして、なにも先生が行かなくても医者はたくさんいるという彼女に、
こういうのです。
「そうだね。だけど、もしかしたら、ぼくが行くことで助かる命があるかもしれない。
そんなふうに思うのは不遜なことかもしれないけれど、
そう思えるのにここにじっとしていることは、ぼくにはできないんだよ」

それが先生の運命を、そして、物語の運命を大きく動かすことになります。

前に、幼なじみのお父さんが絵描きさんだった、ということを書きましたが、
別の幼なじみのお父さんは、お医者さまでした。
本当にやさしい先生で、大好きでした。
怒ったことなんて、一度もないんです。
いつも「ふみちゃん、どうしたの?」と笑顔で聞いてくれて、それだけで、
病気が一段階軽くなる気がしました。
我が家もずっとお世話になりました。

物語の中に画家と医師が登場するのは、
そうした幼いころの環境から、自然なことだったように感じています。
お家が薬局をしている友だちもいました。
(だからかな、マリアは薬局をしている伯父夫婦のもとで育ったという設定です。)

ランス先生はもうひとつ、戦地で足を負傷し、軍医に見放されたウィルナーに
森に隠れ住むフィーンのエレタナを紹介しようとします。
このことも、物語の中のポイント。
なので、物静かな先生は、欠かすことのできない大切な登場人物のひとりと
いえるでしょう。

上の絵は、ランス先生のラフスケッチ。さらさらの金髪に、やさしい青い瞳。
これに色を付けたものをデザイナーの畠山さんに送って、こちらのCGに仕上げて
もらいました。
ランス先生CG

ランス先生は、つねに命の危険のある最前線の野戦病院で、
ほとんど眠る時間もなく、負傷兵の治療にあたりました。
現在、世界中のお医者さまがコロナウイルスとの戦いの最前線に立っています。

4月なかばのこと、イタリアの友だちが、こんなメールをくれました。
イタリアの現状を見ると、泣くしかない。
でも、悲劇の中にも、素晴らしいことがある。
感染者の治療にあたっていた104人の医師が命を捧げ、
政府が300人の医師を募ったところ、イタリア中から2600人の医師が
声を上げ、多忙だった医療従事者たちがとても助かった、と。
(現在は、その数字は変わっていると思いますが。)

また、彼の義理の弟さんは、病院の医師なのですが、あまりに疲れて、
夜中の1時に病院から帰宅途中、居眠り運転をしてしまい、人の家の門にぶつかって
車は大破。幸い、本人は、指の骨を折っただけで助かったそうです。
(指の骨を「掘った」とメールにあったけど、たぶん、「折った」んだと思う。)
その「事故のせいで(事故のおかげで)、一か月休みをもらった」とのことでした。
それだけ多忙だ、ということでしょう。
本当に、頭が下がります。

どうか、命を救うために働く方々が、そのために感染することがありませんように。
疲れて事故を起こすことがありませんように。
そして、そんな方々の負担が少しでも少なくなるよう、
治療法とワクチンができるまで、感染を広げないよう気をつけて生活しなくてはと
思っています。

亡くなった人は生きているときよりずっと近くにいる〜『盗賊と星の雫』より2020年05月06日 00:08


大好きな伯母と

4月最後の日曜日、大好きな伯母が急逝しました。
もう十日になるけれど、いまだに信じられないでいます。
あまりに突然だったから。

伯母は母の姉で、母ととっても仲良し。母の実家の鳥取にいました。
長女(わたしの従姉)はわたしと同い年で、夏休みにはよく遊びに行き、
妹もわたしも、すごく可愛がってもらいました。

鳥取砂丘や、人のいないとっておきの海岸に連れて行ってもらって、
どこまでも透明な海に感激したり、かや(テントみたいな蚊よけの布。
天蓋つきベッドのように、布団の上につるもの)の中で一緒に寝たり、
伯母の素朴な家庭料理も美味しくて、思い出がいっぱいあります。

伯母は9人兄弟のちょうど真ん中。
わたしの母は末っ子で、やはりとても可愛がってもらったそうです。
そんな大家族のなか、伯母は、一族の語り部のような人で、
戦争や鳥取大地震を経験して、さまざまな家族の歴史を知っていて、
事実は小説より奇なり、ということを、実感させてくれる話の数々に
いつもドキドキしたり、ワクワクしたり、ゾクゾクしたり。

わたしは実際あったことは、ほとんど小説に使いませんが、
伯母や母から聞いた、祖父の情熱的な恋物語は、ダン伯父さんの
プロフィールに投影しています。
また、別の親せきで「歌舞伎役者のようないい男」だった人の駆け落ちの話や
戦後満州から命懸けで日本に帰ってきた人の話も、すごくドラマチックでした。

そんな伯母でしたが、自分の話はほとんどしませんでした。
早くに夫を亡くし、そのご事情があって子ども達と別れて暮らしていたので、
どんなに寂しかったかと思うけれど、人生の苦労を静かに受け止めていました。
やがて、鳥取の実家で父親を看取り、妻に先立たれて戻ってきた兄も看取り、
ほかの身内の面倒もとてもよくみて、無償の愛で尽くす人でした。

一人暮らしだった晩年、従姉がハワイのアメリカ人と結婚しました。
その人が、もう信じがたいほど温かな男性で、
冬のあいだ、ハワイの従姉夫婦の家に滞在するのが、伯母の習慣になりました。
(写真は数年前ハワイを訪ねた時のものです。)
従姉は、子どものころは一緒に暮らせなかったけれど、
その分も思い切り親孝行して、伯母は本当に幸せだったと思います。

この前の冬もハワイで過ごし、従姉が3月に送ってきて
帰国後2週間、従姉とふたり、家で自主隔離していました。
その期間が無事に過ぎ、従姉がハワイに帰って2週間あまり。
従姉が前日電話したとき、少し気分が悪いから休むと言っていたそうです。
そのまま眠るように旅立ったのだと思います。
日曜日、近所の友人が電話に出ないと警察に通報してくれてわかりました。
検死の結果は、心臓の急な病とのことでした。

葬儀に行くつもりで、鳥取に発つ用意をしたのですが、わたしたち親族は
特別警戒都道府県である、東京や愛知や岐阜に住んでいます。
みんなで話し合って、行くのを控え、
鳥取の親せきと長男夫婦だけでの葬儀となりました。
最後にひと目会ってお別れしたかったけれど、誰よりも飛んで来たかった人、
ハワイの従姉が、帰国のすべがなくて、会えなかったことを思うと、
そのことが一番切なかったです。

でも、そんな悲しみの中でも、昔からずっと思っていたことがあります。
「亡くなった人は生きているときよりずっと近くにいる」ということ。
だって、身体がないから。魂は自由に羽ばたけるから。

子どもの頃から人の死を身近でたくさん見てきて、
自然とそう感じるようになりました。

『盗賊と星の雫』で、ヨルセイスは、両親を殺された幼いルカに
その言葉をいいます。
(ヨルセイスも、孤児として、とても寂しい思いをしてきたのです。)

そうはいっても、大切な人の死は、なによりも辛いです。
その人の声を聞いたり、姿を見たり、手をつないだり、ふれたりできないから。
そのことは、永遠に寂しいです。
でも、それは、その人が、それだけ大切な存在だったという証。
愛した分だけ、悲しみも深い。

従姉は帰国できなかったし、伯父や従兄弟たちも、母もわたしも
コロナウイルスのせいで葬儀に行けなかったけど、
ひとつだけ、よかったと思えたことがあります。
それは、いつも、帰国しても仕事で忙しく飛び回っている従姉が
自主隔離のために、二週間たっぷり伯母と過ごせたこと。
ふたりで、こんなに一緒にゆっくりしたことないね、と話していたそうです。
伯母も、どんなにか嬉しかったことでしょう。
伯母のやさしい笑顔が、浮かんできます。
今夜、夢であえるかな……。