分身の術が使えたら2023年10月16日 10:45


秋の雲

子どものころ、テレビで「忍者ハットリくん」を見ていました。
細かいことは覚えていないのですが、印象的だったのが分身の術。

ずっとのち、大人になってから、分身の術が使えたらいいなぁって思うようになりました。
重い障害を抱えた身内のケアをする分身と、仕事をする分身。
できれば仕事用は複数。書きたいものがいろいろあるので、それぞれ分担して書きます。
ほかの分身は、大自然の中でのんびり過ごしたり、友だちと会ってゆっくりしたり。
今なら、ひとりはウクライナに飛んでいき、なにかできることをしたいです。
イスラエルとガザにも飛んでいきたいです。
それか、シリアやアフリカやミャンマー…苦しんでいる人、悲しんでいる人が
たくさんいるところへ。
日本でも、東北の被災地はまだまだ復興途上です(それなのに、新たな災害の被災地が
次々出てきています)。

けれど、分身の術は使えません。はがゆいです。
だから、自分ができることをするしかないし、まず今は、健康を取り戻すことが第一かな。
模範的な患者なので、先生の言うことを聞いて、散歩もよくしています。
(「軽い運動するといいよ。暑いから、朝夕涼しい時間帯散歩してね」と言われるうちに、
季節は一気に涼しくなりました。写真上は散歩中の空。秋の雲。こちらは近所の金木犀。
とてもいい香りです。1人の女性が立ち止まり、枝を手にとって匂いを楽しんでました。)

キンモクセイ

なにか人の役に立つことをしたい、人が喜ぶことをしたいと願ってきました。
物書きになったのは、第一に、小学校のとき詩を書く授業があって楽しかったこと、
第二に、中学の時、親友が小説を書いていて、自分も書き始めたこと、
そして、高校のとき、書いた短編を回し読みしてもらって、友人たちが面白がったこと。
こんなふうにアイデアが次々出てくる仕事って、自分にとって、ほかにはないなって
思いました。みんなが、登場人物とともに、驚いたり悲しんだり笑ったりして
物語を楽しんでくれるのがうれしくて。人を楽しませる仕事っていいな、と。
もちろん、自分も楽しいのです。(おそらく、誰よりも。)
人が喜ぶことをしたいというのは、おこがましい考えなのかもしれません。
でも、人生は短いから、人の言うことを気にしていたら、もったいない。
いつも、わたしはわたしでいたいです。

分身の術が使えないから、人は選択しなくてはならなくて、だからこそいっそう、
人生は尊いのかな、と感じます。

でもやはり、戦争には胸が痛んで仕方ありません。だって、これは人がしていること。
防げるものだから。
なんとかしたいと思ってしまう。
世界中の兵器を無力化し、過激な思想をふわりと溶かす忍術って、ないのかなぁ、
ねえ、ハットリくん。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログのタイトルは「サラファーンの○ができるまで」です。
○に入る漢字一文字はなに?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://serafahn.asablo.jp/blog/2023/10/17/9625886/tb