鶴舞公園より〜噴水と奏楽堂とライラック2024年04月14日 10:27


鶴舞公園噴水

水曜日、精神科の診察の帰りに、妹と鶴舞公園に行きました。
ずっと行きたいと思いながら、ふたりとも初めてです。母も行きたがっているので、
バリアフリーの道を確認しておきたいというのもありました。
案内所でそのことを伝えると、スタッフの方がバリアフリーの地図をコピーして
色々と教えてくださり、さらに、案内所から出て、地下鉄のエレベーターまで教えて
くださって、妹と感動しました。

20度をこえる陽気で、ローマ様式という噴水塔が涼し気でした。
桜は半分散っていましたが、平日にもかかわらず、人がいっぱいです。
こちらの枝垂れ桜がちょうど満開でした。

鶴舞公園枝垂れ桜

そして、鶴舞公園のシンボルともいえる奏楽堂。こちらはルネッサンス様式。
このあたりまで歩くと、人もあまりいません。

鶴舞公園あずまや遠景

近づくと、屋根に白い竪琴があり、階段の手すりもスワンの形をした竪琴。
周囲の手すりには楽譜があしらわれています。

鶴舞公園あずまやアップ

鶴舞公園八重桜

先ほどの女性スタッフに教えてもらったサトザクラと、ライラックの花も素敵でした。
ライラックは薄紫と白の2本が、寄り添うように並んでいました。

ライラック2

ライラック3

白いライラックの木から撮ったショット。紫のライラックが重なって見えます。
リラの木ともいいますね。『赤毛のアン』のモンゴメリーの本に、よく出てきた記憶が
あります。あこがれの木のひとつ。
とても良い香りをあたりに漂わせていました。

鶴舞公園は、明治42年(1909年)に名古屋市が設置した最初の公園で、
近代フランス式の洋風庭園と回遊式の日本庭園をあわせもっているとのこと。
桜や薔薇、ショウブ、紫陽花、睡蓮など、季節ごとの花が楽しめるようになっています。
花壇にはちょうど、大好きな青い花、忘れな草とネモフィラも咲いていました。

素敵な案内所のスタッフの方、ありがとうございました。
心なごむひとときが過ごせました。今度は母と訪れたいです。

追記:今日は熊本地震の最初の激震(前震)から8年。2日後の未明に本震があり、
本当に驚きました。被災地の方にはどれほど衝撃だったかと思います。その地震で
心臓病の女の子が、転院を余儀なくされて亡くなったとニュースで見ました。
女の子のお母さんは、病院の庭園で花を育てているそうです。花壇にいろんな花が
揺れていました。マーガレットでしょうか、白い花がとても可憐でした。
空からはよく見えるかな、成長を見守ってね、と言っておられました。
(少し言葉が違ったらごめんなさい。そういう意味の言葉でした。)
花の季節です。清らかな花たちに、亡くなった方々の魂や、被災された方々の心が、
少しでもやすらぎますように。

薄墨桜が満開を迎えています2024年04月08日 19:36

幼なじみの絵里ちゃんが、根尾谷の薄墨桜を見に行って、写真を送ってくれました。
ご覧の通りの満開。午後だったので、逆光だったのが残念と言っていましたが
太陽を背景に、樹齢1500年を超える桜の大木がたたずむ姿は、とても神秘的です。

薄墨桜
                                      ©Eriko          

「儚げと聞いていましたが、力強さを感じ、生きる力をいただいたような気がします」と
メッセージが添えられていました。(写真載せていいよ〜と言ってくれました☺)

薄墨桜2
                                ©Eriko

故郷の岐阜の桜ですし、10年ほど前、私も行きましたが、休日の午前中だったからか
観光客がいっぱいで、あまりゆっくりは見れませんでした。でも、薄墨桜の名の通り
薄い墨色がかった淡いピンクの花が咲き誇る様子は、やはり大きな生命力を感じました。
柵で囲われて、周りには屋台のお店が並んでいましたが、
昔、母が叔母と訪れたときには、なにもないところに一本だけ桜の大木がたたずんで
それがとてもよかったそうです。

有名になってしまった今では、そんな光景は想像することしかできなくて、
そのころ見ておきたかったなぁと、ちょっと残念ですが、
今は、本巣市が、ライブカメラで見られるようにしています。
静かな誰もいない時間帯、おうちで独り占め、ということもできますね。

URLはこちらです。静止画と動画が楽しめます。よければスクロールしてみてくださいね。
↓↓

台湾で大きな地震がありました2024年04月04日 16:32

昨日、台湾で地震がありました。沖縄も揺れて、津波が来るほどの大きな地震。
怪我をした人が1000人以上で、亡くなった人も、まだ行方不明の人もいます。
救出活動が少しでも早く進むよう祈っています。

台湾の友だちと連絡が取れなくなって、もうじき一年になります。
とても心配です。
地震のお見舞いのメールを送りましたが、今のところ返信はありません…。

今朝近所を歩くと、件のオオシマザクラは、ほとんど満開を迎えていました。
花や星の写真を送ると、いつも喜んでくれた彼。
彼とご家族の無事と、被災地への祈りを込めて、今朝の姿をアップします。

朝のオオシマザクラ

追記:夕方も散策に出ました。こちらはオオシマザクラから少し離れてたたずむ、
淡いピンクの八重桜。白に近い色で、妖精のまとうシフォンのドレスのようです。
友だちに願いが届きますように。

黄昏の八重桜

朝の光、そして夜風の中のオオシマザクラ2024年04月02日 09:52


朝のオオシマザクラ

昨日の朝、オオシマザクラが気になって、起きてすぐ見に行きました。
澄んだ青空に、花びらもうす青く透けるようで、いっそう清楚に神秘的に見えました。

朝もかなり吹いていた風が、昼になるにつれて激しく吹き荒れ、夜まで吹き荒れました。
昼間の暖かさで開花は進んだでしょうが、どうなったでしょう。
散歩がてら見に行くと、朝よりたくさん咲いていて、強風に吹かれながらも
白くほのかな光を帯びて、健気な姿を見せていました。

強風にスマホの手ブレ補正がついていけてません(撮影者の技術の未熟さによるものでは
ないと思われます。言い訳? しっかりした枝の花は、ブレていないので、そうかなと)。

夜風に吹かれるオオシマザクラ

昨日で、能登の震災から三ヶ月なのですね。ニュースで現状を見ましたが、まだまだひどい状況です。いちいちも早い復興を祈っています。
そんななか、今日の早朝も、東北で地震がありました。東北の復興も、いまだに途上です。
ほかにもたくさんの被災地があります。
大切な税金は、まず、各地の復興や子どもたちの教育、福祉に使ってほしいです。
それがこの国の未来を作るのですから。

今日は全国的に晴れて、暖かくなるところが多い予報です。
各地で花開くさまざまな桜が、春の花たちが、新たな希望をもたらしますように。

オオシマザクラが咲きました2024年03月31日 19:40


大島桜花開く

今日の名古屋は初夏の陽気でした。近所のオオシマザクラは、昨日までつぼみが少しずつ
ふくらんでいたのですが、今朝、一気に花開きました。
白くて貴婦人のようです。毎春咲くのがとても楽しみで、よく近くを歩きます。
葉っぱも一緒に出るので、新緑と白い花が、とっても清楚。
下は昨日の写真。こんなふうに、まだつぼみだったのに、たった一夜で咲くんですね。

オオシマザクラつぼみ

四部作や『ユリディケ』に登場する純白の林檎の花は、この桜のイメージに近いかな。
そうそう。『ユリディケ』の地図はすでに仕上がっています。私の手描きの地図を、
従兄がパソコンでデータ化してくれました(物語に沿って、何度もチェックしたため
数え切れないほどーー冗談じゃなく100回以上ーー手直ししてもらいました!)。
現在荒川ディレクター多忙につき、Websiteへの公開はいましばらくお待ち下さいね。

杏の花が咲きました2024年03月24日 22:10


名古屋大学の杏

友だちから、庭の杏(あんず)が咲いたとメールをもらって、名古屋大学の杏のことを
思い出しました。去年、名大に杏の木があると初めて知って、見に行ったのでした。
ネットで調べたら、今年の満開は14日だったと出ています。
大好きな杏の花を見逃す手はません! 急いで今朝行ってきました。
地下鉄の駅を降りて広場に出ると、博物館の建物の先に、淡いピンクの花が見えました。
あ〜よかった、間に合った!
地面には花びらがいっぱい散っていましたが、雨が降るなか、ご覧の通り、
可憐な花が、まだ半分ほど残っていました。

杏は花も実も大好きで、物語でもたくさん使っています。
『杏の花の咲くしたで』は、戦場の若者たちが、故郷(の恋人)を思って歌う歌です。
杏の花は、歌詞の二番に使いました。

村一番のべっぴんさん
鍛冶屋の息子に首ったけ
けれども平和が訪れて
いつか故郷に戻ったら
杏の花の咲くしたで
ぼくと踊ってくれるかい

いま、ウクライナやガザの戦場で戦う若者たちも、きっと故郷を、そして大切な人を
恋しく思っていると思うと、切なくなります。
世界中の戦争、紛争が、一日も早く終わるよう祈らずにはいられません。

ピンクレディー〜こぶりで酸味のある林檎2024年03月22日 14:24


ピンクレディ

先月、スーパーで可愛い林檎を見かけました。
ピンクレディーという名前で、酸味があると書いてあります! 最近は甘い果物が
もてはやされて、酸味のある果物本来の(と個人的に思っていますが)味が消えつつ
あり、酸っぱい果物が大好きなわたしは、果物マイノリティ。(ほんと悲しい。)
こんな機会はめったにありません。
嬉しくなって買って帰り、さっそく食べてみると、本当に酸味があって、
身が固く引き締まっていて、これぞ林檎!という美味しさです。

従兄が育てているスリムレッドも、小さくてジューシーで酸味があって美味しいです。
けれど、この季節はないので、林檎はしばらく食べられないと思っていたところに、
これは天からの贈り物。
でも、その後、二度とスーパーで見かけませんでした。
確かに、原産国のオーストラリアから栽培許可をもらって、日本でも栽培が始まった
希少な林檎って書いてあった気がします。
そこで、ググって、岩手県の果樹園から取り寄せました。箱もピンクでとっても可愛い。

ピンクレディ箱

日本で栽培している農場はまだ少なく、11月に収穫するという遅い林檎で、2月から4月が出荷時期とのこと。
酸っぱい果物が好きなマイノリティの方、スーパーで見かけたらぜひお試しを♡
(本当にカリッとかなり歯ごたえがあるので、前歯の弱い人は気をつけてくださいね。)

林檎って、本当に元気の出る果物だと感じます。なぜでしょうね。身体にもいいというから
それを全身の細胞が感じ取るのでしょうか。だからかな、神聖な果物だとも感じます。
見かけもかわいいですよね。
自分の物語にもたびたび登場させています。やっぱり好きなものを書いてしまうんです。
物語に出てくる林檎のイメージは、このピンクレディーやスリムレッド、紅玉、
グリーンスミス(日本では祝林檎かな)などのこぶりで甘酸っぱい林檎です。

『ユリディケ』の第一章にレアナの生徒、幼いハモンが出てきますが、旧バージョン
(1989年のデビュー作)では、エピローグにも登場し、
「ちょっと早いけど、うちのりんごはおいしいんです」というセリフを言います。
詳しくは書いていませんが、ハモンの家は林檎園を営んでいるんです。

そこから、『星の羅針盤』では、林檎園のハモン一家を登場させました。
たびたび書いていますが、シリーズで盗賊ジョーが地下牢を脱出するときに、
彼に力を与えるのも林檎。大事な小道具として、せひ登場させたかったのです。

『ユリディケ』の新バージョンでは、エピローグの内容をかなり変え、ハモン少年は
登場せず、よって、彼の家が林檎園を営んでいることはわかりません。
でも、わたしの中では、冒頭のハモンは、やっぱり林檎園の少年です。

戦争と平和と核と〜アカデミー賞に思う2024年03月17日 22:10

先日行われた第96回アカデミー賞授賞式で、日本の二作品がオスカーを受賞しました。
おめでとうございます!
長編アニメ賞の『君たちはどう生きるか』視覚効果賞の『ゴジラ−1.0』を含めて、
『オッペンハイマー』『関心領域』『実録 マウリポリの20日間』といった
戦争と平和、核の問題を考えさせられる作品が多く受賞したのは、今の世界情勢と、
それに対する人々の祈りが反映されていると言えるのではないでしょうか。

『ゴジラ−1.0』の山崎監督が、受賞後のインタビューで語っていました。
「ゴジラというのは戦争の象徴であったり、核兵器の象徴であるゴジラを
なんとか鎮める話だと思うんですけど、その鎮めるという感覚を世界が今欲しているの
ではないかな、それがゴジラのヒットの一部につながったのではないかと思います」

『実録マリウポリの20日間』の長編ドキュメンタリー映画賞は、ウクライナ映画として
初めてのオスカーだそうです。
チェルノフ監督は、そのことを光栄に思うと話したあとで、自分は、この壇上で、
この映画を作ることがなければよかったと言う初めての監督だろうと続け、
この賞をロシアのウクライナ侵攻と引き換えにできたなら……と、切実な思いを
静かな口調で吐露していて、胸がつまりました。

国際長編映画賞の『関心領域』も、深く考えさせられる作品です。
ホロコーストが行われているアウシュビッツ強制収容所の隣で平穏に暮らす一家を描く
静かな(そして、心理的にとても怖い)反戦映画。
受賞スピーチでは、去年のハマスによるイスラエルの奇襲や、その後のイスラエルによる
ガザへの報復に触れ、我々はどうやって抵抗すべきか?と問いかけ、
出演した女優さんが席で拍手をしながら涙を流す姿が見られました。

作品賞、監督賞を含め、最多七部門に輝いたのは『オッペンハイマー』。
主演男優賞のキリアン・マーフィは、スピーチの最後をこう締めくくっていました。
「この映画は原爆を作った人の話です。わたしたちは今も彼の世界に生きています。
この賞を、世界中のピースメイカー(平和を求めて努力する人、
平和をもたらそうと仲裁する人)に捧げます」
彼はアイルランド人。作品によって様々な顔を見せてくれる俳優さんですが、中でも
祖国の独立とその後の内戦を描いた『麦の穂をゆらす風』の演技が心に残っています。
そんな背景もあって、平和への思いは、とても強いのではないかと思います。

授賞式の翌日、クローズアップ現代で、ノーラン監督のインタビューを見ましたが
(オスカーを受賞する前にハリウッドで行われたインタビューです。)
10代の息子さんに映画の内容を話したとき、自分たちの世代は、核の脅威よりも
気候危機の方が差し迫った問題だ、というようなことを言われ、ショックを受けたと
語っていました。
その後、時計の針を逆に回したように、核の脅威が高まっています。
映画は、原爆の父と呼ばれる理論物理学者オッペンハイマーの視点で描かれており、
広島と長崎の惨状は画面に登場しないそうですが、
それでも、世界を破滅させる恐ろしいものを生み出してしまった、という
オッペンハイマーの苦悩、ジレンマは、映画紹介の画面から伝わってきました。

サラファーンの星四部作に登場する〈氷河〉は、核兵器のメタファーとして描いたこと、
『ユリディケ』を書いた時代、「地球温暖化」が叫ばれ始め、それも意識して描いたことは
このブログでも何度か書いていますし、本のあとがきにも書いた気がします。
そんな恐ろしい兵器を生み出した人物の心は、いったいどのようなもの
だったのか、物語を書き進めながら掘り下げ、体験していきました。
人物のバックグラウンドも、開発のきっかけも、世界も全く違いますが、
天才的な科学者が抱えるジレンマは、オッペンハイマーと重なるのではと感じています。

アカデミー賞授賞式を見たのは、たぶん、十数年ぶりです。諸々の事情で、
そんな余裕もなかったけれど、今回、気合を入れてWOWOWを入れ、久しぶりに見て、
自分がどれほど映画が好きだったかあらためて思い出しました。
物語を紡ぐようになったのも、幼い日、映画に恋したことから始まったのです。
4部門で受賞した『哀れなるものたち』も、とても好きな本、メアリー・シェリーの
『フランケンシュタイン』が下敷きになっているそうで、気になっています。
少し所用が重なり忙しい日々が続きますが、なんとかいろんな作品に足を運びたいです。