トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王墓100周年記念講演2022年10月24日 19:20

遺跡は大好きです。旅行も大好き。
でも、エジプトには行ったことがありません。
そのエジプトで、トゥトアンクアメン王墓が発見されたのは、
1922年11月4日。今年で100年になるそうです。
その記念講演が名古屋であり、行ってきました。
講師は「世界ふしぎ発見」でおなじみの考古学者、河江肖剰先生。
Tシャツにジーンズ姿で、そのまま発掘現場から現れたようにさっそうと登場。

小学生の時、子ども向けの世界文学全集で「ツタンカーメン王のひみつ」を
読んで、とても面白かった記憶があります。
王はファラオになったときまだ小さく、その後、10代の若さで亡くなり、
王の墓を発掘したあと、何人もが突然死んで、
ツタンカーメン王の呪いと言われたのですよね。

講演の30分前、係の方がプロジェクターを確認し、スクリーンには
かの有名な黄金のマスクが映し出されました。
ところが、講演が始まったとたん、画面は真っ暗(真っ白?)に。
「呪いですかね?」と先生。会場は笑いに包まれました。
ツタンカーメンと呼んでいるのは、日本だけだそうで、
トゥトは「生命」アンクは「姿」アメンは「神」であると解説。
(父王の一神教アテン信仰で、誕生時は「アメン」でなく「アテン」だった)
言葉には意味がある。それは大事だというようなことを言われました。
欧米では、親しみを込めてトゥト王と呼ばれていて、
この100周年も、とても盛り上がっているそうです。
そんなことを聞いているうちに、プロジェクターが復活。
というか、係の方が、ほかのプロジェクターを用意して、
無事、映像が映し出されました。
「よかった」と先生。「どうやって話を引き延ばそうかと思った」

ということで、本題に。
王の墓を発見したのは、イギリス人のハワード・カーター。
25歳の若さでエジプトの発掘現場の主席査察官をしていましたが、
サッカラの遺跡で、停電が起こり、フランス人観光客が、
「停電で見られなかったんだから、入場料を返せ」といったことで
乱闘が起こり、仲裁に入ったところ(その態度が我慢ならなかった
のでしょう)、逆に観光客を殴り倒してしまいました。
これが、外交問題に発展。
フランス側は、イギリス本国に、カーターの謝罪を求めてきました。
カーターは、断固拒否。仕事を失うはめに。

けれど、人間万事塞翁が馬。(先生の好きな言葉だそうです。
人生、本当にそうですよね、とすごく同感!)
このピンチが、彼を運命の発見へと導くのです。

さて。ここに、もう1人の重要人物が登場。
イギリス人貴族、カーナヴォン卿。
車好きで(当時車は新しい乗り物でした)、飛ばしすぎて事故で負傷。
後遺症で、イギリスの冬の寒さがこたえるようになり、
毎冬、暖かなエジプトで過ごすことになったそうです。
そこでカーターを紹介されて、タッグを組み、
「掘り尽くされた」といわれた王家の谷で発掘を始めます。

なぜかというと、カーターは、歴史から消された王の墓が
きっとあるはずだ、と信じていたからです。

(エジプトの歴代の王の中で、名前が抹殺された王が四人。
ツタンカーメンの父から数えて4代。
ツタンカーメンの父は、太陽神アメンを中心とした多神教から、
一神教アテンに変え、都も移したのですが、人々には受け入れられず、
父の死後、王位についたツタンカーメンは、多神教に戻します。
けれどもその4代は、「異端」とされ、消されてしまったのです。)

第一次大戦をはさんで数年後、ついにカーターは、
ツタンカーメン王の墓を発見します。
執念の、そして世紀の大発見でした。

講演では、100年前の発掘当時の写真や、発見された埋葬品の数々、
さまざまな部屋に、幾重にも封印された棺など、画像や動画で
見せてもらいました。
(プロジェクターが動いて、ほんとうによかった。)

ツタンカーメンが子どものころから使っていた日用品に、
美しい短剣や玉座。
折りたたみ式の移動ベッドは、狩りや、多神教に戻したときの
遷都の際に使われたのではとのことです。

ツタンカーメンは椅子に座っている絵が多く、杖が130本も見つかり、
ミイラを分析すると、左足が内反足で、足の指先も壊死していて、
歩くのに困難があったと思われるとのこと。
DNA鑑定の結果、母親は父の実の妹だったと(ほぼ)判明。
また、ツタンカーメンの妻は、母親違いの姉で、
夫婦仲はとてもよかったようです。
仲むつまじく寄り添う絵がたくさん残っているそうです。
宗教が変わり、遷都もあり、国の情勢が大きく揺らいでいた時代、
若き王を、おそらくその若さゆえに孤独で障害もある王を
王妃はつねに支えていたのだろうと思うと、ほほえましく、
なんだか心がなぐさめられます。
ただ、王が亡くなったのは推定19歳。二人で過ごした時間は
短いものでした。王妃の悲しみを思うと、胸が痛みます。

棺の中のミイラには、肋骨と心臓がなかったそうです。
なぜなのかは、謎だとのこと。
いったいなにがあったのか、とても気になりました。

ところで、呪いのことですが、
発見当初、カーターはメディアの取材攻撃にあい、
一社をのぞいて(タイムズ社だったか、どこだったかな。
スカスカの頭には残ってません。ごめんなさい)
取材に応じないことにしたため、締め出された記者が
ゴシップで流したといわれているそうです。

歴史から消し去られていた少年王の物語。
遥か昔の遠いエジプトに思いを馳せた一日でした。

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