今年も可愛い林檎スリムレッドが届きました ― 2025年11月14日 11:31
今年も群馬の従兄から、スリムレッドが届きました。
新鮮でとってもジューシー。無農薬なので皮ごと食べられます。
硬式野球ボールと並べてみました。
(故郷大垣の大垣日大が選抜で準優勝したときの記念ボールです(*^^*))
このところ、親戚の人に会ったり、知人が結婚して遠くに行ってしまうので
お別れのギフトを買いに行ったりして、少しバタバタしていたら、
何年ぶりかに風邪っぽくなりました。葛根湯を飲んでおとなしくしています。
先生から、治療で免疫力が落ちているから風邪引かないように気をつけてと
いわれていて、必ずマスクをして出かけ、うがい、手洗いも欠かさなかったのに。
でも、一日一個、医者いらず、と言われている林檎を食べればきっと大丈夫ですね!
もぎたてのシナノゴールド ― 2025年11月03日 18:02
庭に2本の林檎の木があった従兄。その1本が枯れてしまい、そのかわりなのかな、
去年、信州の林檎の木のオーナーになりました。
そしてこの秋、初めての収穫にって来て、我が家にお裾分けを送って(贈って)
くれました。大豊作の木だったそうで、全部で34キロ。
お友だちが収穫を手伝ってくれたとのこと。
シナノゴールドという品種で、さっそくいただきました。
ナイフを入れたとたん、水分がにじんでくる新鮮さ。もぎたての林檎は本当に美味しいです。
酸味があって、シャキシャキしていて、
「林檎が赤くなると医者が青くなる」と言われるように、ほんと身体に”効き”そう!
(シナノゴールドは黄色いから、この場合「林檎が黄色くなると」かな。)
真ん中の種の部分が少ないのも特徴なのでしょうか。
この写真でわかるかな。左側の二切れは、種がなく、カットしたままです。
従兄の庭のスリムレッドも、じきに収穫だそうです。楽しみ(←勝手にもらう気でいる。
ずーずーしいですね)。
林檎は、私の物語でとても大事なエレメント。ちょうど、ユリディケのキャラクターの
プロフィールを書くため、推敲も兼ねて読み直しているところです。
ユナの夢の中で白いりんごの花が降ってきたり、リーが林檎を浮かべたお風呂を準備し
その霊力がユナを救うように祈るシーンなどで、読みながら、林檎をかじっています。
林檎のいい香りが世界中に降って、平和な世界が訪れるといいのに!
世界の権力者が、美味しい林檎を食べるとか、青空を見て散歩するとか、可憐な花を
愛おしむとか、家族となにげない会話をするとか、そんな幸せの大切さに
気がつくといいなぁって思っています。
上弦の月と天使の羽のような雲 ― 2025年10月30日 17:40
昨日の黄昏どき、金木犀の香りが漂う街を散策しました。
見上げると、どこか透き通るような、天使の羽のように見える雲が夕空に広がり
その上に、上弦の月がつつましやかに輝いていました。
この写真、月がわからないかな…。よければクリック拡大して探してみてくださいね。
(こうして写真として切り取ると、天使の羽には見えないかも…。空を見上げた時は
わぁ〜、きれい、天使の片翼♡と思ったのですが、見えなかったらごめんなさいね。)
歩いているうちに、空の色が濃くなり、月がはっきり見えるようになってきました。
秋の日はつるべ落としといいますが、さっきまで空は明るかったのに、と驚かされます。
久しぶりの美しい月。家に帰る頃には、もう暗い空に銀色に輝いていました。
ところで、悪性リンパ腫の方ですが、CT検査の結果が出て、再発なしとのこと。
このところ体調が良くなかったので、もしかして、と覚悟していたのですが、
ほっとしました。そのことを、主治医の先生に話すと、
「この夏は本当に暑かったですからね。みなさん、疲れてらっしゃいますよ。
あと4年、完治まで頑張りましょう!」と笑顔で言われました。
先生、いつも明るくポジティブで、さばさばしていて、とっても励まされます。
そのあと、精神科の診察があり、結果を報告すると、
「本当によかったわね〜!」と喜んでくださって、精神科の先生もいつも明るく
とっても優しいのです。
「はい。これで寿命がちょっと延びました」と言うと、
「ちょっとなんていわないで〜。たくさん生きてね!!」
そうですね。まだまだ書きたい物語やエピソードがあるから、許されるものなら
たくさん仕事したいです。
なかなか体力が戻らないのが悩みどころだけど、焦らず頑張ろうかな。
『究極の室内楽〜辻井伸行&ARKソロイスツ』 ― 2025年10月19日 19:51
金木犀が香り、昼間の木陰でも虫の歌が聴こえるようになりました。
酷暑の夏が嘘だったかのようです。
土曜日は、そんな秋の宵にふさわしい、素敵な演奏会に行ってきました。
去年退院して以来、初めてのコンサート。
それも、大好きな辻井伸行さんがメイン奏者です。
彼の演奏を聴くのは三回目。(ネットでなく、根性で電話でチケットをゲット!)
去年も演奏会に行くはずだったのですが、思いもかけず悪性リンパ腫に罹患し、
友人夫婦に譲ったので、今回はいっそう楽しみでした。
コンサートは、『究極の室内楽〜辻井伸行&ARKソロイスツ』と銘打っています。
辻井さんの演奏は、ソロの演奏会とオーケストラとのピアノ協奏曲を聴きましたが、
室内楽は初めてです。
よく演奏会をともにされる三浦文彰さんも一緒で、二人がリーダーとなって、
気心のしれた音楽仲間が集結するとのことで、前半はすべてデュエット。
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番の第1楽章で始まり、
フランクのヴァイオリン・ソナタのフルート版、
クラリネットとの演奏が二曲続き、
最後はブラームスのピアノ四重奏曲第1番の第4楽章でしたが、
それぞれのデュエットの相手が辻井さんをエスコートして登場し、
その様子も本当に微笑ましかったです。
どなたの演奏も素晴らしく、クラリネットのセルゲイ・ナカリャコフさんは
大変な人気でした。
高木綾子さんのフルートの音色も、天上の音楽のように美しかったです。
後半最初の曲はモーツァルトの弦楽四重奏曲第17番《狩》。
CDは持っていますが、ライブで聴いたことはありません。メンバーは全員女性で、
息のあったのびやかな演奏を聴いていると、
モーツァルトゆかりの地を旅したときのことが浮かんできました。
サラファーン4部作に登場するジョサは、たぶん前にも書いていると思いますが、
モーツァルトとショパンがインスピレーションの源です。
特に、モーツァルトの曲の、明るさの中に隠れた悲しみが、底抜けに明るいけれども
実は誰にも言えない寂しさを秘めたジョサと重なって…。
ピアノが大好きなわたしにとっては、特別な作曲家でもあります。
最後の曲は、シューベルトのピアノ五重奏曲《ます》。こちらは全員男性で、
やはりびっくりするほど息がぴったり。
シューベルトもまた、わたしにとって特別な作曲家です。
(サラファーンの星のトレイラーのBGMも彼の即興曲です。)
歌曲の《ます》の旋律が第4楽章に入っているので、このタイトルがあるそうで、
(わたしは歌曲しか聴いたことがなかったのですが)、圧巻でした!
辻井さんのピアノは本当に純粋で音がきらきらしています。
今回は、仲良しの音楽仲間と演奏する喜びと力強さも加わって、そしてまた、私が
前に聞いたときより、経験も積んで、新たな輝きを放っていたように感じました。
とっても幸運なことに、彼の横顔とピアノを奏でる手が見える席だったので、
彼の感性の鋭さが、いつも以上に伝わってきました。
シューベルトの曲は全5楽章ですが、そのうち3つが他の楽器と同時に、
1つがほぼ同時に始まり、
目が見える演奏者なら、他の奏者を見て、演奏を始めるでしょうが、
辻井さんは、気配を察して弦楽器に合わせるのです。じっと集中して
感覚を研ぎ澄ませているのが、全身から伝わってきて、心が震えました。
アンコールはこの五人で(本当にみんな仲良くてとってもチャーミング)、
チャルダーシュと真田丸のメインテーマ。
熱い曲の熱い演奏。客席の盛り上がりも最高潮に達しました。
素晴らしい演奏会のときには、いつも思うのですが、
本当に、永遠に聴いていたかったです。
国内も世界も、心配事や悲しい出来事にあふれている現在、
音楽はいっそう大切に思えます。
音楽は国境も国籍も人種も宗教も、どんな差別もありません。
五重奏曲のチェリストは、フィンランド生まれのヨナタン・ローゼマンと
韓国出身のユンソン。
前半のナカリャコフはロシア生まれでイスラエル国籍です。
世界も、心配事や悲しい出来事にあふれている現在、
音楽はいっそう大切に思えます。
世界中に美しい音楽が溢れて、愛とやさしさが広がりますように。
追悼〜ロバート・レッドフォード ― 2025年09月27日 16:10
天の川〜車山 ©️T.S.
先週、ロバート・レッドフォードが亡くなりました。
またひとり、きらめくスターが空に還って、地上が寂しくなりました。
スターというだけではおさまらない、大きな存在だったと思います。
優れた俳優であり、アカデミー賞監督であるだけではなく、ユタ州の美しい自然の中に、
サンダンスインスティチュートを設立。
ヒットが絶対条件の、大きなスタジオが牛耳るハリウッドでは取りこぼされてしまう
小さな優れた脚本や、独立系の映画人、若者たちをのびのび育てるラボです。
そして、そこで生まれた作品を発信するため、サンダンス映画祭を主催しました。
いまではすっかりメジャーな映画祭になりましたね。
環境活動家でもあり、社会的弱者の擁護者でもあり、まさにアメリカの良心。
今の世の中に本当に必要な人だったと痛感します。
俳優としてのキャリアも本当に華やかですが、初めて観たのは『明日に向かって撃て!』。
公開当時は子どもだったので、テレビ放送でのことです。
主題歌の「雨にぬれても」と、共演のポール・ニューマン、
そして、キャサリン・ロス演じるヒロインが印象的でした。キュートな目元が私の友だちに
そっくりで驚いたし(彼女いまでも似ています)、それゆえ、親しみも感じました。
ラストシーンのストップモーションも印象に残っています。
レッドフォードを偲んで観てみようと思う人がいるといけないので、ネタバレしませんが
名シーンだと思います!
私の通った岐阜の小中学校は、保護者同伴でないと映画館は出入り禁止でしたので、
やはりのちにテレビで観た作品ですが、『華麗なるギャツビー』は、美しく悲しい物語で
心に残っています。真っ白なスーツが決まっていて、当時話題になりました。
(父と叔父が真似して白いスーツを着て喜んでました。娘としては恥ずかしかったです。)
ディカプリオのギャツビーも観ましたが、趣が異なって、どちらもそれぞれ良いです。
そして、初めて映画館で観たレッドフォードの映画は、『スティング』でした。
東京に引っ越した高校一年のとき、ロードショーから渋谷の名画座にまわってきた際、
友だちと観に行きました。
昔はロードショー落ちの作品が、二本立て三本立てで、公開から随分遅れてですが
名画座で上映されていたのです。一本の料金で2本か3本観られるので学生の強〜い味方。『スティング』は『ペーパームーン』との組み合わせだったかな(この記憶大いに怪しい)。
田舎娘には、友だちと二人で映画を見に行くというだけで大冒険で、
それもあってか、『スティング』も強烈なインパクトがありました。
作品賞を含め、音楽賞などアカデミー賞7部門に輝きましたが、その音楽の軽やかで
楽しいこと。また、何章かで構成されていて、そのタイトルもいちいちおしゃれ。
仇討ちの相手を大仕掛のトリックで騙すという物語も、ドキドキワクワク面白く、
忘れられない作品です。
これも、ポール・ニューマンとの共演で、この二人のケミストリーはほんと抜群!
(生涯の友人だったそうです。お互いにとってなんて幸せなことでしょう。)
レッドフォードが監督をすると聞いたときには本当にびっくりしたものです。
(そして、その初めての作品『普通の人々』で、アカデミー監督賞をとったのですから、
さらにびっくり! 作品賞、助演男優賞、脚色賞も受賞しています。)
一見普通に見えるアメリカの家庭を描いた作品ですが、衝撃的な映画でした。
でも、とても心に染みて、切ないけれど、何度も観たいと思わせる秀作です。
(ただし、元気なときに観たほうがよい映画ですね。重い作品でもあるので。)
これを最初の監督作に選んだレッドフォードは、繊細で、誠実で、本当に素敵な人だと
感じ入りました。
冒頭の朝食のシーンが、まず、ガツンときます。
母親が、次男のためにフレンチトーストを焼くのですが、彼が食欲がなくていらないと
いったとたん、表情ひとつ変えずに、流しのディスポーザーに落として、ガーって
砕いてしまう。それだけで、母と息子の間の緊張感、家庭の不穏な空気が伝わってきます。
次男のティモシー・ハットン(若くしてアカデミー助演男優賞受賞)がとてもよいのですが、
監督として彼をキャストした選択眼も素晴らしいです。
父親はドナルド・サザーランド。(『24』のキーファーのお父さんです。)
家族の崩壊。そして、ラストのささやかな希望。
静かに流れるパッヘルベルのカノンも、胸に染みます。
『ナチュラル』『大統領の陰謀』『愛と哀しみの果て』など、名作が多くて
書くのに迷いますが、『リバー・ランズ・スルー・イット』は外せないでしょう。
こちらも監督作で、ある家族の哀切な物語。
モンタナの大自然のなか、厳格な父親と、性格の違う兄弟の確執と絆が描かれます。
のどかなフライフィッシングのシーンが夢のように美しく、脳裏に焼き付いています。
人は人を(家族を、だったかな…)理解できないかもしれないが、愛することはできる。
そんな言葉に、その通りだな、としみじみと思いました。
自由奔放な次男を若きブラッド・ピットが演じていますが、レッドフォードに
そっくりだと、当時話題になったものです。
のちに、『スパイゲーム』で、スパイの師匠(レッドフォード)と新人(ピット)の
役柄で共演しますが、この作品も好きでした。
ラスト、緑のポルシェに乗って颯爽と駆けてゆくレッドフォードのかっこいいこと!
最後に、メジャーではないけれど、個人的に好きな作品を2つ。
『ホットロック』と『スニーカーズ』。
『ホットロック』は犯罪コメディ映画というところでしょうか。古い作品で、
子どものころテレビで観ただけなので、内容はほとんど覚えていません。が、
やはりラストの(こちらは歩いて去ってゆく)レッドフォードがなんとも楽しげで、
妙に心に残っています。彼、泥棒なんですけどね。
(良い子の皆さん、真似しないでね。)
そして『スニーカーズ』。
もとハッカー(レッドフォード)が率いるのは、企業のセキュリティの弱点を見出すべく、
実際にハッキングして指摘し、報酬を得ている合法的なハイテク集団。
彼らと、世界を揺るがす究極の暗号解読機をめぐる、ドキドキハラハラの物語。
1992年の作品で、当時はハッカーを描くこと自体、あまりなかったと思います。
それゆえ、とても新鮮で面白かったし、今は亡きリヴァー・フェニックスが
コンピューターオタクを演じたのも、すごく楽しかったです。
冒頭の天の川の写真は、従兄がこの夏、送ってくれたものです。
霧ヶ峰の車山で撮影したそうです。無数の星のきらめきが、大スターを偲ぶのに
ふさわしいと思えて、アップしてみました。
いまごろ、ポール・ニューマンやリヴァーくんとおしゃべりしているのかな。
亡くなったお子さんたちにも会えていますね。
向こうの世界でゆっくりしてくださいという気持ちと同時に、地球や社会のことを案じて
活動していた彼に、時にはこの下界を見守ってほしいと思ってしまいます。
最後に、サンダンス・インスティテュートで彼の追悼を特集しているので、
そちらを載せておきますね。
↓↓
虫愛づる姫君 in ダーウィンが来た! ― 2025年09月05日 16:07
今朝の名古屋は台風の影響で横殴りの雨が降りました。なんとか無事通り過ぎましたが、
各地で大きな被害が出ています。まだこれからというところもあると思います。
どうぞくれぐれも気をつけてくださいね。
ところで、友だちのお嬢さんで、幼い時から虫が大好きだった弓女(ゆめ)ちゃんのことは
2020年1月の記事「虫愛づる姫君、熱き思いを語る」で紹介しました。
名古屋に講演に来て、虫と植物の多様性と進化の物語を熱く語ってくれて、今も心に
残っています。
その弓女ちゃんの研究している生き物が、7日夜の「ダーウィンが来た!」に登場すると
友だちに教えてもらいました。弓女ちゃんも出るんじゃないでしょうか。楽しみ〜。
(可愛い赤ちゃんだった弓女ちゃんが…と、親戚のおばちゃんのような心境です!)
「1000年の都 京都の生き物ワールドご案内!」というタイトルで、弓女ちゃんの
パートは、京都のお寺の苔にも小さな命が宿っているよ、というエピソード。
その他、境内の森を飛び交うムササビや、鴨川のオオサンショウウオ(そんなところに
住んでいるとは知らなかった)も登場するみたいです。
動物も虫も植物も鉱物も人も、みんな地球の一部。大切な存在です。
その中で、環境を壊しているのは人だけではないでしょうか。
知恵を絞り、力を合わせて、住みやすい世界に変えていきたいですね。
猛暑が身体にこたえていますが、ダーウィンを見て元気をもらおうと思います!
追記:
弓女ちゃん、しっかり登場していました♡
5年前と変わらずチャーミングで、華奢で、でも、お寺の急斜面を軽々と歩いて苔を
探す姿は、とっても頼もしかったです。大好きなことを仕事にして、嬉しそうに、
まっしぐらに進む弓女ちゃん。これからも応援しています。
(博士と紹介されていたけれど、私の中ではやっぱり可愛い弓女ちゃんだなぁ。)
永遠の平和を誓い祈る日 ― 2025年08月15日 22:33
終戦から80年。
戦争を知る世代が少なくなるなか、戦争でなくなった全ての方、大切な方を失った全ての方、今なお後遺症で苦しんでいるすべての方に、心を寄せて、永遠の平和を祈ります。
310万人といわれる戦没者を慰霊する全国千戦没者追悼式で、石破首相は
「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓をいま改めて
深く胸に刻まなければなりません」と、「反省」という言葉を使いました。
式典での首相の式辞でこの言葉が使われたのは、2012年以来のことです。
「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」とは、ドイツのワイツゼッカー大統領が
敗戦40年目の1985年に連邦議会で行った演説の一節です。
戦争当時、今生きている人は子どもだったか、まだ生まれていなかったけれども、
先人が負の遺産を残したことは知っているべきであり、過去をしっかりと見つめた上で、
未来に進むべきだと訴えています。
戦争は始めるのは簡単だが、終わらせるのは難しいといいますが、
ウクライナやガザの惨状を見ていると、本当にそうだと感じます。
内線が終わったシリアでも、難民たちが戻って無事に暮らせるようになるには
あと1年はかかるといわれているそうですし、アジアやアフリカにも各地に紛争地が
あります。
まずは戦争を始めないこと。
戦争の放棄をうたった憲法九条をしっかりと守っていかなくてはならないと痛感します。
強力に武装すれば国が守れるというのは幻想だと思います。
最初の一歩を踏み出してしまうと引き返せない。一般の市民が戦火に巻き込まれてしまいます。
今は、核という恐ろしい武器があります。一瞬で広島と長崎を破壊し、80年がたった
今でも原爆症で苦しむ人がいるという現実。現在の核兵器の力は当時の比ではありません。
一旦使われたら、どんなことになるか、想像するだけで恐ろしいです。
かつて、圧倒的な軍事力の差があったと言われる戦争に駆り出されていった若者たち。
母は9人兄弟の末っ子で、兄たちは海軍や陸軍に入隊し、姉は軍事工場に行っていました。
兄(私にとって伯父)の一人は戦死しています。面白い人だったそうで、会いたかったと
思います。
たぶん、私の世代は、直接身内から戦争の話を聞く最後の世代になるのかもしれません。
だとしたら、これから、その話を伝えていかなければならないと、戦後80年のいま、
ひしひしと感じています。
世界各地の戦争や紛争が、いっそうそういう思いに駆り立てるのだと思います。
タモリさんが、いまは戦後ではなく、新しい戦前だと言ったのはいつだったでしょうか。
その言葉に戦慄を覚えながらも、もしかしたらそうなのかも、と、ずっと感じています。
決して、そんなことになりませんようにと切に祈ります。
そして、戦争でなくなった全ての方、大切な方を失った全ての方、今なお後遺症で
苦しんでいるすべての方に、心を寄せて、永遠の平和を祈ります。
今日はまた、大好きな祖父の命日でもあり、私にとって、とても大切で忘れられない
日。お盆で帰ってきてくれていたかな。大きな愛のかたまりのような人だった祖父。
私が14歳のとき、亡くなった祖母のあとを追うように、膵臓がんであっという間に
旅立ってしまいました。
祖父にふたたび会う前に、世界の平和のために、小さなことでも、私にできることを
続けていきたいと、心に誓っています。
写真は昨日の名古屋の夕空。こんな美しい夕焼けは久しぶりで、終戦の日を前に、
とても胸にしみました。
アンジェラスの鐘と被爆クスノキ ― 2025年08月09日 17:37
浦上天主堂は少しピンクがかった赤レンガの美しい教会です。
昔、家族旅行で長崎を訪れたとき、原爆で破壊されたとは思えないほど、長崎の空と大地と
ひとつになってたたずむ姿に胸を打たれました。
戦前、2つの鐘楼には、アンジェラスの鐘と呼ばれるフランス製の2つの鐘があったそうです。
80年前に原爆が投下されたとき、爆心地に近かった天主堂は壊滅的な被害を受けました。
鐘のひとつは、奇跡的に、ほぼそのままので見つかりましたが、
もうひとつは修復不可能なほど破壊されていたと聞きました。
それを復元した鐘が、先月アメリカから寄贈されました。長崎を訪問し、
失われた鐘のことを知って寄付を募ったのは、ジェームズ・ノーラン・ジュニア教授。
マンハッタン計画に関わった医師の孫にあたるそうで、運命の不思議さを感じます。
教授は、アメリカ各地を回り、キリシタン弾圧の苦難の歴史を経てようやく完成した
浦上天主堂が原爆によって破壊されたこと、戦後再建されたこと、人々の鐘への思いを伝え
たところ、600人余りのカトリック信者から寄付が集まったとのこと。
復元された鐘は、分断が深まる世界で、平和と希望の象徴となるようにとの願いをこめて、
あらたに「希望の聖カテリの鐘」と命名されたそうです。
そして、今日、原爆が炸裂した11時2分。80年の時を超えて2つそろった鐘が、
平和公園の鐘とともに鳴らされました。黙祷を捧げる耳に、その響きが聞こえてきて、
胸がいっぱいになりました。2つの鐘が共鳴した響きは、美しく荘厳でした。
あとで画像を見てみましたが、雨に濡れた浦上天主堂と復元された鐘が鳴る様子も
映っていました。
式典では、福山雅治さんの「クスノキ」の合唱もありました。
爆心地に近い2つの小学校の児童による合唱で、心にしみました。
あの日まで、山王神社の境内にそびえていた2本のクスノキは、浦上天主堂と同様に、
爆心地に近かったため、幹は裂け、枝葉を飛ばされ、枯れてしまうと思われたそうです。
けれども、被爆から2か月で奇跡的に新芽を芽吹かせました(長崎市のWebsiteでは
2か月、山王神社のWebsiteでは2年となっています)。
それが、どれほど当時の長崎の人々の胸に希望の灯をともしたか、それはもう、私の
想像を遥かにこえていることでしょう。
いま、どちらの木も、互いに枝をからめながら、天に向かって堂々とたたずむ姿を
見ながら、そんなふうに思いました。
先日、クローズアップ現代で見たのですが、福山さんは被爆二世で、17歳のころ、
父親が1年間がんで闘病した後、亡くなったそうです。病気に対して何もできない無力感、
虚無感がすごくあるなか、ふらりと立ち寄った山王神社のクスノキに、助けられたと
語っていました。それから、たびたびクスノキに会いにいったそうです。
お父さんのがんは、赤ちゃんのとき被爆したことに原因があるに違いありません。
福山さんやご家族の気持ちを思うと、言葉を失います。
そんな被爆者の方々が本当にたくさんいるわけですが、それぞれに大切な方がいて、
皆さんどんな気持ちだろうと思うと、胸がつまります。
本当に、長崎を最後の被爆地にしなければなりません。
福山さんは、自らのルーツを歌にしたいとずっと思っていたそうです。そして、
被爆クスノキをモチーフにした楽曲を作りたいと思い、メロディと「わが魂は」の歌詞は
ずっと心にあったそうですが、曲が完成したのはその24年後。
絶滅にひんした生き物に出会う番組のナビゲーターを務めたとき、「地球に生かされている」
と感じ、クスノキの立場で歌にできる、と思ったそうです。そこからは早かったとか。
そこからまた歳月を経て、平和祈念式典で歌われるまでに成長したクスノキの歌。
平和への強い願いとともに、ずっと歌い継がれて行くことと思います。
浦上天主堂の2つの鐘と、2本の被爆クスノキは、私たちに、決して戦争をしてはいけない、
決して核を用いてはならないと伝えてくれます。











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