「人々を分け隔てるなんて馬鹿げている」とポールは言った2023年11月13日 14:59

1964年アメリカ。
7月に公民権法で人種差別が禁じられたものの、南部ではまだ偏見が根強く、
ジャクソンビルでのビートルズ公演は、黒人と白人の席が別々になっていました。
それを知ったビートルズは、それなら演奏しない、ときっぱり宣言。
結果として、誰でもどこでも座れる、今では当たり前の公演が行われました。
当時のポールの音声が残されています。
「人々を分け隔てるなんて馬鹿げてる(silly)。黒人だってぼくらと何も変わらないよ。
みんな同じ人間じゃないか」

コンサートは9月。法律の成立からたった2か月。その政策を進めたケネディ大統領は
前年の11月に暗殺されています。人権活動家が殺される事件も起きている中での
危険と裏合わせの、公演でした。

階級の壁を軽やかに乗り越えた若者たち。ポールは同じ会見で、
「黒人を動物かなんかと思っているのか? 馬鹿らしいよ(stupid)」とも言っています。
動物だって、もっと尊厳を持って扱われることもあるのに、本当に馬鹿らしいことです。

障害者を動物かなんかと思っているのか? と言いたくなる事件もあります。

最近、地元の企業で、全国的に規模を広げた障害者施設が、家族から集めた食費を
それぞれのグループホームにはわずかしか渡していなかった事件がありました。
一日の食費が100円のところもあったそうです。障害者の親が面会に行ったときに
ちょうどお昼の時間で、少しのご飯に、牛丼のもとをスプーン2杯ぐらいかけただけの
食事で、びっくりしてスマホに撮った写真が、中日新聞に載っていました。
入所者たちはガリガリに痩せ細り、可哀想に思ったスタッフが自腹を切って食費を足したり、家からポテトサラダを作って持っていったりしたこともあったそうです。
食事のことだけではなく、障害者をただ放っておくだけのところもあったとのこと。
衝撃でした。

甥っ子のために、妹が施設を探していたとき、その系列のグループホームしか
空きがなく(結局、甥っ子の症状があまりに重く、断られたのですが)、
その後、追い込まれた妹は、重いうつ病を発症しました。
甥っ子の同級生には、その施設に入ったお子さんもいます。どうしているかと思うと
胸が痛いです。
(悪徳施設がまかりとおっていた裏には、丁寧なケアの必要な重い障害者を無視した
国の政策にも、大きな問題があると感じています。)

たとえ言葉が出なくとも、障害者にも、思いがあり、心があります。
姪や甥と接していて、深く感じます。
心の中には、とても豊かな世界が広がっていると。
それを、音楽や絵画、文章で表現している障害者もたくさんいます。

どんなことでも、人を分け隔てるのは、本当におかしなことです。
国が違っても、肌の色が違っても、宗教が違っても、考え方が違っても、
性別がどうあっても、みんな同じ人間です。
殺し合うことも、間違っています。
ビートルズは、愛と平和を歌いました。
「人生はとても短い。言い争ったり、喧嘩したりする時間はない」のだから。

スリムレッド🍎今年も群馬から届きました2023年11月06日 14:45


スリムレッドと銀河鉄道定規

今年も届きました。従兄の庭の可愛い林檎、スリムレッド。
とってもジューシーで、さわやかです。
大きさ(小ささ)がわかるように、隣に並べたのは、杏の花を見に行った名古屋大学の
生協で買った定規です。銀河鉄道の夜みたいな雰囲気で、お気に入りです。
壁際の定規との高さをできるだけ合わせようと🍎をのせているのは、
こちらもお気に入りの洋書、Melling の"The Hunter's Moon"
妖精たちが舞っている素敵なジャケットです。
(『妖精王の月』というタイトルの邦訳があり、惚れ込んで、原書を買いました。)
林檎も神聖なイメージや、妖精の国の果物という感じもあり、酸味のある新鮮なものが
大好きです。だからかな、『ユリディケ』でも四部作でも、何度も登場させてしまいます。

ビートルズの新曲とピーター・ジャクソン2023年11月04日 12:13

ビートルズの新曲がついにリリースされましたね♫
かつて、ポール、リンゴ、ジョージの三人は、ジョンが残していた音源からこの美しい曲
Now and Thenをよみがえらせることを、一度はあきらめたそうです。
けれど、『ザ・ビートルズ Get Back』のドキュメンタリーを制作したピーター・ジャクソン
(トールキンの『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』シリーズの監督!!)のチームが
音源から楽器や声を分離できるAI技術を開発したことから、ポールが可能では?と考えたと
伝えられています。

そして、よみがえった〈最後の新曲〉Now and Then。
哀愁を帯びたメロディと切ない歌詞に胸がつまります。

「おりにふれて、君が恋しい……」

ジョンはビートルズのメンバーに呼びかけたのではと言われていますが、
歌を聞く者それぞれが、愛しい人を思い浮かべてもいいし、
愛に満ちた素敵な曲だと思います。
昨日のニュースでは、彼らの出身地リヴァプールの人たちが涙を流して聴いていました。

愛がすべてと歌い続けたビートルズ。
世界が争いにあふれるいま、本当に大切なメッセージだと思います。

ピーター・ジャクソンが監督したミュージックビデオが、
YouTubeのビートルズチャンネルで公開されています。
とても素敵で、嬉しくて、そして、切なくなります。
是非チェックしてみてくださいね。

ピーター・ジャクソン監督は、ミュージックビデオなんて撮ったことがないし、
ビートルズの新曲のMVを引き受けるのは、ものすごくプレッシャーで、自分は
楽しみに待つ側でいたい!と思ったそうです。そんな彼が引き受けるに至った過程など
ユニバーサルミュージックのサイトで日本語訳を公開しています。
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ローレアとエーデルワイス2023年10月12日 17:40


ローレアの花by Jam
                                                                                 ©copyright Jam

絵が抜群に上手な友人が描いてくれたローレアの花です。いろいろと細かに私の注文を
聞いて、丁寧に何度も描きなおしてくれました。
最果ての国リーヴェイン(『ユリディケ』ではウォルダナ)にだけ咲く草花。
早春からいっせいに咲き始め、晩春まで草原や森を水色に染めます。
その光景の美しさから、ローレアの咲く季節にこの国を訪れた者は、必ず戻ってくる、
といわれています。

『麗しのローレア』は、旧世界からユリディケの時代まで歌い継がれている歌です。
公式サイトには、花の説明や全編を載せていますが、ここでは一番の歌詞を。
故郷をはなれた旅人の心を歌っています。
物語では、戦地で若者たちが故郷を思って歌います。(最後、終末を迎えた世界では、
人の世界を想う歌となります。)

早春の丘を水色に染める
麗しのローレア
われ遥かな地をさすらうとも
雪解けの故郷に
永遠(とわ)に可憐な花を咲かせておくれ

*物語中では、「永遠に」を前の行の最後に入れていますが、最後の行に入れたほうが
しっくりくるので、最後にしました。

花を歌った歌は、世の中にいくつもあると思いますが、
大好きな映画『サウンド・オブ・ミュージック』の『エーデルワイス』もそのひとつ。
音楽祭でタラップ大佐が歌うシーンは、何度見ても泣いちゃいます…。
ナチスドイツにオーストリアが併合された時代、失われたオーストリア国家を
象徴する歌として、深い想いを込めて歌われていたから。
(この歌は、別のシーンでも登場しますが、そこもまた、別の意味で泣いちゃいます。)
『麗しのローレア』は、そんな『エーデルワイス』のように、リーヴェインの人々にとって
心の歌であってほしいと思って作った曲です。

そのエーデルワイスの花を、昔、イタリア人の友人が故郷のアルプスの山から
押し花にして送ってくれました。
生まれて初めて見るエーデルワイス。
ふわふわと綿毛のある、グリーンがかった白い素朴な花。とても感激しました。
友人の実家はスイスのすぐ近く。オーストリアも近く、エーデルワイスがたくさん
咲いているそうです。
彼はエルサレムの神学校出身。イスラエルとイスラム組織ハマスとの突然の戦争に、
どんなに胸を痛めているでしょう。
世の人の心には、野心や闘争心、他を支配しようという思いではなく、
野に咲く花のような、素朴さややさしさがあってほしいと願います。

虹色の蝶2023年10月03日 17:00

虹色の蝶は、『ユリディケ』においても〈サラファーンの星〉四部作においても、
象徴的な存在です。
120年に一度、オオユリの木の花が春いっせいに花開くときだけ、その群生地に
虹色に輝く蝶が発生し、飛び交うという、伝説の蝶。

背の高い木々に、ばら色の大輪の花が咲き、虹色の蝶が無数に飛ぶ情景が浮かんだとき
それはなぜか、120年に一度しか咲かない花だと思いました。
120という数字が頭に現れ、そのまま使ったのですが、
笹は60年に一度しか開花しないとあとから知って、ならば、120年に一度というのも
それほどおかしな話ではあるまいと思いました。

でも蝶は? 卵を生んで、それが120年近くももって、次の世代に受け継がれるのは
なんだかおかしくないか? そう感じ、どうなっているのかなと考えて、
ある日、思いつきました。

この蝶は、いつもの春も、飛んでいるんだ。たぶん、白い蝶として。
毎年、オオユリの木に卵を生むに違いない。
幼虫はその葉を食べてサナギになるんだけど、花が咲く年の葉っぱには、特別な
成分があって(あるいは樹液に)それが白い蝶の羽を虹色にするじゃないかな、と。
オオユリの木は、蝶に栄養を提供していますが、きっと、蝶あるいは幼虫からも
逆に、なにかを与えられているに違いありません。
なにかなぁと思うけれど、いまだに、わたしの中では謎です。

現実に、ユリノキという木があることも、あとから知りました。
もっとよく調べて、独創的な名前にすればよかったです。
今ならネットですぐに調べられるんですけれど、『ユリディケ』を書いたのは
35年も前のこと。よく覚えていませんが、たぶん、祖母が百合の花が好きだったので
そこから思いついた名前ではなかったでしょうか(ほんと、物覚えが悪いというか
物忘れが激しいというか…)。

オオユリの木は、フィーンの遥かな故郷から運ばれた木です。実際に木を船に
運び込んだものと、一緒に星の海を渡った銀色狼のたてがみに種がついていて、
それが新たな世界で育ったのと、二通りあった気がしています。

遠いフィーンの世界は滅亡し、四部作では人の世界も一度滅びてしまうけれど、
どうかこの美しい世界が滅びませんように。日々の小さな選択が、大きな違いを
うむと思うので、それをいつも心に留めていようと思っています。

右耳の反乱2023年08月18日 21:17

8月13日の夜明け、ゴーッという地響きのような音で目が覚めました。
左の方から聞こえてきます。
台風が早く来たのかとびっくりしましたが、その後エアコンの音だと気づきました。
ただ、エアコンは右手にあるし、その音が異様に大きいので、もしや、と思いました。
前に、左耳が突発性難聴になったときと同じ感覚です。
水音や金属音、陶器の食器が立てる音、機械音など異常に大きく響くのです。
試しに声を発すると、自分の声も大きく聞こえて気持ち悪い。
左耳を塞ぐと、右耳があまり聞こえていません。まずい状態です。
今日はお盆で日曜日。そのことも、非常にまずい。
突発性難聴は、発症して48時間以内に治療を受けないと治りが悪いといわれています。
すぐに近所の耳鼻科のHPを調べました。ああ、やっぱり。15日までお盆休みです。
救急病院に行くという手もありますが、この酷暑。救急病院は、熱中症など
命の危険にかかわる人にとっておくべきだと判断し、近くのドラッグストアで
ビタミンB12の入った市販薬を買ってきました。

翌朝。症状は良くなるどころか、悪化しています。
困っていると、母が言いました。大きな病院はお盆休みとかないわよ、と。
え? そうなんだ! でも、大きな病院は紹介状がないと診てもらえません。
紹介状をもらうには、近くのクリニックとか行かなければなりません。
待てよ。思い出しました。事故で骨折した時、救急車で病院に担ぎ込まれたから、
その病院の診察券があります。そして、紹介状ないけど、病院が開いているなら、
それほど遠慮しなくても救急病棟に行ってもいいかも。

というわけで、急いで朝ごはん食べて(食べる音もものすごく響きます。本当に
不思議です。片耳があまり聞こえないのに、なぜ音がいつもより大きくなるのかな)、
地下鉄に乗り、7時50分には病院につきました。
紹介状がないので、まずは救急の診察を経て、耳鼻科へ。
すごく混んでいましたが、救急枠で診察してもらえました。優しい先生で、ほっとしました。
片方の耳で突発性難聴をやっていると、もう片方でなることもあるそうです。
聴力検査をしたら、低音部が聞こえていないけど、高音部は聞こえているから、
まずはステロイドではなくて、別の薬を試しましょうということに。
「この薬、すごくまずいんだよね。ぼくは飲めるけどね。頑張って飲んでね」
先生、試しに飲んでみたのでしょうか。(薬を頑張って飲むよう言われたのは初めてです。)
診察の後、検査をはさんで、また診察で、そのあと血液検査もしたりして、最後に
薬をもらって病院を出たのが1時20分過ぎ。5時間半の滞在で、疲れました〜。

薬は、まずいとお墨付きなだけあって、超まずいです(シロップです)。食後の薬なので
ご飯を食べている間は、なるべくそのことを考えないようにするのが第一のポイントです。
食前の漢方薬も一緒にもらいましたが、漢方のまずさなんて吹き飛ばす素晴らしいお味。
けれど、背に腹は変えられません。コップに入れて一気飲みして、そのあと水をがぶ飲みし、
最後に歯を磨いて紛らわすのが第二のポイント。
「頑張って」5日間飲み続け、少しずつ右耳の聴力が戻ってきました。
来週の診察までに良くなりますように。
(突発性難聴は、完治の確率が30%と言われています。左耳は完全にはもとに戻り
ませんでした。右耳は完治するといいなぁ。)

ところで、台風7号ものすごかったですね。名古屋も荒れましたが、警戒レベル5の
鳥取に親戚と母の友人がいたので、ドキドキしました。連絡したところ、母の友人は
避難所に行くのに橋を渡らなくてはならないから、行けないとのことでした。
一夜明けて、無事だと連絡をもらって、ほっとしました。
でも、亡くなられた人やけが人が出るなど、全国的に被害がひどくて、胸が痛みます。
ハワイのマウイ島の山火事も、まるで戦場のようで、言葉になりません。
ハリケーンによる風の影響とのことですが、電力会社が送電を停止しなかったことや
サイレンが鳴らなかったことなどが被害を拡大したそうですね。
美しい島、素敵なラハイナの街を思い、悲しくなります。
ハワイの従姉は、いま、一時帰国していますが(彼女の家はオアフ島なので無事でした)、
これまで、これほどひどい山火事はなかったと、ショックを受けています。

台風やハリケーンの巨大化は、間違いなく、地球温暖化(沸騰化)の影響でしょう。
本当に、わたしたち人間は、立ち止まって、真剣に未来の世代のことを考えなくては
ならない地点に来ていると思います。

平和のバトンを未来に2023年08月09日 18:21

一度去ってから戻ってきた台風6号が猛威を振るっています。
7号も密かに近づきつつあります。いま、名古屋でも雨が時おり降り、風がひゅうひゅうと
うなっています。どうかあまり被害が大きくなりませんように。

今日は長崎に原爆が投下されてから78年。
平和宣言をされた長崎市長のご両親は、どちらも被爆者だそうです。
長崎を最後の被爆地にするため、次世代に平和のバトンをつなぐ決意を話されました。

長崎と広島になにが起こったか、まずはそれを知ることが、核兵器廃絶への第一歩。
特に世界のリーダーといわれる政治家や企業家には、ふたつの被爆地をゆっくりと訪れ、
核の実情を知ってほしいです。

どちらも本当に美しい街で、以前訪れた時、戦時下で起こったこととのギャップに、
衝撃を覚えました。
広島で原爆ドームと資料館を案内してくれた友人は、子どもたちが学校で平和教育を
丁寧に受けていることに驚いたし、とても心を動かされたと言っていました。
きっと長崎でもそうでしょう。日本中の学校に広がれば、それが力になるはずです。

核兵器が戦争の抑止力になるなど幻想に過ぎないことを、ウクライナに侵攻したロシアが
はっきりと示しました。
「抑止力」は武器にあるのではなく、私たちひとりひとりの心にあるのです。

鎮魂と祈りの日。ひとりの声は小さいかもしれないけれど、いくつも集まれば、
世界を動かせると信じて、平和のバトンを未来へとつないでいきたいです。

雲間の満月2023年08月01日 23:44


名古屋の満月

やはり今夜が満月でした。名古屋の空を見上げて待っていたら、雲間から白銀の光を降り注いでくれました。
こんなふうに、まわりに雲がある月もとても好きです。