右耳の反乱2023年08月18日 21:17

8月13日の夜明け、ゴーッという地響きのような音で目が覚めました。
左の方から聞こえてきます。
台風が早く来たのかとびっくりしましたが、その後エアコンの音だと気づきました。
ただ、エアコンは右手にあるし、その音が異様に大きいので、もしや、と思いました。
前に、左耳が突発性難聴になったときと同じ感覚です。
水音や金属音、陶器の食器が立てる音、機械音など異常に大きく響くのです。
試しに声を発すると、自分の声も大きく聞こえて気持ち悪い。
左耳を塞ぐと、右耳があまり聞こえていません。まずい状態です。
今日はお盆で日曜日。そのことも、非常にまずい。
突発性難聴は、発症して48時間以内に治療を受けないと治りが悪いといわれています。
すぐに近所の耳鼻科のHPを調べました。ああ、やっぱり。15日までお盆休みです。
救急病院に行くという手もありますが、この酷暑。救急病院は、熱中症など
命の危険にかかわる人にとっておくべきだと判断し、近くのドラッグストアで
ビタミンB12の入った市販薬を買ってきました。

翌朝。症状は良くなるどころか、悪化しています。
困っていると、母が言いました。大きな病院はお盆休みとかないわよ、と。
え? そうなんだ! でも、大きな病院は紹介状がないと診てもらえません。
紹介状をもらうには、近くのクリニックとか行かなければなりません。
待てよ。思い出しました。事故で骨折した時、救急車で病院に担ぎ込まれたから、
その病院の診察券があります。そして、紹介状ないけど、病院が開いているなら、
それほど遠慮しなくても救急病棟に行ってもいいかも。

というわけで、急いで朝ごはん食べて(食べる音もものすごく響きます。本当に
不思議です。片耳があまり聞こえないのに、なぜ音がいつもより大きくなるのかな)、
地下鉄に乗り、7時50分には病院につきました。
紹介状がないので、まずは救急の診察を経て、耳鼻科へ。
すごく混んでいましたが、救急枠で診察してもらえました。優しい先生で、ほっとしました。
片方の耳で突発性難聴をやっていると、もう片方でなることもあるそうです。
聴力検査をしたら、低音部が聞こえていないけど、高音部は聞こえているから、
まずはステロイドではなくて、別の薬を試しましょうということに。
「この薬、すごくまずいんだよね。ぼくは飲めるけどね。頑張って飲んでね」
先生、試しに飲んでみたのでしょうか。(薬を頑張って飲むよう言われたのは初めてです。)
診察の後、検査をはさんで、また診察で、そのあと血液検査もしたりして、最後に
薬をもらって病院を出たのが1時20分過ぎ。5時間半の滞在で、疲れました〜。

薬は、まずいとお墨付きなだけあって、超まずいです(シロップです)。食後の薬なので
ご飯を食べている間は、なるべくそのことを考えないようにするのが第一のポイントです。
食前の漢方薬も一緒にもらいましたが、漢方のまずさなんて吹き飛ばす素晴らしいお味。
けれど、背に腹は変えられません。コップに入れて一気飲みして、そのあと水をがぶ飲みし、
最後に歯を磨いて紛らわすのが第二のポイント。
「頑張って」5日間飲み続け、少しずつ右耳の聴力が戻ってきました。
来週の診察までに良くなりますように。
(突発性難聴は、完治の確率が30%と言われています。左耳は完全にはもとに戻り
ませんでした。右耳は完治するといいなぁ。)

ところで、台風7号ものすごかったですね。名古屋も荒れましたが、警戒レベル5の
鳥取に親戚と母の友人がいたので、ドキドキしました。連絡したところ、母の友人は
避難所に行くのに橋を渡らなくてはならないから、行けないとのことでした。
一夜明けて、無事だと連絡をもらって、ほっとしました。
でも、亡くなられた人やけが人が出るなど、全国的に被害がひどくて、胸が痛みます。
ハワイのマウイ島の山火事も、まるで戦場のようで、言葉になりません。
ハリケーンによる風の影響とのことですが、電力会社が送電を停止しなかったことや
サイレンが鳴らなかったことなどが被害を拡大したそうですね。
美しい島、素敵なラハイナの街を思い、悲しくなります。
ハワイの従姉は、いま、一時帰国していますが(彼女の家はオアフ島なので無事でした)、
これまで、これほどひどい山火事はなかったと、ショックを受けています。

台風やハリケーンの巨大化は、間違いなく、地球温暖化(沸騰化)の影響でしょう。
本当に、わたしたち人間は、立ち止まって、真剣に未来の世代のことを考えなくては
ならない地点に来ていると思います。

手紙と夕焼け2023年06月09日 23:55


名古屋の夕焼け

今日の名古屋は、久しぶりにダイヤミックな夕空が広がりました。
ポストにはクラシック好きな友だちからの厚いお便り。音楽の話や映画の最後に、
北国の森ではホトトギスが歌っていると書かれていました。
いつもながらのやわらかで踊るような文字にほっこりしながら、
すぐ前に森が広がる彼女の家を思いました。

台風がたびたびひどい被害をもたらしています。また近づいていますね。
どうかあまり大きな災害になりませんように。

柚子ピール2023年01月14日 23:13

柚子をたくさんいただいたので、先日、柚子ピールを作ってみました。
友だちの手作りの柚子ピールがとっても美味しかったので、レシピを教えてもらったのです。
なにぶん不器用なわたし。でも彼女のレシピはハートが散りばめられた便箋に
きれいな文字で書かれていて、一番最後の言葉は「お疲れさまでした」
その温かさとユーモアに(私が作れるかわからないのに!)ほっこりして思わずその気に。
友だちのように上手にはできなかったけど、なんとか完成。

柚子ピール

暗いニュースで気持ちが沈んだり、不安になったり、
家族や友だちのことで心配事があったり…生きるのがむずかしく感じるとき、
こうしてお菓子を作ってみたり、友だちに手紙を書いてみたり、
近所のお花屋さんで、大好きな水色の花を買ってきたり、
心を込めてゆっくりとお茶を淹れてみたり、
日常のささやかなことを、楽しみながら、丁寧にしてみます。
そうすると、心を暗くしていた雲が、少し晴れてくれるような気がします。

トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王墓100周年記念講演2022年10月24日 19:20

遺跡は大好きです。旅行も大好き。
でも、エジプトには行ったことがありません。
そのエジプトで、トゥトアンクアメン王墓が発見されたのは、
1922年11月4日。今年で100年になるそうです。
その記念講演が名古屋であり、行ってきました。
講師は「世界ふしぎ発見」でおなじみの考古学者、河江肖剰先生。
Tシャツにジーンズ姿で、そのまま発掘現場から現れたようにさっそうと登場。

小学生の時、子ども向けの世界文学全集で「ツタンカーメン王のひみつ」を
読んで、とても面白かった記憶があります。
王はファラオになったときまだ小さく、その後、10代の若さで亡くなり、
王の墓を発掘したあと、何人もが突然死んで、
ツタンカーメン王の呪いと言われたのですよね。

講演の30分前、係の方がプロジェクターを確認し、スクリーンには
かの有名な黄金のマスクが映し出されました。
ところが、講演が始まったとたん、画面は真っ暗(真っ白?)に。
「呪いですかね?」と先生。会場は笑いに包まれました。
ツタンカーメンと呼んでいるのは、日本だけだそうで、
トゥトは「生命」アンクは「姿」アメンは「神」であると解説。
(父王の一神教アテン信仰で、誕生時は「アメン」でなく「アテン」だった)
言葉には意味がある。それは大事だというようなことを言われました。
欧米では、親しみを込めてトゥト王と呼ばれていて、
この100周年も、とても盛り上がっているそうです。
そんなことを聞いているうちに、プロジェクターが復活。
というか、係の方が、ほかのプロジェクターを用意して、
無事、映像が映し出されました。
「よかった」と先生。「どうやって話を引き延ばそうかと思った」

ということで、本題に。
王の墓を発見したのは、イギリス人のハワード・カーター。
25歳の若さでエジプトの発掘現場の主席査察官をしていましたが、
サッカラの遺跡で、停電が起こり、フランス人観光客が、
「停電で見られなかったんだから、入場料を返せ」といったことで
乱闘が起こり、仲裁に入ったところ(その態度が我慢ならなかった
のでしょう)、逆に観光客を殴り倒してしまいました。
これが、外交問題に発展。
フランス側は、イギリス本国に、カーターの謝罪を求めてきました。
カーターは、断固拒否。仕事を失うはめに。

けれど、人間万事塞翁が馬。(先生の好きな言葉だそうです。
人生、本当にそうですよね、とすごく同感!)
このピンチが、彼を運命の発見へと導くのです。

さて。ここに、もう1人の重要人物が登場。
イギリス人貴族、カーナヴォン卿。
車好きで(当時車は新しい乗り物でした)、飛ばしすぎて事故で負傷。
後遺症で、イギリスの冬の寒さがこたえるようになり、
毎冬、暖かなエジプトで過ごすことになったそうです。
そこでカーターを紹介されて、タッグを組み、
「掘り尽くされた」といわれた王家の谷で発掘を始めます。

なぜかというと、カーターは、歴史から消された王の墓が
きっとあるはずだ、と信じていたからです。

(エジプトの歴代の王の中で、名前が抹殺された王が四人。
ツタンカーメンの父から数えて4代。
ツタンカーメンの父は、太陽神アメンを中心とした多神教から、
一神教アテンに変え、都も移したのですが、人々には受け入れられず、
父の死後、王位についたツタンカーメンは、多神教に戻します。
けれどもその4代は、「異端」とされ、消されてしまったのです。)

第一次大戦をはさんで数年後、ついにカーターは、
ツタンカーメン王の墓を発見します。
執念の、そして世紀の大発見でした。

講演では、100年前の発掘当時の写真や、発見された埋葬品の数々、
さまざまな部屋に、幾重にも封印された棺など、画像や動画で
見せてもらいました。
(プロジェクターが動いて、ほんとうによかった。)

ツタンカーメンが子どものころから使っていた日用品に、
美しい短剣や玉座。
折りたたみ式の移動ベッドは、狩りや、多神教に戻したときの
遷都の際に使われたのではとのことです。

ツタンカーメンは椅子に座っている絵が多く、杖が130本も見つかり、
ミイラを分析すると、左足が内反足で、足の指先も壊死していて、
歩くのに困難があったと思われるとのこと。
DNA鑑定の結果、母親は父の実の妹だったと(ほぼ)判明。
また、ツタンカーメンの妻は、母親違いの姉で、
夫婦仲はとてもよかったようです。
仲むつまじく寄り添う絵がたくさん残っているそうです。
宗教が変わり、遷都もあり、国の情勢が大きく揺らいでいた時代、
若き王を、おそらくその若さゆえに孤独で障害もある王を
王妃はつねに支えていたのだろうと思うと、ほほえましく、
なんだか心がなぐさめられます。
ただ、王が亡くなったのは推定19歳。二人で過ごした時間は
短いものでした。王妃の悲しみを思うと、胸が痛みます。

棺の中のミイラには、肋骨と心臓がなかったそうです。
なぜなのかは、謎だとのこと。
いったいなにがあったのか、とても気になりました。

ところで、呪いのことですが、
発見当初、カーターはメディアの取材攻撃にあい、
一社をのぞいて(タイムズ社だったか、どこだったかな。
スカスカの頭には残ってません。ごめんなさい)
取材に応じないことにしたため、締め出された記者が
ゴシップで流したといわれているそうです。

歴史から消し去られていた少年王の物語。
遥か昔の遠いエジプトに思いを馳せた一日でした。

近況〜打ち明け話2022年03月09日 20:09

『ユリディケ』の更新が遅れていてごめんなさい。
心身が限界に来て、先月からメンタルクリニックに通院しています。

重度の障害がある甥っ子の支援相談員さんに、
介護は長く続くものだから、そんなに走りすぎていたら息切れすると言われ、
(きっと危なく見えたのでしょう)受診をすすめられていたのですが、
甥のほかにも障害や病気を抱える家族が複数いて、わたしが最後の砦だったし、
回復基調にある妹のうつ病が、わたしの不調を知って悪化しないかも心配で
なかなか決心がつきませんでした。

先生は、妹のうつ病の主治医の先生で、いつもわたしが妹に付き添って
通っているのですが、診察室のドアを開けたとたん、
「大丈夫かなって、ずっと心配していたのよ!」と言われ、びっくりしました。
家族のことも気をつけて見てくださる先生なんだ、と……。
抱えていた思いを洗いざらい打ち明けると、親身に聞いてくださって、
「ひとりで抱えないで、少し肩の荷を下ろして、
妹さんとシェアしてみては?」とアドバイスを受けました。

妹には、毎週、二日か三日、我が家でゆっくりしてもらっています。
大丈夫か心配でしたが、そのときに打ち明けると、前向きに受けとってもらえ、
ほっとしました。
妹もわたしもメンタル半人前、母は足腰が悪くリハビリに通っているけれど、
気持ちは元気。みんな足せば、なんとか一人前になります(*^_^*)

相談員さんの配慮で、訪問看護も受けることになりました。
妹は訪問看護でカウンセリングを受けていて(前に書きましたね)、わたしも
同じ看護師さんにお願いしました。
先生も、看護師さんも、相談員さんも、とても温かく、本当に心強いです。

『ユリディケ』の連載がすごく気になっているのですが、
受診のあと(ほっとしたのか)、どっと疲れが出てしまいました。
続きを待ってくださっている方、ごめんなさい、もう少しお待ちくださいね。
できるだけ早く復帰しようと思っています。どうぞよろしくお願いします。

ウクライナのことで、胸が痛む毎日…。21世紀に、こんなひどい戦争が
起こるなんて。罪もない市民が標的にされるなか、母親と子どもたちが決死の脱出を
している映像に、言葉を失います。核施設への攻撃や、核兵器の使用をほのめかすなど、
常軌を逸しています。
こんなことがあっていいはずありません。ひとりひとりができることをして、
声を上げ続けていかないと、と思っています。

突発性難聴に…2020年07月30日 17:13

月曜日(27日)の朝、突然片耳が聞こえなくなりました。

あ……と思いました。
二年前、四部作の連載を終えて、休む間もなく公式サイトの準備に追われ
根を詰めていた時も、突然、片耳が聞こえなくなったのです。
少し前に、母の知人が、ある日突然、片耳がまったく聞こえなくなって
突発性難聴と診断され、即入院という話を聞いていたし、
わたしの友人も、前の年に突発性難聴を発症したので(彼女は通院)、
迷わず耳鼻科の病院へ行ったのでした。

突発性難聴は、発症してから48時間以内に治療を開始するのが望ましく
少なくとも14日以内、と言われているそうです。
二年前も今回も、平日だったのですぐに診てもらえて、幸運でした。
もしも、片耳が聞こえないとか、聞こえが悪い、というときには
ぜひ早く病院に行ってくださいね!

原因はわかっていないそうですが、過労や睡眠不足、ストレスなどが
引き金となるのではとのこと。
また、先生の経験上、梅雨時がとても多いそうです。
二年前も、今回も、まさに梅雨時。
人間の身体は、天候とも密接に結びついているのでしょうね。

実家が引っ越しをするので、このところ、その準備で忙しくしていて、
そんななかで、なんとか原稿も進めようとしていて、
あまり寝ていなかったのでした。

そんなわけで、引越し準備は、やむをえず途中でストップ。
仕事の方は、『ユリディケ』の次の章はほぼできているんだけど、
その先はまったくなので、8月後半、連載に間に合うか不安がいっぱい。
でも、耳が治らなくなると、もっと大変なことになるので、
焦らずに、ちょっと休んで、少しずつ再開しようと思っています。
元気になったら、頑張ります!
もしも回復に時間がかかって連載を休むようなことになったら、
本当にごめんなさい。そのときは、またお知らせします。
ブログは、内容にもよりますが、
気軽に書ける記事もありますし、休んでいるあいだも、時々書きますね。

コロナの感染がふたたび拡大しているので、
しっかり治して、免疫力をあげておかなければとも考えています。
また、豪雨も全国で猛威を奮って、胸の痛くなる出来事が続いています。
コロナも荒天もどうかおさまりますように。そう切に祈っています。

ゴミ収集車を追え!2020年06月23日 20:52


ペンと印鑑入れ

幼なじみの絵里ちゃんのお父さんは、とっても素敵な画家さんでした。
四部作のリーヴの父親が画家なのは、そんな憧れから来ているのかなって、
前にこのブログでも紹介しましたっけ。
これは去年の2月、そんな絵里ちゃんに起こったお話です。

ある日、絵里ちゃんは、バッグの中の埃を払おうと、財布などを出してから、
ゴミ箱の上でバッグを逆さにして、底をパンパンと叩きました。
なにか落ちなかったよね? 一応、ゴミ箱の中をちらっと見て確認。
よし、OK。

その翌日。ゴミの収集日。
絵里ちゃんは、朝ゴミ出しをしてから、仕事に向かいました。
車を運転しながら、突然、「あれ?」
なにか妙な予感がします。
もしかして、バッグのポケットに、実印を入れてなかったっけ?
それ、パンパンってはたいたとき、まさか落ちなかったよね?

信号で停まったとき、急いでバッグを確かめました。
あろうことか。ちゃんとしめていたはずのバッグのポケットが全開に!
実印を持ち出すときには、ママからもらった印鑑入れに入れて
そのポケットに入れていたのに…。

その瞬間、絵里ちゃんには、バッグのポケットから音もなく落ちる
ママの印鑑入れの映像が見えたそうです。
小さいから、ゴミとゴミのすきまにするっと入っちゃったんだ。
だから、確かめた時に、見えなかったんだ。

ガ〜ン!
急いで引き返しましたが、すでにゴミは回収されていました。
念のため(そして、はかない期待をいだきつつ)、
印鑑を入れている引き出しを見たけれど、ありません。
やはり、ゴミに出してしまったのです。
市の収集所に行ってしまったら、それこそ大変!

絵里ちゃんは、すぐにゴミ収集車を追いかけました。
夢中で運転して、ついに追いつき、ゴミを回収しているおじさんに、
事情を話し、自分の家のゴミ袋を探していいですかと伝えました。

でも、ゴミ収集車って、回転しながらゴミを集めているし、
中を探すの、大変です。聞かれたおじさんは、こたえました。
「いまこの中から探すのは無理だなぁ。ゴミ収集所までついておいで」

ずっとあとをついていって、車を停めると、
おじさんは、市の収集所の入り口で待っていてくれたそうです。
「こっちにおいで」
ほかの車のゴミと一緒になると、わからなくなるからと、
おじさんは、ゴミ収集車に積んでいたゴミを、
同じ収集車に乗っていたほかの男性たちと三人で、
だだっ広い部屋に、ダーッとすべてあけてくれたそうです。

「知ってた? ゴミ収集車には、ものすごい量のゴミが入るんだよ」
わたしにこの話をしてくれたとき、絵里ちゃんは言いました。
それはそれは、恐ろしいほどの大量のゴミだったそうです。

しかも、ゴミ袋はもう、半分ぐらいはビリビリに破れ、ゴミが飛び出して
しまっています。
その中から印鑑を探すのは、それこそ、干し草の中から針を探すようなもの。
なにしろ、絵里ちゃんの印鑑入れは、上の写真ぐらいの大きさ。
(ちなみに、写真は、わたしの印鑑入れと、プリントアウトした原稿に
赤を入れる時に愛用しているボールペン。)

それでも、おじさんに、赤と黒の格子模様の印鑑入れだと伝えると、
ほかの二人とともに、さっそくその中を探してくれたそうです。
もちろん、絵里ちゃんも探しました。
いつのまにか、話を聞きつけたほかの人たちも来てくれて
全部で20名ほどの男性が、ゴミの山の中で一生懸命探してくれたそうです。

1時間が経過し、さらに30分が過ぎました。
すごい臭いのなか、頭からブーツまで、ドロドロになっても、
印鑑入れは見つかりません。
実は、印鑑入れには、絵里ちゃんのものだけでなく、ご主人の実印も
入っていて、それで、必死に探したのだそうです。

「燃えるゴミに出しちゃいけないゴミもいっぱいあったよ。
木切れもいっぱいあって、怪我しそうだったよ」
絵里ちゃんは言いました。
「なのに、みんな文句のひとつも言わずに、一緒に探してくれたんだよ。
本当にありがたくて泣きそうだったよ。だから、あきらめたの。
こんなにしてもらって、充分だって。もう出てこなくてもいいって」

そして絵里ちゃんが、「もういいです」と言ったそのとき、
最初に聞いてくれたおじさんの手が、高々と上がりました。
「あった!」

絵里ちゃんは、まさか、と思ったそうです。
でも、おじさんの手には確かに、赤と黒の格子模様の印鑑入れが!

奇跡だと思ったと、絵里ちゃんは言いました。
あんな中で、あの小さな印鑑入れが見つかったのは、ほんとに奇跡だと。
死んだママが助けてくれたのかなって思った、とも言っていました。
でもなによりも、2時間近く探してくれたみんなの優しさに、
胸を打たれたそうです。

おじさんたちは、絵里ちゃんに、感染症になる恐れもあるから、
ちゃんと消毒をして帰ってね、と言ってくれたそうです。
そして、絵里ちゃんが消毒を済ませ、みんなに御礼を言おうとしたときには
昼食にいってしまって、いなかったそうです。

全員にお礼が言いたくて、あとでお菓子を届けたときも
一人しかおられなくて、その方にしか伝えられなかったとのことですが、
それ以来、ゴミ収集車を見ると、頭をさげているそうです。

話を聞いて、わたしも、本当に心を揺さぶられました。
絵里ちゃんが住んでいるのは、関西のとある街ですが、
清掃員の方たちは、名古屋でも、実家の岐阜でも、てきぱきと働いて、
ゴミを回収したあとも、ささっと掃除をしてきれいにして、すごいです。
わたしたちの生活は、そういう方たちに支えられているのですよね。
感謝の気持でいっぱいになります。

絵里ちゃんはそれ以来、ご主人の実印はご主人にしまってもらい、
自分の実印も、ちゃんと家に大切に置いてあるそうです。
そんな彼女からのメッセージ。
「みなさん、くれぐれも印鑑は大切に」

(絵里ちゃん、ブログに載せていいよと言ってくれて、ありがとう。
タイトルの「ゴミ収集車を追え!」は、トム・クランシーの小説
「レッド・オクトーバーを追え!」をもじりました。
ショーン・コネリー主演で映画化もされています。小説も映画も大好きです。
レッド・オクトーバーは、ゴミ収集車ではなく、潜水艦なのですが。)

ハワイの蜂蜜と新しい風2020年06月14日 16:35


ハワイ島のはちみつ

生まれ育った岐阜県は、知る人ぞ知る、日本養蜂発祥の地です。
県の花はれんげ草。れんげからも美味しい蜂蜜が採れますし、
季節ごとに北海道などに移動する養蜂家もいると聞いています。

旅をするときは、よく、その土地土地の蜂蜜を食べたり、お土産に買ったりします。
日本国内でもそうですし、海外では特にそうです。

中でも心に残っているのは、マルタ共和国のゴゾ島の蜂蜜。マルタの蜂蜜はどこのも
美味しかったけれど、ゴゾ島の道端で売られていた蜂蜜は、本当に絶品でした。
ゴゾの野草の蜜で、とってもこくがありました。香りもエキゾチックで独特で。
それと、スロベニアの蜂蜜も、どれもこれも美味しかったです。
ハーブが多くて、ハーブの香りがいっぱいでした。

物語の中にも、蜂蜜はたくさん登場させました。
四部作にも、ユリディケにも共通するのは、マレンの花(想像上の花ですが)の
蜂蜜です。マレンは冬に咲く白い花で、柑橘系の香りがするので、蜂蜜もまた
柑橘系の香りがします。
テス王国の蜂蜜は、スロベニアの蜂蜜をイメージしました。(これ、実際に
物語中に登場させたかどうかは、ちょっと良く覚えていませんが、
各国のことを考えているときに、いろいろと考えるのは楽しかったです。)

蜂が一生かかって集められる蜂蜜は、ティースプーン一杯だけ。そう思うと、
蜂蜜を食べるときには、蜂さん、ありがとう、と思わずにはいられません。

マルタとスロベニアの蜂蜜の他に、大好きになった蜂蜜が、こちらの写真、
ハワイ島の蜂蜜です。
オーガニックのものですが、加熱処理をしていなくて、自然のままなので、
栄養がすべてそのまま残っています。白くてクリーミーで、とっても美味。
何種類かあるのですが、どれも美味しいです。
古いハワイの暮らしを版画にしたラベルも、シンプルな形の瓶も素敵です。

先日亡くなった伯母は、ハワイの従姉のところから帰ってくるたびに、
この蜂蜜をお土産に届けてくれました。これは、去年もらったもので、いま
大事に食べています。

この前は、コロナウイルスのことで、日本に帰ってこられなくなるといけないと
いうので、伯母は帰国日を早めました。
そんなわけで、注文していた蜂蜜が、間に合わなかったそうです。
「今回は、文子ちゃんの好きな蜂蜜、まだ届かなかったの。ごめんなさいね」
伯母が亡くなる少し前、最後に電話で話したとき、そんなふうに言ってくれた
やさしい声が、まだ耳に残っています。

昨日がちょうど伯母の四十九日でした。コロナで未だ帰国できない従姉ですが
ハワイのお寺で伯母の法要をしてもらえたとのことで、先ほどメールが届きました。
ハワイでは、まだ10人以上の集まりは禁じられているので、従姉夫婦と、
伯母のことを知っているお友だちが何人か参加してくれたそうです。
伯母もきっと嬉しかったことでしょう。

いま、アメリカが揺れています。
ハワイ出身で、人々の融合を説いた黒人のオバマさんが大統領になって、
差別はなくなっていくのかな、と期待をしたのですが、悲しいことに、
警察官の暴行で黒人が亡くなる悲劇が繰り返されました。

日本にいると、人種差別はあまり感じられませんが、
ハワイの歴史を振り返ると、第二次世界大戦下では、日系人が強制収容所に
入れられていましたし、コロナウイルスが中国から発祥したことで、
今年になって、アジア人が世界中で差別を受けています。

フロイドさんの暴行死をきっかけに始まった今回の反人種差別デモは
コロナウイルスの感染拡大で人種間の格差が浮き彫りになったことも
拍車をかけたといわれていますが、
若い人たちが声を上げていること、
黒人ではない人たちも声を上げていることが、
これまでのデモと大きく違っています。
世界中に広がっているこの動きが、新しいさわやかな風になって
少しずつでも、世界を変えてゆくように、願っています。
わたしも、間違っていると思うことには、間違っているよ、と、
声を上げていかないといけないなと思います。
みんな、同じ人間なのですから。

そして、もっといえば、みんな同じ大切な命。
人も、蜂も、動物も、植物も、そしてほんとは鉱物や星だって。
だから、争いごとに時間を使ってしまうなんて、もったいない。
時間は、今起きている問題を前向きに解決することや、
この美しい世界を、みんなで思い切り楽しむことに使えたらいいなぁと思います。