思いがけないお客さま ― 2026年05月04日 16:38
連休ですが、体調のこともあり、旅行や外出の予定はありません。
そんな昨日の昼前のことです。突然私のiPhoneが鳴りました。
発信者の名前を見てびっくり。東京の広告代理店に勤めていたときの同期の女性。
当時は一緒に旅行に行ったり、残業のあと夕食をともにしたりしていましたが、
その後、別々の会社に転職したり、彼女は留学もしたり、私は離婚、彼女は結婚、と、
それぞれの人生を歩んで、最後に会ったのは、コロナ禍のずっと前です。
信じられない思いで電話を取ると、「いま、名古屋にいるの」となつかしい声。
「え〜?! 名古屋のどこ??」
彼女の答えた地名は、我が家から地下鉄で20分もかからない場所でした。
前日まで、ちょっと疲れがたまって体調を崩していたのですが、どういうわけか、
昨日はわりと調子が良くて、近所のスーパーに行き、いなり寿司や押し寿司を
買ってきたところで、それを見た母に「ちょっと多いね。残ったら夜に食べる?」
などと言われていた、まさにそんなときです。
最寄り駅を彼女に伝え、ちょうどお昼ごはんがあるよ、と言って、迎えに行きました。
地下鉄の改札口で待っていると、なつかしい笑顔が手をふりながら駆けてきました。
いったい何年ぶりなんだろう。
名古屋飛ばし、などという言葉があるのに、よくぞ来てくれたと思って、理由を聞くと
「母方の祖父母が名古屋出身だから、住んでいたところなど見ておきたかった」とのこと。
名古屋は戦時下の大空襲で東京に次ぐ壊滅的な被害を受けています。
ゆかりのあるお寺なども焼けてしまっていたそうですが、それでも、このあたりに
住んでいた、というところは、見て回ったとのこと。
彼女は私のブログを読んでくれていて、身内のことや体調のことを気にかけて、
連絡しないでおこうと思ったらしいのですが、でもせっかく来たから、電話くらいして
声を聞こうと思ったそうです。
ちょうどタイミングがよくて、お互い、幸運でした。
我が家でお昼とお茶を一緒にして、ゆっくりおしゃべりしました。
彼女はがんサバイバーで、最後に会った時にも、少し聞いたのですが、詳しく聞いた
ことはなくて、本当に大変だったのだと知りました。私もがんになったから、
話しやすいということもあったかもしれません。
お互い、前向きに生きようね、とエールを送り合ったり、家族の話をしたり、
戦火の絶えない世界だけど、少しでも平和を目指す方向に行ってほしいねと話したり、
新入社員時代の思い出話をしたり、あっという間に時間が過ぎていきました。
彼女を駅に送り迎えして歩いたので、昨日は、先生から言われているノルマ
「一日、5〜6千歩」は軽々達成しました!
焦りは禁物ですが、私も早く体力を取り戻して、いろんな人に会いに行きたいと、
心から思いました。
いま、仕事も少しずつ(亀のように遅いけど)進めています。
『ユリディケ』の相関図は、あとエレタナを少し手直ししてもらえば完成です。
今は連休が入っているので、デザイナーの畠山さんも、ディレクターの荒川さんも、
それぞれご家族とゆっくり過ごされていると思います。
サイトに載せることが決まったら、またお知らせしますね。
ヒヤシンスとクロッカス〜花は優し ― 2026年03月28日 17:06
物語には、自分の好きなものをたくさん描きます。
ファンタジーを書く時は、実際に地球上にある木々や花々も、想像上のものも一緒に
描けるところが楽しいです。
散策中に街角で見かけたヒヤシンスとクロッカス。通る人を楽しませるように
外壁に沿って、細長い花壇がありました。
ヒヤシンスとクロッカスが咲いていて、小学校で教室の窓辺で水栽培をしたのを
思い出しました。なつかしいです。
どちらも大好きな花で、教室で育てたヒヤシンスはこの紫色。クロッカスは黄色でした。
こちらの花壇のクロッカスは紫色で、清楚なたたずまいです。
ピンクのヒヤシンスもありました。
桜も名古屋は満開を迎えました。
少し前、仕事のことで、ガ〜ン!と思い切り落ち込むことがあったのですが、その後、
家族のことで激震が走る出来事が勃発。落ち込んでいる場合じゃありません。
その出来事と連鎖して、妹が心身の状態を崩し、それも心配です。やっと元気になって
きた矢先でした。私にできることは限られているけれど、会社時代の先輩の力も借りて、
日々奔走し、頑張りました。
化学療法の副作用はまだきついけど、そんなことも言ってる場合じゃなかったから。
あとは「人事を尽くして天命を待」ち、またなにかできることが見つかれば、
全力でぶつかります!
坂本花織さん(世界選手権での優勝、おめでとうございます!)の言葉を借りれば
「やったるで〜!」
誰もが悩みや問題を抱えて生きているんですよね。
決してあきらめない強い心を持ちたいです。
春爛漫。花たちはエールを送ってくれるように、優しくほほえみかけてくれます。
松本のゴジラと花を愛した伯父 ― 2026年03月15日 15:24
伯父が亡くなり、松本に告別式に行きました。
残っていた母の2人の兄のうちの上の兄で、年末に誤嚥性肺炎になり、
持ち直していたものの、容態が急変したと従妹から聞きました。
伯父は教育者の父親のもと、鳥取で育ちましたが、農業が好きで、信州の林檎とスイカの
農家に婿入し、数年前まで元気で畑仕事をしていました。
本が大好きで、入院してからも、従姉が新刊本をみつくろって持っていくと、
とても喜んでいたそうです。
子どものころ、父が運転して家族で遊びに行き、暖かな歓待を受けたのを今も覚えています。
帰りは美味しいとうもろこしやスイカ、野菜をいっぱいいただいて帰りました。
やがて、林檎園は伯母の妹さんが継ぎ、伯父夫婦はスイカ農園を継ぎました。(私の物語に
林檎園が登場するのは、そんな思い出があるからかもしれません。)
伯母はずい分前に交通事故で亡くなり、従妹が頑張って伯父を手伝っていました。
物静かでにこにこしていて、とっても優しい伯父で、コロナ禍の直前(すでにダイヤモンド
プリンセスでコロナは上陸していましたが、まだ自由に日本中行き来ができた2020年の
2月)岐阜の伯父夫婦と母と4人で訪ねたのが、伯父に会った最後になりました。
松本駅に降り立ったら、大きなゴジラがいてびっくりしました。
「ゴジラ−1.0」は、二年前に亡くなった先輩がかかわっていた映画です。
松本は山崎監督の出身地ということで、地元の有志のみなさんが段ボールで作ったと
説明がありました。
なんの理由もないけれど、先輩が、伯父さんは大丈夫だよと見守ってくれた気がして
しんみりしていた心が、ちょっとなごみました。
かなりの迫力でした。
伯父は黙ってにこにこしている印象が強く、口数も少なかったのですが、岐阜の伯父が
親類を岐阜に招いてみんなで旅行をしたときに、岐阜公園だったかどこかのベンチで
伯父と並んで話をしたことがあります。
いつも親戚がまわりにたくさんいるから、伯父と二人きりで話したのは、おそらく
あのときが最初で最後です。
そのとき、こんなことを話してくれました。
鳥取から信州に行った時、春になったら一斉に花が咲いて、その花の色が本当に鮮やかで
とても感動をした、と。信州は寒暖の差が大きいから、色鮮やかな花が育つそうですが、
そのときの感動はずっと忘れないと言っていました。
あの伯父との会話は、私の宝物です。
伯父には息子一人と娘三人あります。告別式のあとで従姉妹に聞いたのですが、
亡くなる二日前、一番下の(同居している)従妹のマスクをとって、ほおを何度もなでた
そうです。それで、その上の従姉も、ほおをなでてもらったと言っていました。
その夜、意識が亡くなり、翌日息を引き取りました。ほおをなでたのは、お別れの
挨拶だったんだね、とみんなで話したそうです。
足の悪い母と、体調がなかなか戻らない私と、二人で一人前になるかならないかの旅で
したが、岐阜の従兄の助けもあって(同じ特急しなので行きました)なんとか日帰りでき
ました。伯父にお別れが言えたこと、従姉妹の顔が見れたことなど、本当によかったです。
でも、ずっと一緒だった従妹がひとりになってどんなに寂しいかと思います。
伯父さん、見守っていてくださいね。(もちろん、そうしていると思うけれど!)
この紅梅は、会社時代の先輩が庭で撮った写真です。
寒空を背景に、素朴でありながら凛として咲く姿は、花を愛した伯父に似合う気がします。
©️S.N
アモールとプシュケー ― 2026年02月14日 09:27
今日はバレンタインデー。
古代ローマでは、豊穣と繁栄を祈願するルペルカーリア祭の前日で、
小鳥たちが愛をささやきあい始める日といわれていたそうです。
今朝散歩をしたら、シジュウカラが澄んだ声で歌っていたり、スズメたちが
歌っていたり。明るい気持ちになりました。
カノーヴァの「アモールとプシュケー」は愛が勝利する瞬間を描いた彫刻です。
とても好きで、そして、とても思い出深い作品でもあります。
ミラノ・コルティナ五輪の開会式で心に響いたことのひとつが、
冒頭を飾った、白を基調とした美しいパフォーマンスだったのですが、
天使〜愛の神キューピッドに扮したダンサーが登場したところから嬉しい予感が。
ミラノスカラ座アカデミーのダンサーたちが、大会のテーマ、アルモニア〜響き合いの
もと、アントニア・カノーヴァの世界を表現していくとのことで、見ていたら、
あの代表作「アモーレとプシュケー」のポーズでエンディング♡
こちらが、カノーヴァの彫刻の絵葉書です。
1999年。エッフェル塔でミレニアムのカウントダウンが始まっている秋のパリ。
ルーヴル美術館で、念願の対面を果たして、長い間魅入ったあと、帰りにポストカードを
買い求めました。
実物は思っていたより大きく、本当に生身の神と人間ではないかと思えるというか、
大理石とは思えないほど美しかったです。
1999年。エッフェル塔でミレニアムのカウントダウンが始まっている秋のパリ。
ルーヴル美術館で、念願の対面を果たして、長い間魅入ったあと、帰りにポストカードを
買い求めました。
©️R.M.M
裏側に入っていた説明も載せますね。
一般に「アモールとプシュケー」と呼ばれていますが、
正確には「アモールのキスでよみがえるプシュケー」。ロマンチックですね。
愛の神アモール(キューピッド)が、人間の王女プシュケー(サイキ)と恋に落ち、
それぞれ、試練を乗り越えて、最後に、死の眠りに就いたプシュケーがアモーレのキスで
息を吹き返す瞬間を大理石の彫刻で表現したものです。
コピーライトも入っています。Jeanさんというフォトグラファーのようです。
もう前世紀(!)に買った絵葉書なのでで、少々くたびれているけれど、いまだに使えずに
大切に持っています。
この作品には、もうひとつ大切な思い出があります。
ルーブルに行く二年前。
イギリスの友人マーガレットを訪ねたときのこと。彼女の家に二週間近くお世話になったの
ですが、そのとき、マーガレットは自分の部屋を私に譲ってくれたのです。
遠慮したのだけど、もう用意しちゃったし、ぜひと言われて、使わせてもらいいました。
素敵に整えられた部屋の白いチェストの上を見てびっくり!
ピンクのスタンドの隣に、「アモールとプシュケー」のミニチュアが!
「あ! これ私の大好きな彫刻!」と言ったら、マーガレットが「私もよ!」と。
もちろん、それだから、飾っているのでしょうけれど、とっても嬉しかったです。
こちら、まだスマホがないときに、普通のカメラで撮影した写真をスキャンしました。
なので、ちょっと画像が荒くてわかりにくいかもしれません。
拡大すると、いっそう解像度が落ちるけれど、なんとなくわかりますか?
さまざまな苦難の果てに、最後に愛の神が勝利して、ふたりはめでたく結ばれます。
「愛は勝つ」という素敵な歌がありますが、世界中でいろいろな問題があるなか、
最後に愛が勝つと信じたいと、いつも思っています。
ミラノ・コルティナオリンピック、たくさんのドラマがあって、毎日感動しています。
アスリートのみなさんには、怪我なく楽しんでもらいたいです。
Happy Valentine's Day💗
『モンテ・クリスト伯』とマルセイユ ― 2026年01月25日 14:38
マルセイユを訪れたのは1989年。
『ユリディケ』のささやかな印税をぜ〜んぶはたいて、ヨーロッパを5週間回ったときです。
ロンドン往復の格安航空チケットを取り、まずはイギリスに語学留学した友だちと落ち合い
南仏やイタリアを回りました。
プロヴァンス地方をすすめられ、最初に降り立ったのがマルセイユ(だったと思う)。
スマホもパソコンもない時代。
「地球の歩き方」を手に、着いたその日に公衆電話でホテルに電話したり、直接行って
部屋を見せてもらって決めたりしました。
マルセイユの港は明るく、海は爽やかな青。空も青く、ヨットがたくさん係留されていて、
夕食は、タクシーの運転手さんに、おすすめのお店は?と聞いて(あるいはもしかしたら
宿の人に聞いてタクシーに乗った)ら、港の前のレストランに連れて行ってもらった気が
します。こちらの記憶もはなはだ怪しいですが、そのレストランと港の美しさは
はっきりと覚えています。ウエイターのお兄さんが片言英語で一生懸命メニューの説明を
してくれたことも。
友だちはマルセイユ名物のブイヤベースを、私はドーバーソール(巨大な白ビラメ)の
ムニエルを頼みました。美味しかったです。すごいボリュームだったけれど。
一番小さなのにしてね、と頼んだら、お魚を何匹か持ってきてくれて、小さいのって
これだよね、というのが、もう相当な大きさで。
陽気なお兄さんの説明で、デザートも想像しながら頼みましたが、彼の英語と私たちの
英語との誤差?により、想像と全く違ったものが出てきました。それも旅の楽しみですね。
そんな明るいマルセイユの港から海を望むと、
遠くに断崖のある小さな島が浮かんでいるのが見えます。イフ城を抱く島。
友だちと私が港をぶらぶらしていたとき、街の人が教えてくれました。
そこは、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』で主人公が
幽閉されていた場所で、かつては要塞だったものが、牢獄になったのだと。
明るい南仏の太陽のなせるわざか、そんな暗いイメージはまったくなかったです。
調べてみたら、牢獄として使われたあと、歴史的建造物に指定され、
フェリーも出ているそうで、行ってみればよかったなぁ。私ときたら、
「地球の歩き方」よく読まなかったのだろうか。残念です。
その旅から何年かあと、別の友だちと話をしている時、彼女がいいました。
「これまで読んだ本の中で一番面白かったのが、『モンテ・クリスト伯』。
主人公が、友だちに陥れられて、無実の罪で島の監獄に投獄されてね、脱獄して
復讐するの。すごく長い話なんだけど、あんまり面白くて、何回も読んじゃった!
絶対読んでみて!」
あのマルセイユの島が出てくる物語だ、と思い出しました。
同じ作者の『三銃士』は本当に面白かったので、デュマの本が絶対に面白いとは
想像できたけど、彼女がそんなふうに興奮して話すほど面白いんだなんて。
なにしろ、彼女が進める映画は全部面白かったから、本もそうに
違いありません。
でも、何冊にも及ぶ本で、三銃士より長いと聞いて、ちょっと腰が引けました。
(自分でもその後、長い物語を書くことになるので、そんなふうにいうのは
どうかと思うのですが。)
けれど、頭の中にある「死ぬまでに読みたい本」のリストには、いつもありました。
その『モンテ・クリスト伯』がドラマになって、日本でもオンエアされるというので
楽しみにしていました。ところが、風邪でぼうっとして、すっかり頭から抜け落ちていて
気がついたらもう始まっていました。が〜ん!
でも、見逃し配信をしているとのことで、
パソコン音痴で大丈夫かと思いながらトライしたら、無事見ることができました。
そのドラマの面白いこと! マルセイユの街やイフ城もでてきて、わくわくします。
オープニングクレジットも素敵です。夜の海で、ゆらめく波や、海の中から撮られていて、
婚約者と幸せの絶頂にいた主人公が一気に不幸のどん底に突き落とされた絶望感や、
先の読めない物語の持つ不穏さ、波乱万丈な雰囲気を伝えています。
波のあいだからちらちら映るのは、モンテ・クリスト島。投獄したあと、重要な役を
果たす島で、主人公ダンテスが別人となるときの名前の由来となっています。
クレジットの最後には、島に登る太陽。これも明るい感じではなく、翳りがたっぷり。
さて。若き船乗りだったそのエドモン・ダンテスが陥れられ、無実の罪で投獄され
脱獄して復讐を果たしてゆく物語は、ハラハラドキドキで、
本日25日が、最終回です。夜7時からBS12で。夕食時なので、録画して明日以降
ゆっくり見ます。(本当は早く見たいけど、健康のため、早く寝ているので…)
調べてみたら、去年、映画も公開されていました。フランスで過去最大のヒットとか。
それも見逃してしまったけれど、まだ映画館に行く体力がないので、仕方ないです。
ただ、ドラマ版は8話まであって長いので、やっぱり、先に見るのはこっちかな。
俳優さんたちが本当にいいです。
個人的には、第二話、牢獄の隣人となった神父さん(彼、脱獄用に何年も穴を掘っていて、
海に出るつもりが、ダンテスの部屋に抜けてしまう)との物語がとても好きです。
若き隣人に、社交界のマナーから、天文学から、物理から、脱獄の知識、差し入れられる
食事からオイルランプ用の油、衣服を縫う針を作る方法まで、彼の持てる知識のすべてを
教え、脱獄へと導くのです。
大作の話とともに書くのは、少しはばかられるのですが、サラファーンの四部作で、
ジョーが投獄され、脱獄するのを思い出しました。独房に入れられるはずだったジョーは
とあることから、謎めいた老人の部屋に入れられます。
ヒーラーでもある老人は、拷問を受けて瀕死の状態だったジョーの命を救い、身体を癒やし
五感を鍛え、重要な使命を託して、脱獄させます。老人とジョーのシーンは話が次々
浮かんで長くなりすぎ、半分以上けずらなければなりませんでした。
それにしても、モンテ・クリスト伯の物語はどんなふうに終りを迎えるのでしょう。
前回第六話は、とっても切ないシーンで終わってしまったので、なにか救いがありますようにと
願っています。
「ただ、復讐は蜜の味」といわれますが、私にはそうは思えません。
復讐という暗い情念は、その人自身の心に跳ね返ってしまう気がします。だから、
絵に描いたようなハッピーエンドにはならないんでしょうね。切ないですね。
41年目の結婚祝い ― 2025年10月15日 09:24
昨日、大学のアーチェリー部の仲間から同期女子宛てにメールがありました。
ちょっと報告したいことがあるとのタイトルに、なんだろうと思って開けると、
結婚祝いに私たちが贈ったNationalのオーブンレンジが41年も稼働したとのこと。
本当にびっくりしました。
最近スタートボタンの具合が不調でとうとう引退してもらうことになり
電気店でPanasonic(はい。今のパナは昔はNationalという名だったんです)の
店員さんに話したら、腰を抜かしたそうで。当然ですよね。
41年…! そんなに長い間、愛用してもらえて、嬉しかったです。
果報者のオーブンレンジ♡
後続もパナにしたそうで、本日、結婚祝いの品とはお別れだそうです。
彼女の結婚祝いにオーブンレンジを贈ったことは忘れていましたが、
同期で初めて新婚宅へおよばれしたとき、
美味しいビーフシチューを振る舞ってもらったのは、よく覚えています。
当時の私は、ビーフシチューはお店で食べるものであって、自分で作るなんて
発想、なかったので、いっそう感激しました。
すごく美味しいとみんなでいったら、良かった〜とほっとしたようにいい、
何時間もコトコト煮込んだと打ち明けてくれたのも記憶に残っています。
そんな一生懸命作ってくれて、美味しいはずです。食事は愛情ですね。
昨日のみんなの返信でわかったのですが、オーブンレンジを贈ったことは忘れていても
やはりビーフシチューのことは覚えているという仲間もいました。
当の彼女は、ビーフシチューのことは覚えていないそうで、
覚えていたことに、ありがとうとお返事をくれました。
先月から、たぶん猛暑の疲れだと思うけれど、末梢神経障害に加えて、
消えていた副作用が復活してきて(そんなことってあるのかな)、
味覚障害ーー口の中が不味くて痛かったり水が甘かったりーーに、低血圧のふらつきも
戻ってきて、今月検査なのになんだかなぁって思っていたところ、
思いがけず、心がぽかぽかするメールに、嬉しくなりました。
写真は、散歩した際に見かけた、雨上がりのオリーブ。
雨粒が宝石のようにきらきらしていました。
追悼〜ロバート・レッドフォード ― 2025年09月27日 16:10
天の川〜車山 ©️T.S.
先週、ロバート・レッドフォードが亡くなりました。
またひとり、きらめくスターが空に還って、地上が寂しくなりました。
スターというだけではおさまらない、大きな存在だったと思います。
優れた俳優であり、アカデミー賞監督であるだけではなく、ユタ州の美しい自然の中に、
サンダンスインスティチュートを設立。
ヒットが絶対条件の、大きなスタジオが牛耳るハリウッドでは取りこぼされてしまう
小さな優れた脚本や、独立系の映画人、若者たちをのびのび育てるラボです。
そして、そこで生まれた作品を発信するため、サンダンス映画祭を主催しました。
いまではすっかりメジャーな映画祭になりましたね。
環境活動家でもあり、社会的弱者の擁護者でもあり、まさにアメリカの良心。
今の世の中に本当に必要な人だったと痛感します。
俳優としてのキャリアも本当に華やかですが、初めて観たのは『明日に向かって撃て!』。
公開当時は子どもだったので、テレビ放送でのことです。
主題歌の「雨にぬれても」と、共演のポール・ニューマン、
そして、キャサリン・ロス演じるヒロインが印象的でした。キュートな目元が私の友だちに
そっくりで驚いたし(彼女いまでも似ています)、それゆえ、親しみも感じました。
ラストシーンのストップモーションも印象に残っています。
レッドフォードを偲んで観てみようと思う人がいるといけないので、ネタバレしませんが
名シーンだと思います!
私の通った岐阜の小中学校は、保護者同伴でないと映画館は出入り禁止でしたので、
やはりのちにテレビで観た作品ですが、『華麗なるギャツビー』は、美しく悲しい物語で
心に残っています。真っ白なスーツが決まっていて、当時話題になりました。
(父と叔父が真似して白いスーツを着て喜んでました。娘としては恥ずかしかったです。)
ディカプリオのギャツビーも観ましたが、趣が異なって、どちらもそれぞれ良いです。
そして、初めて映画館で観たレッドフォードの映画は、『スティング』でした。
東京に引っ越した高校一年のとき、ロードショーから渋谷の名画座にまわってきた際、
友だちと観に行きました。
昔はロードショー落ちの作品が、二本立て三本立てで、公開から随分遅れてですが
名画座で上映されていたのです。一本の料金で2本か3本観られるので学生の強〜い味方。『スティング』は『ペーパームーン』との組み合わせだったかな(この記憶大いに怪しい)。
田舎娘には、友だちと二人で映画を見に行くというだけで大冒険で、
それもあってか、『スティング』も強烈なインパクトがありました。
作品賞を含め、音楽賞などアカデミー賞7部門に輝きましたが、その音楽の軽やかで
楽しいこと。また、何章かで構成されていて、そのタイトルもいちいちおしゃれ。
仇討ちの相手を大仕掛のトリックで騙すという物語も、ドキドキワクワク面白く、
忘れられない作品です。
これも、ポール・ニューマンとの共演で、この二人のケミストリーはほんと抜群!
(生涯の友人だったそうです。お互いにとってなんて幸せなことでしょう。)
レッドフォードが監督をすると聞いたときには本当にびっくりしたものです。
(そして、その初めての作品『普通の人々』で、アカデミー監督賞をとったのですから、
さらにびっくり! 作品賞、助演男優賞、脚色賞も受賞しています。)
一見普通に見えるアメリカの家庭を描いた作品ですが、衝撃的な映画でした。
でも、とても心に染みて、切ないけれど、何度も観たいと思わせる秀作です。
(ただし、元気なときに観たほうがよい映画ですね。重い作品でもあるので。)
これを最初の監督作に選んだレッドフォードは、繊細で、誠実で、本当に素敵な人だと
感じ入りました。
冒頭の朝食のシーンが、まず、ガツンときます。
母親が、次男のためにフレンチトーストを焼くのですが、彼が食欲がなくていらないと
いったとたん、表情ひとつ変えずに、流しのディスポーザーに落として、ガーって
砕いてしまう。それだけで、母と息子の間の緊張感、家庭の不穏な空気が伝わってきます。
次男のティモシー・ハットン(若くしてアカデミー助演男優賞受賞)がとてもよいのですが、
監督として彼をキャストした選択眼も素晴らしいです。
父親はドナルド・サザーランド。(『24』のキーファーのお父さんです。)
家族の崩壊。そして、ラストのささやかな希望。
静かに流れるパッヘルベルのカノンも、胸に染みます。
『ナチュラル』『大統領の陰謀』『愛と哀しみの果て』など、名作が多くて
書くのに迷いますが、『リバー・ランズ・スルー・イット』は外せないでしょう。
こちらも監督作で、ある家族の哀切な物語。
モンタナの大自然のなか、厳格な父親と、性格の違う兄弟の確執と絆が描かれます。
のどかなフライフィッシングのシーンが夢のように美しく、脳裏に焼き付いています。
人は人を(家族を、だったかな…)理解できないかもしれないが、愛することはできる。
そんな言葉に、その通りだな、としみじみと思いました。
自由奔放な次男を若きブラッド・ピットが演じていますが、レッドフォードに
そっくりだと、当時話題になったものです。
のちに、『スパイゲーム』で、スパイの師匠(レッドフォード)と新人(ピット)の
役柄で共演しますが、この作品も好きでした。
ラスト、緑のポルシェに乗って颯爽と駆けてゆくレッドフォードのかっこいいこと!
最後に、メジャーではないけれど、個人的に好きな作品を2つ。
『ホットロック』と『スニーカーズ』。
『ホットロック』は犯罪コメディ映画というところでしょうか。古い作品で、
子どものころテレビで観ただけなので、内容はほとんど覚えていません。が、
やはりラストの(こちらは歩いて去ってゆく)レッドフォードがなんとも楽しげで、
妙に心に残っています。彼、泥棒なんですけどね。
(良い子の皆さん、真似しないでね。)
そして『スニーカーズ』。
もとハッカー(レッドフォード)が率いるのは、企業のセキュリティの弱点を見出すべく、
実際にハッキングして指摘し、報酬を得ている合法的なハイテク集団。
彼らと、世界を揺るがす究極の暗号解読機をめぐる、ドキドキハラハラの物語。
1992年の作品で、当時はハッカーを描くこと自体、あまりなかったと思います。
それゆえ、とても新鮮で面白かったし、今は亡きリヴァー・フェニックスが
コンピューターオタクを演じたのも、すごく楽しかったです。
冒頭の天の川の写真は、従兄がこの夏、送ってくれたものです。
霧ヶ峰の車山で撮影したそうです。無数の星のきらめきが、大スターを偲ぶのに
ふさわしいと思えて、アップしてみました。
いまごろ、ポール・ニューマンやリヴァーくんとおしゃべりしているのかな。
亡くなったお子さんたちにも会えていますね。
向こうの世界でゆっくりしてくださいという気持ちと同時に、地球や社会のことを案じて
活動していた彼に、時にはこの下界を見守ってほしいと思ってしまいます。
最後に、サンダンス・インスティテュートで彼の追悼を特集しているので、
そちらを載せておきますね。
↓↓
戦火に散った球児たち〜県岐阜商と大伯父のお話 ― 2025年08月21日 14:25
猛暑の中、甲子園での熱戦が続いています。
岐阜生まれ、岐阜育ちの私にとって、県岐阜商業の活躍は嬉しいものでした。
横浜にも長く住んでいたので、準々決勝はどっちも頑張れ〜と言う気持ちもありながら、
亡き大伯父のことを思い出し、やっぱり岐阜を応援していました。
延長タイブレークの11回までもつれこむ大接戦の、ものすごい試合で、
最後に、スタンドから両校の選手たちに送られた万雷の拍手にも胸が熱くなりました。
県岐阜商が甲子園に初めて出場したのは1932年の選抜大会(当時は岐阜商業学校)。
翌年の春には初優勝、35年に二度目の全国制覇をしました。
夏の大会では、1936年の第22回大会で優勝を飾っています。
当時、野球部の応援会長だった大伯父は、浜松の中学野球のヒーロー松井栄造選手を
引き抜きました。松井選手は1935年の春から登場し、活躍しています。
素晴らしいピッチャーであり、バッターとしても一流。
大伯父の家には、松井選手のほかにも、野球部員が下宿していたので、
大勢の部員が出入りして、大伯母は彼らの母親代わりだったそうです。
今の県岐阜商と同じく、チーム力が抜群だったようです。素敵ですね。
松井栄造選手は、六大学野球ができる早稲田大学に進み、そこでもヒーローに。
けれども、1941年、太平洋戦争が始まると、野球界にも大学にも暗い影が落ちます。
やがて松井選手も出征。1943年5月、中国で戦死しました。
彼だけではなく、岐阜商が第22回大会で優勝したメンバー14人のうち、
あの戦争で5人が帰らぬ人となったそうです。
大伯父は1898年(19世紀!)生まれ。建築家で大勢の人に慕われていましたが、
子どもだった私や妹にもとても優しく、いつもおだやかで、笑顔を絶やしたことが
ありませんでした。
そんな大伯父でしたが、松井栄造さんを始め、岐阜商の球児たちの話をするときは
遠い瞳になりました。背が高い人だったし、眼鏡の奥でよく見えませんでしたが、
そのときにはいつも、うっすら涙を浮かべていた記憶があります。
あの遠い瞳は、大伯父が亡くなって何十年が過ぎた今も、忘れることができません。
県岐阜商の大躍進。終戦から80年を迎えたこの夏、大伯父も、松井選手たちも、
きっと空から見守り、エールを送っていたのではと感じています。
どの選手も素晴らしかったですが、身内に障害がある者として、やはり、
横山温大選手の活躍が、心に残りました。
生まれつき左手の指がないハンディを乗り越えて(人の何倍も努力して、様々な工夫をし
ーー右手のグラブで捕ってすぐグラブを外してボールを持ち替えて送球などーー
今の彼があるそうです)、笑顔でプレイする姿は本当に爽やかでした。
ヒットもすごいけど、準々決勝で横浜のライトへの大きなヒットを追いかけて
ジャンプして捕ったファインプレイや、今日の準決勝での犠牲フライも素晴らしかったです。
それにしても、残念なのは、今なら、大伯父の話をもっと深く聞いて、
少しは話し相手になれたかもしれないということ。
若くて考えなしだった頃の自分を、ちょっと情けなく思います。
せめて、こうして、少しずつなにか伝えられたらと思っています。
そして、第二次世界大戦で大勢の球児が戦場に行き、命を落としたことを、
しっかり覚えていようと思います。
☆ ☆ ☆
ネットで調べてみたら、早稲田大学の歴史館で、2012年の春の企画展として
「戦地に逝ったワセダのヒーロー松井栄造の24年」が催されていました。
知っていたら、行ったのですが……。24歳。本当に青春まっただなか。
遺書や銃痕の残るヘルメットも展示されていたそうです。















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