『かぞくいろ』 〜 喪失と再生の物語 ― 2018年12月13日 13:40

突然夫を失い、彼の連れ子とふたりで残された女性が、その男の子とともに絶縁状態だった夫の父を訪ねるところから、物語は始まります。
愛する人の喪失という痛みを共有する三人は、一緒に暮らし始めますが、それは、お互いをそっと気遣う、一歩引いたやさしさの上に成り立ち、最初から、どこか危うさを秘めています。
やがて、血のつながらない家族は、ある出来事をきっかけに……。
映画は、一両だけの肥薩オレンジ鉄道が走る美しい海沿いの光景を背景に、もろかったその絆が、静かに再生へと向かう過程を丁寧に描いてゆき、彼らに幸あれと祈らずにはいられませんでした。
物語にそっとよりそう音楽も、観る者の心に染みます。
〈サラファーンの星〉にも、血のつながらない家族が登場します。
主人公のひとりハーシュは、幼いころ父を失い、母の再婚にともなって、サンザシ館にやってきた少年。新しい父ダンと、義兄のジョサとようやく打ち解けかけたころ、母が事故で亡くなり、三人の関係はぎくしゃくしてしまいます。
ダンは、血のつながりはさして重要ではなく、愛こそがすべてだとの強い信念を持っており、ハーシュと気持ちを通わせようとしますが、彼の心は星よりも遠く思われます。
一方のハーシュは、村の少年に父を侮辱されて暴力事件を起こしますが、理由をいえるはずもありません。また、ふたりのあいだに立つジョサにも、胸に秘めた思いがあり、わたしは、そんな家族の行く末を、やはり、祈るような思いで書いていました。
家族とは、家庭とは、血のつながりがあるなしにかかわらず、心がいつでも戻れるところではないでしょうか。そんなふうに感じます。
子どもだったわたしが、世界で一番好きだったのは、母方の祖母でした。無償の愛でわたしを包んでくれた祖母は、安心して羽を休めることのできる、たったひとつの心の港でした。
その祖母が、血がつながっていないと知ったのは、七歳のときです。
祖母は祖父の三番目の妻なのだと母が話してくれたのです。そして、祖父母は母の養父母で、本当は叔父夫婦にあたるのだと。
その話を聞いたときのことは、いまでもはっきりと覚えています。
小さなわたしは、こう思いました。
大好きなおばあちゃまとわたしには、血のつながりはないんだ。
普通なら、ここでショックを受けるのかもしれない。でも、全然ショックじゃないな。
血は関係ないんだ。大切なのは血のつながりではないんだ、と。
幼い子どもにとって、それは、人生で最初の悟りでした。
わたしは、大人びた子どもではありませんでした。全く逆で、なにをするのも遅く、いつまでも子どもっぽかったと思います。でも、そのときは、強烈に心を揺さぶられたのです。
二年後、祖母は亡くなり、最愛の人を失った世界は、色彩を失ったようでした。
祖父もあとを追うように亡くなりました。
けれども、祖母の連れ子である叔父は、いまも元気で、時々一緒に食事をします。大切な家族です。
祖母は百合の花が好きでした。祖父がよく大きな花束を贈り、祖母が居間に飾っていたのを思い出します。今日は祖母の命日。百合の花束を手に、墓地を訪れました。
『かぞくいろ』を一緒に観た友人は、小学生の男の子のいる男性と結婚し、その男の子を愛情たっぷりに育てました。いまや立派な青年となった彼は、映画の駿也くんのように、彼女を名前で「ゆかちゃん」と呼んでいたものです。
それもいいな、と思いました。家族の形や呼びかたにこだわることはないのですから。
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