名古屋の初日の出〜20262026年01月01日 20:07

新しい年が始まりました。
能登の震災から2年。今日は追悼の日でもあります。
元旦がそんな悲しい日になるなんて、あの前日まで、想像もしていませんでした。
能登の一日も早い復興を願うとともに、
犠牲になった方々の魂がどうか安らかでありますようにと心から祈っています。

ここ名古屋は、夜明け前、東の空に大きな暗い雲がかかっていましたが、
日の出を迎える少し前から、こんなふうに徐々に晴れてきました。

初日の出2026〜2

そして、とても寒い中、遠くの山の上にたなびく雲の上から、太陽が顔を出し、

初日の出2026〜3

オレンジがかった金色の温かな光を投げかけてくれました。

2026年が、こんなふうに、暗雲がゆっくりと晴れてゆく年になりますように。

母のふるさと鳥取の地震2026年01月13日 21:50

島根と鳥取での震度5強の地震から一週間になります。
鳥取は母の故郷で親戚もいます。連絡したところ、無事だとのことでほっとしましたが、
怪我をした人や家屋の被害も出ていて、その上、大雪も重なってしまいました。
山梨では山火事が6日目となった今日も、鎮火の目処がたっていないとのことで、
日本海側の雪が、そちらに降ってくれたらと思ってしまいます。

寒い中、避難している方々、被災された方々にお見舞い申し上げます。
そして、一日も早く日常が戻りますように。

母からたびたび聞かされた話ですが、
戦争のさなか、1943年の9月、鳥取で大地震があったそうです。

ものすごく揺れて、祖母は、当時7歳だった母を抱えて、かばうようにして、
柱につかまって立って、揺れに耐えていたそうです。
幼い娘を守ろうと必死だったのだと思います。

母は9人兄妹の末っ子。一番上の姉とは20歳離れています。二番目の姉とは10歳。
その姉は、地震で外に飛び出して、落ちてきた瓦で怪我をしました。幸い軽症でした。
母の家は、母が生まれた年に建てたので、とても頑丈だったそうで、
隣の家が倒れてきましたが、母の家に支えられ、倒壊を免れたと聞いています。
近所20軒くらいのうち、残ったのは5軒ほどだったとか。
50メートルほど離れたところには、曽祖父の家がありましたが、倒壊し、
曽祖父は大怪我をして、親戚の医者の家で三か月ほど療養しました。
母のクラスメイトは、街の真ん中に住んでいて、亡くなったそうです。

地震の発生したのはちょうど夕食時で、大火も起こり、大変な被害だったそうですが、
母の家は、夕食が早かったので助かりました。というのは、
海軍にいる兄が帰ってきており、そのために、当時のご馳走であるおはぎが夕食だった
からで、火はもう使い終わっていたとのこと。
その兄は、翌日、呉に戻るはずでしたが、地震の被害で
列車はすべて止まっています。兄は鳥取から徒歩で岡山まで行き、そこから列車に
乗ったそうです。その兄は翌年、戦死しました。(私の会うことのなかった伯父です。
会ってみたかったな、と思います。)

母の家は、風呂場が壊れ(昔のお風呂は薪で炊くお風呂で、母屋から廊下伝いに
ありいました)、隣家が倒れかかったところも修理が必要でしたので、
二か月間、庭でテント暮らしをしたと話していました。
この地震で全壊した家屋は7485棟、半壊は6158、全焼251、半焼16。
修理の順番が回ってくるもを待つことになりました。

今の時代も、避難の苦労は同じですね……。
もうすぐ、阪神・淡路大震災から31年。
戦争もそうですが、記憶を風化させないことは、とても大切に思えます。
地球全体で見ても、歴史から学ばない国家元首が多い現代では、いっそうそう感じます。