アンジェラスの鐘と被爆クスノキ ― 2025年08月09日 17:37
浦上天主堂は少しピンクがかった赤レンガの美しい教会です。
昔、家族旅行で長崎を訪れたとき、原爆で破壊されたとは思えないほど、長崎の空と大地と
ひとつになってたたずむ姿に胸を打たれました。
戦前、2つの鐘楼には、アンジェラスの鐘と呼ばれるフランス製の2つの鐘があったそうです。
80年前に原爆が投下されたとき、爆心地に近かった天主堂は壊滅的な被害を受けました。
鐘のひとつは、奇跡的に、ほぼそのままので見つかりましたが、
もうひとつは修復不可能なほど破壊されていたと聞きました。
それを復元した鐘が、先月アメリカから寄贈されました。長崎を訪問し、
失われた鐘のことを知って寄付を募ったのは、ジェームズ・ノーラン・ジュニア教授。
マンハッタン計画に関わった医師の孫にあたるそうで、運命の不思議さを感じます。
教授は、アメリカ各地を回り、キリシタン弾圧の苦難の歴史を経てようやく完成した
浦上天主堂が原爆によって破壊されたこと、戦後再建されたこと、人々の鐘への思いを伝え
たところ、600人余りのカトリック信者から寄付が集まったとのこと。
復元された鐘は、分断が深まる世界で、平和と希望の象徴となるようにとの願いをこめて、
あらたに「希望の聖カテリの鐘」と命名されたそうです。
そして、今日、原爆が炸裂した11時2分。80年の時を超えて2つそろった鐘が、
平和公園の鐘とともに鳴らされました。黙祷を捧げる耳に、その響きが聞こえてきて、
胸がいっぱいになりました。2つの鐘が共鳴した響きは、美しく荘厳でした。
あとで画像を見てみましたが、雨に濡れた浦上天主堂と復元された鐘が鳴る様子も
映っていました。
式典では、福山雅治さんの「クスノキ」の合唱もありました。
爆心地に近い2つの小学校の児童による合唱で、心にしみました。
あの日まで、山王神社の境内にそびえていた2本のクスノキは、浦上天主堂と同様に、
爆心地に近かったため、幹は裂け、枝葉を飛ばされ、枯れてしまうと思われたそうです。
けれども、被爆から2か月で奇跡的に新芽を芽吹かせました(長崎市のWebsiteでは
2か月、山王神社のWebsiteでは2年となっています)。
それが、どれほど当時の長崎の人々の胸に希望の灯をともしたか、それはもう、私の
想像を遥かにこえていることでしょう。
いま、どちらの木も、互いに枝をからめながら、天に向かって堂々とたたずむ姿を
見ながら、そんなふうに思いました。
先日、クローズアップ現代で見たのですが、福山さんは被爆二世で、17歳のころ、
父親が1年間がんで闘病した後、亡くなったそうです。病気に対して何もできない無力感、
虚無感がすごくあるなか、ふらりと立ち寄った山王神社のクスノキに、助けられたと
語っていました。それから、たびたびクスノキに会いにいったそうです。
お父さんのがんは、赤ちゃんのとき被爆したことに原因があるに違いありません。
福山さんやご家族の気持ちを思うと、言葉を失います。
そんな被爆者の方々が本当にたくさんいるわけですが、それぞれに大切な方がいて、
皆さんどんな気持ちだろうと思うと、胸がつまります。
本当に、長崎を最後の被爆地にしなければなりません。
福山さんは、自らのルーツを歌にしたいとずっと思っていたそうです。そして、
被爆クスノキをモチーフにした楽曲を作りたいと思い、メロディと「わが魂は」の歌詞は
ずっと心にあったそうですが、曲が完成したのはその24年後。
絶滅にひんした生き物に出会う番組のナビゲーターを務めたとき、「地球に生かされている」
と感じ、クスノキの立場で歌にできる、と思ったそうです。そこからは早かったとか。
そこからまた歳月を経て、平和祈念式典で歌われるまでに成長したクスノキの歌。
平和への強い願いとともに、ずっと歌い継がれて行くことと思います。
浦上天主堂の2つの鐘と、2本の被爆クスノキは、私たちに、決して戦争をしてはいけない、
決して核を用いてはならないと伝えてくれます。
広島から希望の光を ― 2025年08月06日 21:39
子どものころ、学校で、喧嘩はいけないと教わりました。
暴力はいけない。問題があれば話し合いで解決するべきだと。
それなのに、世界では戦争があり、暴力が溢れている。
わけがわかりませんでした。大人という存在が不思議でした。
広島に原爆が投下され、今日で80年。
日本被団協がノーベル平和賞を受賞してから、初めての原爆の日です。
それなのに、世界の動きは核軍縮から逆行し、終末時計をひたすら進めているーー
唯一の被爆国である日本ですら、核兵器を肯定する言論が飛び交っています。
今朝は、出かける前に、平和記念公園での平和記念式典を見ました。
テレビ画面には、こう刻まれた原爆死没者慰霊碑が何度も映しだされました。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
今の世界を見たら、安らかに眠れないに違いないです。私たちの平和は、
原爆で亡くなった方の上に(原爆だけでなく、戦争で亡くなった方、あるいは
生き延びてもそれでつらい思いをされた方、今なおされている方々の上に)
成り立っているというのに。
それは、忘れてはならないことです。
奇遇ですが、式典が終わったあと出かけたのは、広島在住の幼なじみに会うためでした。
夏休みで実家に帰っている彼女が、宝塚に住むもうひとりの幼なじみとともに、
名古屋に来てくれたのです(心優しい二人は、去年がんに罹患した私のことを心配して、
私が会える状態まで戻るのを待って、会いに来てくれたのです)。
地下鉄に乗りながら、その広島の幼なじみを訪ねて、広島に行ったときのことを
思い出していました。
原爆記念館や平和公園を訪れたあと、当時、静岡から広島に越した彼女は
二人のお子さんの子育て真っ只中だったのですが、こんな話をしてくれたのです。
静岡では大きな地震に備えて、防災教育が当たり前だったけれど、
広島では平和教育が当たり前で、小学校からとても熱心に教わるのだと。
記念式典で、毎夏、子どもたちが平和への誓いを読みますが、いつもとてもしっかり
しているのは、その教育のたまものでしょうか。
もちろん、家族や親族に、被爆した方や、二世の方がいる子どもたちも多いでしょうから
それもあるかもしれません。
ただ、現在では、戦後80年を経て、被爆者の数が減ってきています。
母の友人にも、広島出身で被爆者の方がいましたが、数年前に亡くなりました。
いずれは、ひとりもいなくなってしまう時代が来るということです……。
先月来日した、ノーベル委員会のフリードネス委員長の言葉が胸に響きます。
「われわれは現在、不安定な核の時代に突入する瀬戸際にある。そのような状況だからこそ
核兵器の実態を記憶するために被爆者が行ってきた活動は、世界にとって重要であり、
世界が必要としている光だ」
ノーベル委員会が受賞者の国を訪れるのは、今回が初めてだそうです。
それだけ特別のこと、それだけ、平和への思いが強い、ということ、そして、それだけ
今の世界に危機感を覚えているということだと感じます。
フリードネス委員長がいうその「光」を消さないために、私たちが、次の世代が、
被爆者に代わって、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを伝えていかなくてはと
強く思います。
そのときに、広島の平和教育が、とても意味を持つのではないでしょうか。
たとえば、私はこんな想像をします。
広島や長崎だけでなく、日本中で平和教育をしたらどうだろう、と。
だって、「日本って戦争してたんですか?」という大学生がいる時代なのですから
(二人の先生から直接聞いた話です!)、戦争の加害の歴史も含めて、しっかりと。
日本中の子どもたちが平和について考え、今度はそれを、世界中の学校に行って、
子どもたち自身が授業を行い、意見を交換し、交流を図る。
そして、日本の子どもたちに教わった世界の子どもたちが、同じ国の学校や、別の国の
学校に行って、授業をする。
それによって、未来を担う子どもたちが変われば、きっと世界は変わる。
戦争ばっかりする大人に代わって、子どもたちが世界平和を先導していく。
そんなふうに、広島から、日本から、希望の光を世界に発信することは、
決して夢物語ではなく、現実的にできることです。そう信じています。
日々の無事を祈ります ― 2025年07月14日 20:14
夕方雷雨がありました。今夜は名古屋でも線状降水帯発生の恐れがあるとのこと。
各地で洪水が起こっているし、台風の影響も心配です。
トカラ列島の地震も、収まらなくて、避難している方たちや、残っている人たちは
どんな気持ちだろうと、胸が痛みます。
早く地震がおさまりますように。台風があまり被害がなく過ぎますように。
戦地や紛争地に、おだやかな日常が戻りますように。そう祈っています。
こちらは、朝の散策途中、見かけた花たち。水色とオレンジの組み合わせがきれいでした。
猛暑の夏に、こんな可憐な姿を見せてくれてうれしいです。ありがとう♡
ところで、手術をした右目ですが、かすみがひどくなる一方で、検査の結果、
水晶体を包んでいた袋が濁っていると診断されました。後発白内障といって、
通常は、白内障の手術後、数週間から10年くらいで発症するそうで、私のように
3日後ぐらいからというのは、異常に早いそうです。
簡単なレーザー手術で除去できるとのことで、数日前に受けたところ、
見え方がだいぶ明るくなりました。先生によると形(?)も変わっていたそうで、
「なにか特殊な薬を飲んでいませんか?」と聞かれました。
精神科と骨粗鬆症の薬くらいなのですが、去年飲んでいた抗がん剤の影響でしょうか。
先生にもよくわからないそうですが、前より見えるようになったので、よかったです。
ただ、やはり右目は近くが見えなくて疲れやすいため、何事も休み休みやっています。
(『ユリディケ』のイラストすこ〜しずつ進めています。)
それでも、無事に過ごせるこの日々は、本当にありがたいです。
感謝しながら、一日一日を大切にしたいです。
壁を築くより橋を架けよう〜ローマ教皇の思い ― 2025年04月23日 10:20
フランシスコ教皇が亡くなりました。
最近体調を崩されているとの報道に、いつかはと覚悟していましたが、
世界をよりいよい場所にしようと奔走した方が、またひとり天に召されてとても悲しいです。
分断を深める社会にあって、常に和解と平和を求め、自らの行動と言葉で
それを示した人でした。
「壁を築くことだけを考え、橋を架けようとしない人は、キリスト者ではない」と訴え、
広島と長崎を訪れたときは、核兵器廃絶のメッセージを世界に届けました。
茶目っ気のある人柄や、チャーミングな笑顔、貧しい人、弱い立場の人に寄り添う姿勢や
びっくりするほど慎ましやかな性格に、親しみを覚えた人は多かったと思います。
『旅するローマ教皇』という、フランシスコ教皇のドキュメンタリー映画があります。
抗がん剤治療が終わって、家で休んでいるとき、ソファに横になりながら
WOWOWで録画しておいたその作品を観ました。
映画は、遭難した船からの信号を沿岸警備隊かどこかが傍受するシーンから始まります。
それは、リビアからイタリア最南端のランペドゥーサ島へ難民を運ぶ船でした。
多くの犠牲者が出て、後に教皇がランペドゥーサ島を訪れ、鎮魂の祈りを捧げるシーンで
初めて教皇が画面に登場します。
世の中の無関心、不寛容に胸を痛める教皇の姿が印象的な冒頭です。
50カ国以上を周り、刑務所の受刑者とも触れ合い、イスラム教や正教会の指導者とも
対話の努力をし、カトリック教会全体を揺るがした性的虐待について謝罪し、
パンデミックのさなか、静まり返った世界では、ひとりで祈りを捧げる……。
心が洗われるとともに、深く考えさせられる作品でした。
フランシスコ教皇について知りたいと思う方だけでなく、混迷の社会に絶望している人、
光を見出したいすべての人にみてほしいと思う映画です。
教皇は、お医者様に止められても、公務を果たそうとしたと伝えられています。
亡くなる前日も、キリストの復活祭で、バチカンのバルコニーに姿を見せていました。
最後の最後まで、世界をよりよい場所にしようと願っていたことが伝わってきます。
その志は、あとに残るわたしたちへの贈り物だと思います。
親愛なるパパ様、貴方の魂が安らかでありますように。
これからは、空から地上を見守っていてくださいね。
あの日から14年になります ― 2025年03月11日 11:41
大船渡の山林火災は、避難指示がすべて解除され、本当によかったです。
でも、ニュース映像で映し出される被災地の惨状に、胸が痛みます。
東日本大震災から14年になります。関連死も含めて2万2千人以上の犠牲者が出ました。
単なる数字ではありません。
そのひとりひとりに家族があり、人生があり、夢があったはずです。
どんなに無念だっただろうと思います。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りしています。
昨日、ニュースで大川小学校の映像を見ました。震災遺構として整備されたようで、
以前訪れたときと違って、フェンスなどができていましたが、
そのときお話をしてくださった、娘さんをなくした方が、お話をされていました。
歳月が流れようと、残された方々の悲しみは、決して消えることはないと思います。
すごく辛いでしょうに、伝えていかないとという思いで、語り部をされているのだと
思います。子どもたちが生きた証と、二度とこんなことがあってはならないと
伝えるために。すぐ裏の山にさえ逃げれば、助かったのですから。
亡くなった子どもたちは、どんなふうに天から見つめているのでしょうか。
銀河鉄道の夜を描いた壁画は、まだ残っているのかな…。また必ず訪れたい場所です。
地震の翌日には、福島の原発で水素爆発が起こりました。
未だに故郷に帰れない人たちがいる現実を前に、政府は原発回帰に向かっています。
CO2削減のためといいますが、あの事故で、原発は安全ではないとわかったはずで、
気候危機を言い訳にするのは、とんでもないことです。
遅々として進まない廃炉。原発は結局、高くつきます。それは電気代に上乗せされて
いるんです。他のクリーンなエネルギーの開発に力を入れてほしいです。
今年は、戦後80年の節目となる年でもあります。
昨日は、東京大空襲から80年でした。広島や長崎の被災者と同様、当時のことを
語れる方が減っているなか、若い人で語り部を受け継ぐ方たちも現れていることに、
希望を感じます。
一方、被団協がノーベル平和賞を受賞したのに、先日の核兵器禁止条約締結会議に、
日本は今回もオブザーバー参加もしませんでした。
世界情勢がいつになくきな臭くなっている今、核の傘に頼っている手前、できなかったの
でしょうが、一触即発の危険がすぐそこにある今だからこそ、
勇気を持って、核兵器の廃絶を訴えてほしいです。
数日前、雨上がりの散歩をしていたら、路地で、水仙が雨粒を宿し、清楚に咲いていました。
水仙はギリシャ神話のナルキッソスの物語から、「うぬぼれ」という花言葉がありますが、
「気高さ」もあるそうです。
寒い季節にいち早く咲くことから、縁起が良いと言われているとも聞きました。
どうか被災地が元気に復興を遂げますように。そして、世界が良い方向に向かいますように。
あの日から14年となる今日、私も早く元気になって、できるだけのことをしようと、
新たに心に誓います。
大船渡の山林火災の一刻も早い鎮火を願って ― 2025年03月02日 11:10
先月26日に発生した大船渡の森林火災が、延焼を続けています。
住宅の被害は、少なくとも84棟、消失した面積は1800ヘクタール。数日で、これほど大きな火災になるなんて、想像を絶します。
大船渡は東日本大震災で最大10メートルを超える津波に襲われ、甚大な被害を受けた街。
能登もそうですが、なぜ同じ場所が繰り返し大きな災害に見舞われるのでしょう。
とても理不尽で、どんな思いで避難をされているのかと思うと、胸がつまります。
LAでの森林火災で、友だちが避難したのはついこの間のことです。
恐ろしい災害が、今度は東北で起こるなんて。
今日も風が強く、消防活動が難航していると聞きます。
亡くなった方の御冥福をお祈りするとともに、一刻も早く火が鎮まることを願っています。
そして、消火にあたっている方々が、どうか無事で、怪我などありませんように。
義援金の呼びかけが始まっています。こちらが大船渡市のホームページです。
↓↓
その他NPOやドコモ、Yahooも受け付けています。(詐欺には注意してくださいね。)
東北には友だちが何人かいて、東日本大震災のときとても心配しましたが、
大船渡市には、高校時代の、ささやかな思い出があります。
当時、新沼謙治さんの素朴な人柄に惹かれてファンになったわたしは、
初めてファンクラブなるものに入りました。
抽選で本人から電話がかかってくるとのことでしたが、ある午後、学校から帰ったら、
本当にかかってきて、びっくりしました。
お母様のお名前がわたしと同じ「文子」であることや、
故郷の大船渡について、とても美しいところだと言われたのを覚えています。
(後ろから、最初に電話を取り次いだ事務所の方が「もう時間ですよ!」と何度も言って
いるのに、少し長く話してくれる優しい方でした。歌の好みはその後いろいろと
変わっていきましたが、あの優しさは忘れません。)
風がやみ、消火活動が進んで、その美しい大地が、できるだけ守られますように。
ウクライナへの祈り ― 2025年02月24日 15:24
ウクライナの地にロシアが侵攻して、今日で3年になります。
そして今、ウクライナの頭越しに、
世界の平和を守るべき、国連の安全保障理事会の大国同士が
停戦に向けて協議を始めています。
戦争が始まった当初、侵攻の直前、クリスマスを祝うウクライナの人たちの映像が、
よく流れていましたが、本当に平和そのもので、忘れられません。
希少な鉱物や資源のために、平和な小国を好き勝手に踏みにじるなど、
あってはならないこと。どれだけ資源や資産を持っているかではなく、人びとが
どれだけ豊かで寛大な心を持っているかが、本当に大切なのではないでしょうか。
世界で大規模な災害が相次ぐなか、互いに争うよりも、いかに助け合うかが
問われていると思います。
今日、散歩をしていて、ほころび始めた梅の花を見かけました。
日本各地で大雪が続いていますが、雪に閉ざされた大地にも、
ウクライナにも、光あふれる春が訪れますように。
「みんな一緒に生きている」 ― 2025年01月30日 22:36
痛ましい事故や事件が続いています。
悲しみややりきれなさに胸がつまります。
自分は呑気に生きてていいのかな、と思ったりもします。
そんな思いに駆られて、切なくなる人は、たくさんいるでしょう。
どうして?と問いかけても、こたえは返ってきません。
以前、東日本大震災の被災地、大川小学校のあとを訪れたとき、
語り部の若者が、ここであったことをずっと伝えていきたいと言いながら、
最後に口にした言葉が、ずっと心に残っています。
「亡くなった先生も生徒も、地域の人たちも、みんな一緒に生きている。
そう思っています」
おだやかな口調。静かな声。やさしく、それでいて真剣な瞳…。
そういう気持ちで、この場に立っている。そう思って生きているし、
これからも生きていく。そんな決意だと感じました。
今も時々思い出しては、彼の思いを、私はきちんと汲み取っているのかなと
考えたりもします。
去年のこと。
同じ時期に闘病生活を送ったのに、マーガレットは亡くなり、私は生きている。
なぜ彼女であり、私ではなかったのか。
どうして?と問いかけても、こたえはありません。
でも、彼女の分も生きることを、きっとマーガレットも望んでいると、
今は思っています。
広い宇宙で、同じ星に生まれたことは、きっと奇跡。
生きている者の命は、自分だけの命ではない。
亡くなった人も、生きている人も、みんな一緒に今を生きている。
こたえはわからないけれど、亡くなった人の人生を慈しむように、
その人たちの分も丁寧に生きること。それが大切なのかな、と感じています。






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