あの日から14年になります2025年03月11日 11:41


雨上がりの水仙

大船渡の山林火災は、避難指示がすべて解除され、本当によかったです。
でも、ニュース映像で映し出される被災地の惨状に、胸が痛みます。

東日本大震災から14年になります。関連死も含めて2万2千人以上の犠牲者が出ました。
単なる数字ではありません。
そのひとりひとりに家族があり、人生があり、夢があったはずです。
どんなに無念だっただろうと思います。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りしています。

昨日、ニュースで大川小学校の映像を見ました。震災遺構として整備されたようで、
以前訪れたときと違って、フェンスなどができていましたが、
そのときお話をしてくださった、娘さんをなくした方が、お話をされていました。
歳月が流れようと、残された方々の悲しみは、決して消えることはないと思います。
すごく辛いでしょうに、伝えていかないとという思いで、語り部をされているのだと
思います。子どもたちが生きた証と、二度とこんなことがあってはならないと
伝えるために。すぐ裏の山にさえ逃げれば、助かったのですから。
亡くなった子どもたちは、どんなふうに天から見つめているのでしょうか。
銀河鉄道の夜を描いた壁画は、まだ残っているのかな…。また必ず訪れたい場所です。

地震の翌日には、福島の原発で水素爆発が起こりました。
未だに故郷に帰れない人たちがいる現実を前に、政府は原発回帰に向かっています。
CO2削減のためといいますが、あの事故で、原発は安全ではないとわかったはずで、
気候危機を言い訳にするのは、とんでもないことです。
遅々として進まない廃炉。原発は結局、高くつきます。それは電気代に上乗せされて
いるんです。他のクリーンなエネルギーの開発に力を入れてほしいです。

今年は、戦後80年の節目となる年でもあります。
昨日は、東京大空襲から80年でした。広島や長崎の被災者と同様、当時のことを
語れる方が減っているなか、若い人で語り部を受け継ぐ方たちも現れていることに、
希望を感じます。
一方、被団協がノーベル平和賞を受賞したのに、先日の核兵器禁止条約締結会議に、
日本は今回もオブザーバー参加もしませんでした。
世界情勢がいつになくきな臭くなっている今、核の傘に頼っている手前、できなかったの
でしょうが、一触即発の危険がすぐそこにある今だからこそ、
勇気を持って、核兵器の廃絶を訴えてほしいです。

数日前、雨上がりの散歩をしていたら、路地で、水仙が雨粒を宿し、清楚に咲いていました。
水仙はギリシャ神話のナルキッソスの物語から、「うぬぼれ」という花言葉がありますが、
「気高さ」もあるそうです。
寒い季節にいち早く咲くことから、縁起が良いと言われているとも聞きました。
どうか被災地が元気に復興を遂げますように。そして、世界が良い方向に向かいますように。
あの日から14年となる今日、私も早く元気になって、できるだけのことをしようと、
新たに心に誓います。

大船渡の山林火災の一刻も早い鎮火を願って2025年03月02日 11:10

先月26日に発生した大船渡の森林火災が、延焼を続けています。
住宅の被害は、少なくとも84棟、消失した面積は1800ヘクタール。数日で、これほど大きな火災になるなんて、想像を絶します。

大船渡は東日本大震災で最大10メートルを超える津波に襲われ、甚大な被害を受けた街。
能登もそうですが、なぜ同じ場所が繰り返し大きな災害に見舞われるのでしょう。
とても理不尽で、どんな思いで避難をされているのかと思うと、胸がつまります。
LAでの森林火災で、友だちが避難したのはついこの間のことです。
恐ろしい災害が、今度は東北で起こるなんて。

今日も風が強く、消防活動が難航していると聞きます。
亡くなった方の御冥福をお祈りするとともに、一刻も早く火が鎮まることを願っています。
そして、消火にあたっている方々が、どうか無事で、怪我などありませんように。

義援金の呼びかけが始まっています。こちらが大船渡市のホームページです。
↓↓

その他NPOやドコモ、Yahooも受け付けています。(詐欺には注意してくださいね。)

東北には友だちが何人かいて、東日本大震災のときとても心配しましたが、
大船渡市には、高校時代の、ささやかな思い出があります。

当時、新沼謙治さんの素朴な人柄に惹かれてファンになったわたしは、
初めてファンクラブなるものに入りました。
抽選で本人から電話がかかってくるとのことでしたが、ある午後、学校から帰ったら、
本当にかかってきて、びっくりしました。
お母様のお名前がわたしと同じ「文子」であることや、
故郷の大船渡について、とても美しいところだと言われたのを覚えています。
(後ろから、最初に電話を取り次いだ事務所の方が「もう時間ですよ!」と何度も言って
いるのに、少し長く話してくれる優しい方でした。歌の好みはその後いろいろと
変わっていきましたが、あの優しさは忘れません。)
風がやみ、消火活動が進んで、その美しい大地が、できるだけ守られますように。

「みんな一緒に生きている」2025年01月30日 22:36

痛ましい事故や事件が続いています。
悲しみややりきれなさに胸がつまります。
自分は呑気に生きてていいのかな、と思ったりもします。
そんな思いに駆られて、切なくなる人は、たくさんいるでしょう。
どうして?と問いかけても、こたえは返ってきません。

以前、東日本大震災の被災地、大川小学校のあとを訪れたとき、
語り部の若者が、ここであったことをずっと伝えていきたいと言いながら、
最後に口にした言葉が、ずっと心に残っています。
「亡くなった先生も生徒も、地域の人たちも、みんな一緒に生きている。
そう思っています」
おだやかな口調。静かな声。やさしく、それでいて真剣な瞳…。

そういう気持ちで、この場に立っている。そう思って生きているし、
これからも生きていく。そんな決意だと感じました。
今も時々思い出しては、彼の思いを、私はきちんと汲み取っているのかなと
考えたりもします。

去年のこと。
同じ時期に闘病生活を送ったのに、マーガレットは亡くなり、私は生きている。
なぜ彼女であり、私ではなかったのか。
どうして?と問いかけても、こたえはありません。
でも、彼女の分も生きることを、きっとマーガレットも望んでいると、
今は思っています。

広い宇宙で、同じ星に生まれたことは、きっと奇跡。
生きている者の命は、自分だけの命ではない。
亡くなった人も、生きている人も、みんな一緒に今を生きている。

こたえはわからないけれど、亡くなった人の人生を慈しむように、
その人たちの分も丁寧に生きること。それが大切なのかな、と感じています。

祈りの日 20242024年03月11日 22:10

3月11日。あの日から13年の歳月が流れました。
地震のあった午後2時46分、そして、能登半島地震のあった午後4時10分にも、
各地で黙祷が捧げられたと、テレビのニュースで伝えていました。
東北の方々が、能登の人々へ思いを伝えている姿に、
また、能登の人々が、東北の人々への祈りを捧げている姿に、心を打たれました。

ずっと、忘れてはならないこと。忘れてはならない日。
関連死を含めて亡くなった方と行方不明の方は2万2222名。
今なお2万9千名以上の方が避難生活をされているそうです。
福島第一原発事故の被害も影響も、依然深刻です。廃炉への道も不透明。
そんな現状にもかかわらず、そして元旦の大きな震災があったにもかかわらず、
原子力規制委員会は、能登半島にある志賀原発の再稼働を問題がないとしています。
不安で仕方ありません。地元の方はなおさらではないでしょうか。

実際に被災した方にしかわからないことが、たくさんあると思いますが、私も私なりに、
いろいろ考え、伝え続けていきたいと思っています。

言葉にできない思いで、胸がいっぱいになるとき、私はよく散歩に出ます。
今日の午後は、家から少し離れた街をあてもなく歩きました。
途中、小さな公園に、ボランティアの方が作った花壇を見つけました。
とても清楚な白い水仙がたくさん。黄色い水仙も愛らしいです。
もうネモフィラが咲いていて、名前の分からない隣の濃い紫の花の隣で揺れていました。
昨日までは強風が吹いていたのですが、とても静かな午後でした。
花たちも祈りを捧げているように思えました。

水仙

ネモフィラ、水仙

北陸のソウルフード(揚あられ)ビーバー3種2024年03月09日 17:38

先日、金沢の友だちが、地元を応援したいから、と送ってくれた北陸のソウルフード、
揚あられのビーバー。すぐになくなり、私も北陸応援にと(というより食いしん坊だから?)オンラインショップで取り寄せました。美味しいですよ〜♪
左から、梅味、カレー味、普通?のビーバー。白えび、カニ、あおさもあります。
北陸製菓のサイトによると、1970年の万博のカナダで展示されていたビーバー人形の歯と
お菓子を2本並べた形が似ていることが名前の由来とか。
ほどよい塩加減と昆布の旨味と書いてありますが、その通り。
封を開けると止まらなくなって、ほんと「危険なお菓子」です。

ビーバー3種

能登の地震から、2か月以上。
まだ断水が続いているところがあって、どんなに大変な毎日だろうと胸が痛いです。
どうか、一日も早く復旧しますように。皆さんにおだやかな笑顔が戻りますように。

そして、11日には、東日本大震災から丸13年を迎えます。東北もまだ復興半ばです。
津波あとの大川小学校の光景や、語り部の方たちのお話が、ずっと忘れられません。
せめて、今も行方の分からない4人のお子さんたちが、見つかりますように…。
その方たちを含めて、東日本大震災の行方不明者は、2520人だそうです。
そんなにたくさんの方の行方が未だわからないという現実に、言葉がありません…。

また東北を旅したいです。
そして、もう少し落ち着いたら、北陸にも足を運びたいです。

地震大丈夫でしたか?2024年01月01日 19:59

元旦から、大きな地震が起こりました。
石川県能登地方には大津波警報が出ています。東日本大震災を思い出します。
名古屋もかなり揺れました。
足の悪い母をテーブルの下に避難させるのは思った以上に時間がかかりましたが、
それでもまだ揺れていました。長かったです。

みなさまのところは大丈夫でしたか?
被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

いまニュースを見ていますが、火災が発生しています。早く収まりますように。
また、救助を求めている人々が多いとのこと。早く救助されますように。
原発のニュースも入ってきました。とても心配です。
どうか、被害があまり大きくなりませんように、そして、新しい年が、
できるだけおだやかな一年でありますように。
静かでおだやかだった今朝の初日の出を思い出しながら、そう心から祈っています。

2024年、名古屋の初日の出

坂本龍一さんを偲んで2023年05月03日 22:30


午後の水晶のような月

憲法記念日の夕方。5時半過ぎに近所に買い物に行くと、まだ明るい東の空に
月がぽっかり浮かんでいました。満月が近くなって月の出が少しずつ遅くなっています。
青空にこんなふうに水晶のように透ける月も、とても好きです。
(月は画面中央です。クリック拡大で、模様もなんとなく見えるといいな。

坂本龍一さんの訃報に接してひと月が過ぎました。
反戦と脱原発を訴え、環境問題も真剣に向きあっていた「教授」。
今も空の上から、憲法9条を守りたいと願っているに違いありません。

フィギュアスケーターの三原舞依さんが、先月の国別対抗戦で、シーズン締めくくりとなる
『戦場のメリークリスマス』を滑っていた姿が思い出されます。
彼女の天上的な舞には、坂本さんへの心からの追悼が込められていました。
映画公開当時、彼の音楽も、デヴィッド・ボウイという同じく世界的な音楽家との共演も、
楽しみだったのを思い出します。
戦争のむなしさを描き、強く平和を願う作品で、美しいピアノ曲が、観終わったあとも
ずっと心に響いていました。

東日本大震災から12年になるこの春、坂本さんは新聞に(我が家の場合は中日新聞)
原発に反対するメッセージを寄せていて、切り抜いてデスクに置いていたのですが、
そのすぐあとに亡くなられてしまい、大きな衝撃を受けました……。
そのメッセージのなかで、坂本さんは、
「なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう」と
疑問を投げかけています。
放射性廃棄物の処理の仕方も未解決で増える一方だし、2011年の原発事故の汚染水、
処理水も増える一方。世界一の地震国だというのに、なぜだろう、と。
本当に、わたしも不思議でなりません。

東日本大震災の原発事故を受けて、ドイツは、当時のメルケル政権が脱原発を決断しました。
そして、ロシアのウクライナ侵攻という逆風のなか(実際、反対意見も増えつつあるなか)、
先月、脱原発を完了しました。
痛みをともなっても、未来をしっかり見つめ、賢明な決断を下した勇気に敬服します。

なのに、事故当時国のこの国は、まったく逆方向へと動いていて、悲しくなります。
そして、二度と戦争をしないと誓った憲法9条を変えようとしていることも悲しいです。
水晶のような澄んだ月を見上げ、坂本さんを偲びながら、
日本が平和への道をしっかりと歩み、未来を築く若い人たちが、ひとりでも多く
の遺志を受け継いでいってほしいと願いました。

3月11日 13年目の祈りの日2023年03月11日 17:07

東日本大震災から12年。今日は犠牲になった方々の13回忌です。
2時46分、テレビに映る被災地の方々とともに黙祷を捧げました。

信じられないくらい大勢の方が亡くなり、未だに行方不明の人も、
仮設住宅で暮らしている人も多いという現実。
守ることができた命、防ぐことができた被害もあったことを思うと、
いっそう胸がしめつけられます。
学校の裏山に逃げれば助かった大川小学校の子どもたち…。
今、『「生きる」大川小津波裁判を闘った人たち』というドキュメンタリー映画が
公開されています。
また、地震の3年前、最大15.7メートルの津波が来る可能性があるとの
報告を受けながら、対策を怠った福島第一原発…。
3年あれば、あの日の津波を防ぐだけの防潮壁を充分に築け、未曾有の原発事故は
起こらなかったはずです。

震災の記憶が風化していっているのか、目先のことしか考えていないのか、
政府は、原発の運転期間を延長する法案を閣議決定しました。
この地震大国で、都市開発が進み、高層ビルが次々と建てられていることには
不安と違和感を覚えます。
なによりも、東北の復興(他の地震や災害の被災地もふくめて)が第一では
ないでしょうか。
世界情勢を理由に原発回帰するのではなく、この機に再生可能エネルギーを増やし、
食料を国内でまかなえるよう農業に力を入れてほしいです
被災地を訪れたとき、若い語り部の方に聞いた言葉が、ずっと心にあります。
「亡くなった人たちも、みんなで一緒に生きている」
被災地や弱者に寄り添う国になってほしいと切に願っています。

暖かな日が続いていますが、東北では本格的な春はもう少し先でしょうか。
震災の犠牲になった天国の人たちに、そして、今も辛い思いをしている被災者の方々に
心からの祈りを込めて、名古屋で咲き始めた青空に映えるミモザの写真をアップします。

咲き始めたミモザ