金星と土星のランデブー(&海王星) ― 2025年05月03日 16:34
最近は、疲れてバタンキューと眠っても、夜中に何度か起きてしまうのですが、
今朝、4時に目が覚めたとき、久しぶりに夜空を眺めてみる気持ちになりました。
(このところ、目覚めてもぼうっとしていて、そのままベッドで何時間か起きている、
という感じだったのです。)
東の空にとっても明るい星が見えていました。明けの明星です。そのほんのすぐ隣に
そっと寄り添うように小さな星が。
国立天文台のWebサイト「今日のほしぞら」で調べたら、土星でした。
そして、肉眼では見えないけれど、小さな小さな三角を描いて、海王星もほとんど
同じ位置にありました。天体望遠鏡で見たら、見られたでしょうね。
昨日の土砂降りで、空がきれいになったのかな。金星と土星が、夜明け前の空に
本当に美しかったです。しばし、見とれてしまいました。
20分ほどすると、地平線がほの赤くなって、土星の光が薄れてゆくなか、
明けの明星はなお、きらきらと明るい光を放っていました。
ようやく母の介護認定が降り、要支援2ということで、支援の場合は、
地域包括センターとの契約になるそうで、昨日は、足元の悪いなか、
ケアマネさんとセンターの担当の方が一緒にいらして、本契約を結びました。
それから、介護度が決定したことで、週一だった訪問リハビリも、週二回OKになり、
ケアマネさんがさっそく訪問リハビリの方に電話をして、来週から増やせるよう
手配してくださいました。
とってもやわらかな口調と態度の方なのですが、お仕事はすぐにテキパキと進められ
本当に感心してしまいます。
リハビリの理学療法士さんたちからも学ぶことが多いです。
今朝はたぶん、介護認定が降りたことで、これから本格的にリハビリも進めていけるし
ほっとしたことで、空を見る余裕ができたのかな。見てよかったです。
惑星があんなに近くでランデブーする素敵な星空が見えたのですから。
話は変わりますが、母の入院中、お風呂が焦げ臭い匂いがしたことがあります。
その少し前、リンナイの浴室乾燥機のリコールのニュースを見ていたので、
ちょっとあれ?と思いました。経年劣化で火災の危険性があるというニュースです。
でも、そのとき、新聞に出ていた型番をチェックしたら、我が家のと違ったので、
安心していたのでした。
そして、母が退院したあとのこと。お風呂の乾燥機が動かなくなってしまいました。
ガス会社の方に連絡して、調べてもらったら、「これ、リコール品ですよ」と。
えええ〜っ!!!
「ほら。これです」と、ご自分のスマホで、リンナイのHPに詳しく書かれた型番リストを
見せてくれました。知らなかったのですが、新聞に出ていたのがすべてではなかったのです。
ということで、お風呂の暖房が使えなくなってしばらくたちます。
リコール品は、リンナイに連絡すると、安全装置を取り付けてくれるそうですが、
もう15年経っているので、替えどきだと思い、新しくすることにしました。
連休が入ってしまったので、工事はまだ先になります。
母は、骨折の影響で足が思ったように動かないので、湯船に入ることはできず、
シャワーチェアでシャワーを浴びるだけなのですが、お風呂の暖房がないと寒いといって
一日おきにしています。
私が力持ちだったら、ひょいっと抱えて湯船に入れてあげられるのになぁ。
これからまだいろいろあって、5月も何かと落ち着きませんが、
抗がん剤の副作用とも、なんとか仲良く(?)やっています。
しばらくのあいだ、金星と土星と海王星のランデブーは続くようです。
夜明け前に目を覚ましたら、ぜひ東の空を見てみてくださいね。
群馬の林檎便り〜可愛い花が咲きました ― 2025年04月27日 10:17
©️T.S.
今年も群馬の従兄から、林檎の花の便りが届きました。
愛らしく清らかな蕾と花に、いつも心がなごみます。
大好きな言葉が浮かんできます。
「天にありては星、地にありては花、人にありては愛。これ世に美しきものの最たらずや」
明治の思想家、高山樗牛(ちょぎゅう)が残した言葉だそうです。
31歳で早逝したといいますが、本当に大切なことを知っていた人だと思います。
我が家では、昨日、手すりの工事が終わり、母が歩きやすくなりました。
母の部屋とわたしの部屋の交換も、ほぼ中身が入れ替わり、生活しやすくなってきました。
訪問リハビリも(まだ回ですが)順調に進んでいます。
なにごとも一歩ずつ、ですね。
ロシアのウクライナ侵攻が、転換点を迎えようとしています。
「人にありては愛」
見せかけではなく、フランシスコ教皇が最後に望んだように、真の平和が訪れますように。
壁を築くより橋を架けよう〜ローマ教皇の思い ― 2025年04月23日 10:20
フランシスコ教皇が亡くなりました。
最近体調を崩されているとの報道に、いつかはと覚悟していましたが、
世界をよりいよい場所にしようと奔走した方が、またひとり天に召されてとても悲しいです。
分断を深める社会にあって、常に和解と平和を求め、自らの行動と言葉で
それを示した人でした。
「壁を築くことだけを考え、橋を架けようとしない人は、キリスト者ではない」と訴え、
広島と長崎を訪れたときは、核兵器廃絶のメッセージを世界に届けました。
茶目っ気のある人柄や、チャーミングな笑顔、貧しい人、弱い立場の人に寄り添う姿勢や
びっくりするほど慎ましやかな性格に、親しみを覚えた人は多かったと思います。
『旅するローマ教皇』という、フランシスコ教皇のドキュメンタリー映画があります。
抗がん剤治療が終わって、家で休んでいるとき、ソファに横になりながら
WOWOWで録画しておいたその作品を観ました。
映画は、遭難した船からの信号を沿岸警備隊かどこかが傍受するシーンから始まります。
それは、リビアからイタリア最南端のランペドゥーサ島へ難民を運ぶ船でした。
多くの犠牲者が出て、後に教皇がランペドゥーサ島を訪れ、鎮魂の祈りを捧げるシーンで
初めて教皇が画面に登場します。
世の中の無関心、不寛容に胸を痛める教皇の姿が印象的な冒頭です。
50カ国以上を周り、刑務所の受刑者とも触れ合い、イスラム教や正教会の指導者とも
対話の努力をし、カトリック教会全体を揺るがした性的虐待について謝罪し、
パンデミックのさなか、静まり返った世界では、ひとりで祈りを捧げる……。
心が洗われるとともに、深く考えさせられる作品でした。
フランシスコ教皇について知りたいと思う方だけでなく、混迷の社会に絶望している人、
光を見出したいすべての人にみてほしいと思う映画です。
教皇は、お医者様に止められても、公務を果たそうとしたと伝えられています。
亡くなる前日も、キリストの復活祭で、バチカンのバルコニーに姿を見せていました。
最後の最後まで、世界をよりよい場所にしようと願っていたことが伝わってきます。
その志は、あとに残るわたしたちへの贈り物だと思います。
親愛なるパパ様、貴方の魂が安らかでありますように。
これからは、空から地上を見守っていてくださいね。
母の入院。そして退院 ― 2025年04月12日 10:02
ちょうど四週間前の土曜日でした。
母が部屋で転倒し、大腿骨を骨折しました。
前にわたしが胸椎を骨折した際は、母が救急車に付き添ってくれたのですが、今度は逆。
救急隊員の方々には、今回も大変お世話になりました。ありがとうございます。
家族の非常事態ですので、具合が悪いなどとは言ってられません。
アドレナリン出まくりで、身体も動きます。
妹も飛んできて、一緒に先生の説明を受け、月曜には人工骨頭を入れる手術で、
翌日からリハビリが始まりました。
コロナが五類に移行するまでは面会禁止だったそうですが、幸い、毎日面会でき、
届け物をしたり、洗濯物を受け取ったりする時、顔を見ることができました。
先生はとても前向きで、母より高齢の方が、先日リハビリ頑張って2週間で
退院しましたよ、とおっしゃり、「それを目指しましょう!」と頼もしく、
その明るさに救われました。
また、介護申請をしたほうがいいと言われ、区役所に手続きに行きました。
福祉課で手続きをしたあと、地域包括支援センターに相談に行くよう言われ、
翌日、妹と二人で行ってきました。
障害福祉のことは、姪と甥が自閉症スペクトラムだったので、手続きが煩雑なことや
ソーシャルワーカーの方が忙しくてなかなか見つからないということも知っていましたが
高齢者福祉も一緒で、ケアマネさん不足で探すのが大変だと知りました。
制度も色々な決まりがあって、とても複雑です。
「二つの脳は一つよりよい」と言いますが、妹と私の脳では、どうも足りないようで、
1時間以上、いろいろと説明を聞きましたが、頭がパンク状態になってしまいました。
でも、相談に乗ってくださったスタッフの方が、とっても頑張ってくださって、
翌週には奇跡的にケアマネさんが見つかり、
母が退院したら、訪問リハビリと福祉用具の方たちと一緒に、我が家で母の様子を
確認しながら、担当者会議を開くことになりました。
介護認定が降りるのは一か月くらい先になるそうですが、
待ったなしの状況なので、先に動きます、と言われ、
本当に、みなさんに素早く動いていただけて、ありがたかったです。
わたしの方も、今後、母が生活しやすいように、家を整えなくてはなりません。
(母の部屋よりわたしの部屋のほうがトイレに近いので)
部屋を取り替えることにして、自分で動かせる小さな家具は移動し、
クローゼットやチェストなどのタンスは、中身だけ入れ替えることに。
こんなとき、魔法が使えたらなぁ。指をパチンと鳴らすだけで入れ替わったら、
どんなに楽でしょうね。
けど、魔法使いではないので、病院や地域のソーシャルワーカーの方々との連絡の合間に
少しずつすすめていきました。
母は膝も悪くてもともと杖を使って歩いていたので、どうなるか心配しましたが、
そうこうしているあいだに(結局、服の入れ替えは、まだまだ道なかばです)
リハビリをかなり頑張って、数日前、無事退院してきました。
杖を使って歩行できるようにならなければ、リハビリ専門病院に転院と聞いて、
家に帰りたい一心で頑張ったそうです。
退院の翌日には、ケアマネさんたちがいらして担当者会議を開き、福祉用具の方は
さっそくお試しのシャワーチェアを置いていってくださり、その日からシャワーが
できて、とても助かりました。
そして、その翌日から、ベッドの柵や、据置式のトイレの手すり(もともと手すりを
つけていたのですが、位置が高すぎて役に立たなかった)、家の中の歩行器や
四点杖が順次届き、また、廊下に手すりをつけるため、福祉用具の方が、建築士の方を
呼ばれ、一昨日には、最初のリハビリも始まりました。
なんだか嵐のような四週間でしたが、今日は週末で、久しぶりにゆっくりできています。
母は、入院中は検査やリハビリや面会の時間以外は、退屈だったそうで、
「退院してからのほうが忙しかったわ」と言っています。
怪我人は、治すのが一番の仕事ですから、病院で静かにしている時間も大切だったと
思います。
救急隊員の方々、病院の先生や看護師さん、理学療法士さんなどのスタッフの方々、
福祉用具や訪問リハビリの皆さん、区役所や地域包括支援センター(名古屋では、
いきいき支援センターと呼んでいます)の方々に支えていただき、
なんとか母も家で生活していけそうです。感謝の気持でいっぱいです。
それにしても、去年のわたしの入院と重ならなくて、本当にラッキーでした。
わたしが退院してから、化学療法に通院している間も、副作用で動けなくて、母が
すべての家事を引き受けてくれたので、もともと膝が悪かったところにもってきて、
それで負担がかかって、骨が折れやすくなっていたのかなと思います。
お母さん、ごめんね。
副作用もずいぶん軽くなってきたので、これからは、福祉の方々の力をお借りして、
わたしが頑張ろうと思います!
少し落ち着いたら、仕事にも戻れると思います。
待ってくださっている方がいらしたら、ごめんなさいね。
家族の危機に、うつ病の妹も、がんばっていろいろと手伝ってくれて、ありがたいです。
妹は疲れが出ると、膀胱炎を発症するので、心配ですが、
みんなで力を合わせれば、なんとかなるかな、と思っています。
病院や区役所に通う際、桜が蕾から日々開いていく様子や、新緑が少しずつ芽吹いていく
様に、心が慰められました。
冒頭の写真は、雨の日、バスを待つときに見かけた白い花。名前はわからないのですが、
雨粒を宿して、清楚な風情に惹かれました。
追記:優しい友人がこの花の名前を教えてくれました。
リキュウバイ(利休梅)といって、古くから茶花としても親しまれてきたそうです。
カワウのひなたぼっこ&春の花たち ― 2025年03月14日 11:30
暖かな日が続いています。
が、実は一週間ぐらい前からちょっと体調を崩しています。
気持ちいい陽気なのにもったいないなぁ。
先生に、抗がん剤で免疫力が落ちているからと言われ、あんなに注意していたのに。
喉が痛くて頭が痛くてだるい…ということは数年ぶりの風邪(鬼の撹乱)??
毎日5000〜6000歩、少々疲れているときも、頑張って歩いていたからだと
思われます。仕事の準備も、急にギアを上げてしまったし。
そんなわけで、この数日は家でゆっくりしています。
震災のことを思ったり、ウクライナのことを思ったり、なぜかときを同じくして
友人や先輩から、悲しいお知らせを受け取ったり。なんの力にもなれなくて
人生の切なさを思います。
悲しいことがあっても、世界が変わらずに回り続けるのが、昔から不思議でした。
ただ、本当は、地球もいつまでも回り続けるわけではないですよね。
だからいっそう大切な存在なのだと感じます。
体調を崩す前、頑張って遠くまで歩いていた時、見かけた光景から、いくつか写真を。
春を感じていただけたらいいな。
まずは、池の畔でひなたぼっこをするカワウ。通りかかると、羽を大きく広げて
じっと動かない鳥の姿が。岐阜にいた頃よく見たカワウです。
最初、彫像かなにかだと思いました。あまりにじーーっとしているから。
で、わたしも動かずじっと見ていると、ゆっくりと羽を動かして、片方ずつ
たたみました。(片方をたたんだら、もう片方をまた伸ばす。)
あ、生きてる! 暖かな日だったので、カワウもお日様が気持ちよかったのでしょうね。
こちらは八重の梅。淡いピンクで青空に映えて、すっくと伸びた姿が美しかったです。
ヒヨドリが、花をつついていました。蜜が目当てかな。
公園の片隅のむらさきのパンジーや、壁にきれいに飾られたハンギングバスケットにも、
思わず目を引かれました。
パンジーの蕾って、くるくる巻いていてとっても可愛いです。
黄色いパンジーも鮮やかで気持ちも華やかになりそうですね。
来週は寒の戻りがあるそうです。
どうぞわたしみたいに風邪を引かないようくれぐれも気をつけてくださいね!
あの日から14年になります ― 2025年03月11日 11:41
大船渡の山林火災は、避難指示がすべて解除され、本当によかったです。
でも、ニュース映像で映し出される被災地の惨状に、胸が痛みます。
東日本大震災から14年になります。関連死も含めて2万2千人以上の犠牲者が出ました。
単なる数字ではありません。
そのひとりひとりに家族があり、人生があり、夢があったはずです。
どんなに無念だっただろうと思います。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りしています。
昨日、ニュースで大川小学校の映像を見ました。震災遺構として整備されたようで、
以前訪れたときと違って、フェンスなどができていましたが、
そのときお話をしてくださった、娘さんをなくした方が、お話をされていました。
歳月が流れようと、残された方々の悲しみは、決して消えることはないと思います。
すごく辛いでしょうに、伝えていかないとという思いで、語り部をされているのだと
思います。子どもたちが生きた証と、二度とこんなことがあってはならないと
伝えるために。すぐ裏の山にさえ逃げれば、助かったのですから。
亡くなった子どもたちは、どんなふうに天から見つめているのでしょうか。
銀河鉄道の夜を描いた壁画は、まだ残っているのかな…。また必ず訪れたい場所です。
地震の翌日には、福島の原発で水素爆発が起こりました。
未だに故郷に帰れない人たちがいる現実を前に、政府は原発回帰に向かっています。
CO2削減のためといいますが、あの事故で、原発は安全ではないとわかったはずで、
気候危機を言い訳にするのは、とんでもないことです。
遅々として進まない廃炉。原発は結局、高くつきます。それは電気代に上乗せされて
いるんです。他のクリーンなエネルギーの開発に力を入れてほしいです。
今年は、戦後80年の節目となる年でもあります。
昨日は、東京大空襲から80年でした。広島や長崎の被災者と同様、当時のことを
語れる方が減っているなか、若い人で語り部を受け継ぐ方たちも現れていることに、
希望を感じます。
一方、被団協がノーベル平和賞を受賞したのに、先日の核兵器禁止条約締結会議に、
日本は今回もオブザーバー参加もしませんでした。
世界情勢がいつになくきな臭くなっている今、核の傘に頼っている手前、できなかったの
でしょうが、一触即発の危険がすぐそこにある今だからこそ、
勇気を持って、核兵器の廃絶を訴えてほしいです。
数日前、雨上がりの散歩をしていたら、路地で、水仙が雨粒を宿し、清楚に咲いていました。
水仙はギリシャ神話のナルキッソスの物語から、「うぬぼれ」という花言葉がありますが、
「気高さ」もあるそうです。
寒い季節にいち早く咲くことから、縁起が良いと言われているとも聞きました。
どうか被災地が元気に復興を遂げますように。そして、世界が良い方向に向かいますように。
あの日から14年となる今日、私も早く元気になって、できるだけのことをしようと、
新たに心に誓います。
大船渡の山林火災の一刻も早い鎮火を願って ― 2025年03月02日 11:10
先月26日に発生した大船渡の森林火災が、延焼を続けています。
住宅の被害は、少なくとも84棟、消失した面積は1800ヘクタール。数日で、これほど大きな火災になるなんて、想像を絶します。
大船渡は東日本大震災で最大10メートルを超える津波に襲われ、甚大な被害を受けた街。
能登もそうですが、なぜ同じ場所が繰り返し大きな災害に見舞われるのでしょう。
とても理不尽で、どんな思いで避難をされているのかと思うと、胸がつまります。
LAでの森林火災で、友だちが避難したのはついこの間のことです。
恐ろしい災害が、今度は東北で起こるなんて。
今日も風が強く、消防活動が難航していると聞きます。
亡くなった方の御冥福をお祈りするとともに、一刻も早く火が鎮まることを願っています。
そして、消火にあたっている方々が、どうか無事で、怪我などありませんように。
義援金の呼びかけが始まっています。こちらが大船渡市のホームページです。
↓↓
その他NPOやドコモ、Yahooも受け付けています。(詐欺には注意してくださいね。)
東北には友だちが何人かいて、東日本大震災のときとても心配しましたが、
大船渡市には、高校時代の、ささやかな思い出があります。
当時、新沼謙治さんの素朴な人柄に惹かれてファンになったわたしは、
初めてファンクラブなるものに入りました。
抽選で本人から電話がかかってくるとのことでしたが、ある午後、学校から帰ったら、
本当にかかってきて、びっくりしました。
お母様のお名前がわたしと同じ「文子」であることや、
故郷の大船渡について、とても美しいところだと言われたのを覚えています。
(後ろから、最初に電話を取り次いだ事務所の方が「もう時間ですよ!」と何度も言って
いるのに、少し長く話してくれる優しい方でした。歌の好みはその後いろいろと
変わっていきましたが、あの優しさは忘れません。)
風がやみ、消火活動が進んで、その美しい大地が、できるだけ守られますように。
ウクライナへの祈り ― 2025年02月24日 15:24
ウクライナの地にロシアが侵攻して、今日で3年になります。
そして今、ウクライナの頭越しに、
世界の平和を守るべき、国連の安全保障理事会の大国同士が
停戦に向けて協議を始めています。
戦争が始まった当初、侵攻の直前、クリスマスを祝うウクライナの人たちの映像が、
よく流れていましたが、本当に平和そのもので、忘れられません。
希少な鉱物や資源のために、平和な小国を好き勝手に踏みにじるなど、
あってはならないこと。どれだけ資源や資産を持っているかではなく、人びとが
どれだけ豊かで寛大な心を持っているかが、本当に大切なのではないでしょうか。
世界で大規模な災害が相次ぐなか、互いに争うよりも、いかに助け合うかが
問われていると思います。
今日、散歩をしていて、ほころび始めた梅の花を見かけました。
日本各地で大雪が続いていますが、雪に閉ざされた大地にも、
ウクライナにも、光あふれる春が訪れますように。
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