台湾で大きな地震がありました2024年04月04日 16:32

昨日、台湾で地震がありました。沖縄も揺れて、津波が来るほどの大きな地震。
怪我をした人が1000人以上で、亡くなった人も、まだ行方不明の人もいます。
救出活動が少しでも早く進むよう祈っています。

台湾の友だちと連絡が取れなくなって、もうじき一年になります。
とても心配です。
地震のお見舞いのメールを送りましたが、今のところ返信はありません…。

今朝近所を歩くと、件のオオシマザクラは、ほとんど満開を迎えていました。
花や星の写真を送ると、いつも喜んでくれた彼。
彼とご家族の無事と、被災地への祈りを込めて、今朝の姿をアップします。

朝のオオシマザクラ

追記:夕方も散策に出ました。こちらはオオシマザクラから少し離れてたたずむ、
淡いピンクの八重桜。白に近い色で、妖精のまとうシフォンのドレスのようです。
友だちに願いが届きますように。

黄昏の八重桜

戦争と平和と核と〜アカデミー賞に思う2024年03月17日 22:10

先日行われた第96回アカデミー賞授賞式で、日本の二作品がオスカーを受賞しました。
おめでとうございます!
長編アニメ賞の『君たちはどう生きるか』視覚効果賞の『ゴジラ−1.0』を含めて、
『オッペンハイマー』『関心領域』『実録 マウリポリの20日間』といった
戦争と平和、核の問題を考えさせられる作品が多く受賞したのは、今の世界情勢と、
それに対する人々の祈りが反映されていると言えるのではないでしょうか。

『ゴジラ−1.0』の山崎監督が、受賞後のインタビューで語っていました。
「ゴジラというのは戦争の象徴であったり、核兵器の象徴であるゴジラを
なんとか鎮める話だと思うんですけど、その鎮めるという感覚を世界が今欲しているの
ではないかな、それがゴジラのヒットの一部につながったのではないかと思います」

『実録マリウポリの20日間』の長編ドキュメンタリー映画賞は、ウクライナ映画として
初めてのオスカーだそうです。
チェルノフ監督は、そのことを光栄に思うと話したあとで、自分は、この壇上で、
この映画を作ることがなければよかったと言う初めての監督だろうと続け、
この賞をロシアのウクライナ侵攻と引き換えにできたなら……と、切実な思いを
静かな口調で吐露していて、胸がつまりました。

国際長編映画賞の『関心領域』も、深く考えさせられる作品です。
ホロコーストが行われているアウシュビッツ強制収容所の隣で平穏に暮らす一家を描く
静かな(そして、心理的にとても怖い)反戦映画。
受賞スピーチでは、去年のハマスによるイスラエルの奇襲や、その後のイスラエルによる
ガザへの報復に触れ、我々はどうやって抵抗すべきか?と問いかけ、
出演した女優さんが席で拍手をしながら涙を流す姿が見られました。

作品賞、監督賞を含め、最多七部門に輝いたのは『オッペンハイマー』。
主演男優賞のキリアン・マーフィは、スピーチの最後をこう締めくくっていました。
「この映画は原爆を作った人の話です。わたしたちは今も彼の世界に生きています。
この賞を、世界中のピースメイカー(平和を求めて努力する人、
平和をもたらそうと仲裁する人)に捧げます」
彼はアイルランド人。作品によって様々な顔を見せてくれる俳優さんですが、中でも
祖国の独立とその後の内戦を描いた『麦の穂をゆらす風』の演技が心に残っています。
そんな背景もあって、平和への思いは、とても強いのではないかと思います。

授賞式の翌日、クローズアップ現代で、ノーラン監督のインタビューを見ましたが
(オスカーを受賞する前にハリウッドで行われたインタビューです。)
10代の息子さんに映画の内容を話したとき、自分たちの世代は、核の脅威よりも
気候危機の方が差し迫った問題だ、というようなことを言われ、ショックを受けたと
語っていました。
その後、時計の針を逆に回したように、核の脅威が高まっています。
映画は、原爆の父と呼ばれる理論物理学者オッペンハイマーの視点で描かれており、
広島と長崎の惨状は画面に登場しないそうですが、
それでも、世界を破滅させる恐ろしいものを生み出してしまった、という
オッペンハイマーの苦悩、ジレンマは、映画紹介の画面から伝わってきました。

サラファーンの星四部作に登場する〈氷河〉は、核兵器のメタファーとして描いたこと、
『ユリディケ』を書いた時代、「地球温暖化」が叫ばれ始め、それも意識して描いたことは
このブログでも何度か書いていますし、本のあとがきにも書いた気がします。
そんな恐ろしい兵器を生み出した人物の心は、いったいどのようなもの
だったのか、物語を書き進めながら掘り下げ、体験していきました。
人物のバックグラウンドも、開発のきっかけも、世界も全く違いますが、
天才的な科学者が抱えるジレンマは、オッペンハイマーと重なるのではと感じています。

アカデミー賞授賞式を見たのは、たぶん、十数年ぶりです。諸々の事情で、
そんな余裕もなかったけれど、今回、気合を入れてWOWOWを入れ、久しぶりに見て、
自分がどれほど映画が好きだったかあらためて思い出しました。
物語を紡ぐようになったのも、幼い日、映画に恋したことから始まったのです。
4部門で受賞した『哀れなるものたち』も、とても好きな本、メアリー・シェリーの
『フランケンシュタイン』が下敷きになっているそうで、気になっています。
少し所用が重なり忙しい日々が続きますが、なんとかいろんな作品に足を運びたいです。

北陸のソウルフード(揚あられ)ビーバー3種2024年03月09日 17:38

先日、金沢の友だちが、地元を応援したいから、と送ってくれた北陸のソウルフード、
揚あられのビーバー。すぐになくなり、私も北陸応援にと(というより食いしん坊だから?)オンラインショップで取り寄せました。美味しいですよ〜♪
左から、梅味、カレー味、普通?のビーバー。白えび、カニ、あおさもあります。
北陸製菓のサイトによると、1970年の万博のカナダで展示されていたビーバー人形の歯と
お菓子を2本並べた形が似ていることが名前の由来とか。
ほどよい塩加減と昆布の旨味と書いてありますが、その通り。
封を開けると止まらなくなって、ほんと「危険なお菓子」です。

ビーバー3種

能登の地震から、2か月以上。
まだ断水が続いているところがあって、どんなに大変な毎日だろうと胸が痛いです。
どうか、一日も早く復旧しますように。皆さんにおだやかな笑顔が戻りますように。

そして、11日には、東日本大震災から丸13年を迎えます。東北もまだ復興半ばです。
津波あとの大川小学校の光景や、語り部の方たちのお話が、ずっと忘れられません。
せめて、今も行方の分からない4人のお子さんたちが、見つかりますように…。
その方たちを含めて、東日本大震災の行方不明者は、2520人だそうです。
そんなにたくさんの方の行方が未だわからないという現実に、言葉がありません…。

また東北を旅したいです。
そして、もう少し落ち着いたら、北陸にも足を運びたいです。

ロシアのウクライナ侵攻から2年になります2024年02月24日 18:20

ロシアが突然ウクライナに侵攻して2年になります。
戦闘は、今なお先が見えません。
防空警報が鳴るたびに、幼い子どもたちまでもがシェルターに避難する日々など、
とても21世紀とは信じられません。
国連も機能不全に陥っています。ロシアが国連常任理事国のひとつですから。
グテーレス事務総長の苦悩に満ちた顔を見ていると、辛くなります。
どうかお身体を大切にと、そのたびに祈っています。

「人を殺してはいけない」
人間として、最も大切なことのひとつを守れない大人がいる世界。
パレスチナとイスラエルでも、シリアでも、アフガニスタンでも、ミャンマーでも
世界中で紛争や戦争が続いています。本当に悲しいことです。
その中で、軍需産業は莫大な利益を得ているのでしょうか。それもまた悲しいことです。
他人の不幸でお金を得て、なんとも思わないのかな。独裁者もそうだけど、不思議です。

今朝は、母のリハビリで整形外科に行きました。その帰り道、住宅街でのこと。
小さなシルエットが窓の右手を横切って、少し先のブロック塀にとまりました。
あの形と飛び方はもしや……。
土曜の朝とあって、後続車は全然ありません。車を脇に寄せて停車し、よく見ると、
やっぱり、ジョウビタキのオスです。真っ赤な胸もとがとってもチャーミング。
久しぶりに見かけました。

鳥たちは自然とともに生きていて、平和の使者のように思えます。
鳩がその象徴と言われますが、ほかの鳥も、小さな野鳥は特にそんな気がします。

ジョウビタキは、この季節から春にかけ、岐阜の実家の庭に、毎年つがいで来ていました。
ウグイスやメジロ、スズメ、セキレイ、キセキレイ、ムクドリ、ヒヨドリも訪れました。
シラサギも時々。一度は、アオサギが来てびっくりしました。
マンション暮らしになり、庭がないので、鳥たちが来ることはなくなりました。
友だちが、かわりにと思ったのかな、小鳥のカードを送ってくれました。
これはなんという鳥でしょう。わからないけれど、とても愛らしいです。

空に満月がかかりました。
ウクライナの、そして世界の平和を祈りながら、緑の封筒とカードの写真を載せます。
戦争が、一日も早く終わりますように。

小鳥のカード

おやすみなさい、マエストロ〜小澤征爾さんをしのんで2024年02月12日 15:10

2月6日、小澤征爾さんが亡くなりました。
去年、ジョン・ウィリアムスが指揮したセイジ・オザワ松本フェスティバルのTV放映で、アンコール曲(「スター・ウォーズ」の帝国のマーチだったと思う)のとき、サプライズで、
ステージ上に登場された姿が思い出されます。
ジョン・ウィリアムスが、車椅子の小澤さんをやさしくいたわり、とても印象的でした。
ボストンにゆかりのある者同士、本当に朋友なんだなと心揺さぶられました。

小澤さんのコンサートは、若いころ、友だちに誘われて聴きに行きました。
ライオンのような髪を振り乱し、情熱的に指揮棒を振っていた姿が心に焼きついています。
汗も飛び散っていたと思います。
メインはベートーヴェン。ところが、記憶ではサントリーホールで「田園」だったのに、
調べても、ホールのアーカイブにありません。「第4」だったのかな。それとも別の作曲家?
忘れてしまうなんて、なんてもったいないことでしょう。
友だちは、小澤さんの本(20代の時、貨物船に乗ってフランスに渡り、ミニバイクで
旅をした思い出を綴った、すごく面白い本)を紹介してくれた、大のクラシック好きです。
彼女なら覚えているかも。今度聞いてみます。

演奏会ではありませんが、確かな思い出もあります。長野五輪の開会式です。
幸運にもチケットが手に入り、会場に入ったのですが、北京、ニューヨーク、喜望峰、
シドニーのオペラハウス、ベルリンのブランデンブルク門と開会式会場が中継でつながり、
小澤さんの指揮で、第九の「歓喜の歌」が合唱されることになったのです。
会場に入ってびっくり。ひとりひとりに楽譜が配られました。
ドイツ語の歌詞が添えられ、その上にカタカナが書かれています。
スタッフから、小澤さんが合唱団と長野県民文化会館にいて、そこから指揮を振るから、
みなさん歌って下さい、と言われました。
え? マジ? ドイツ語無理なんですけど…。
驚くうちに、練習が始まりました。口パクでもわからないよね?と思ったものの、
人間、やればできるんですね。
本番では私も、一緒に行った母や友人たちも歌っていました。周り中が歌っていました。
平和の祭典オリンピックで、心から平和を望み、願っている小澤さんのパッションが
ひしひしと伝わってきて、素人の観客に力を与えてくれたのだと思っています。

戦時下で育った小澤さんは、平和の大切さを身にしみて感じていたのでしょう。
音楽は国境を超え、世界を結ぶ力があると信じていたそうです(私も信じています)。
あの「歓喜の歌」は、そのことを象徴するようなステージでした。

今日の深夜(13日の未明)、NHKBSのプレミアムシアターで、2016年に
小澤さんがサイトウ・キネン・オーケストラを指揮した「ベートーヴェン交響曲第7番」が
オンエアされるそうです。

まさに疾風怒濤。駆け抜けた88年の生涯。ありがとうございました、マエストロ。
どうぞゆっくり休んで下さい。そして、時々、空の上から、私たちを叱咤激励して下さい。

立春に友を想う〜Friendship stays2024年02月04日 17:20

昨日は節分、そして今日は立春ですね。
名古屋は昨夜の雨が上がり、午後は晴れて、今はパステルカラーの夕焼け空です。

先日、半年以上連絡が取れないと書いた台湾の友人。
彼からの最後のクリスマスカードの言葉が、ずっと心にこだましています。

Everything comes and goes  but friendship stays.
なにごとも来ては過ぎゆく。されど友情は残る。

カードでもメールでも、いつも、友情に感謝するといっていた彼。
友情はずっと変わらないという温かなメッセージが伝わってきます。私たち家族こそ、
いつも忘れずにいてくれて、その思いに支えられてきました。

クリスマスカードには、毎年、タイプライターで打った英文のあと、
日本語のメッセージと彼の署名とが丁寧な手書きで添えられていました。
写真は先ほどの文章が書かれたところです。本来なら彼の同意を得て載せるべきですが、
連絡が取れないし、彼ならきっと、「いいよ」と言ってくれると思って
元気でいますようにとの祈りを込めて、立春の今日、アップします。

クリスマスメッセージ

被災地に早く春が来ますように。北陸の大地に、また、東北をはじめとする、いまだ地震や豪雨などからの復興の途上にあるすべての大地に。そして、人々の心に。

ともに2024年01月17日 23:26

阪神淡路大震災から29年の歳月が流れました。
あのときのことを、つい昨日のように思い出します。
当時は岐阜の実家に住んでいましたが、ドンと突き上げるような揺れで飛び起き、
居間でゴーンと大きな音がして、ぐわんぐわんと地面が回るような揺れに襲われ
横須賀から帰省していた妹も、部屋から飛び出してきました。
居間に行くと、大きなこけしが床に転がっていました。
その後、テレビのニュースで、最初はよくわからなかった被害の大きさが、
どんどん大きくなっていくのを見て、言葉がなかったです。
今回の能登半島地震も、東日本大震災のときも、そうでしたね……。辛いです。

三宮の公園、東遊園地には「ともに」という言葉が灯籠で灯され、地震の起きた5時46分に黙祷が捧げられ、16時10分、能登半島地震の発生時刻にも、黙祷が捧げられたそうです。
能登半島地震で被災された人たちとも、ともにいる、というメッセージ。
東日本大震災で被災された人たちもとも、ともにいると、伝えているとも感じます。

石川県の友だちのところへは、飛んでいけないけれど、いつも心配です。
ただ思い、祈ることしかできないけれど、被災地にずっと心を寄せていきたいです。
そして、今、自分ができることを、誠実にやっていきたいです。
この地球に生を受けて、生かされていることは、当たり前ではなく、本当に奇跡。
祈りの日、そのことをしっかり心に留めておこうと、自分に言い聞かせています。

心からお見舞い申し上げます2024年01月06日 13:46

能登半島地震の被害の大きさが、日ごとにわかってきています。
犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げますとともに、被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
救助活動が、がけ崩れ等で難航していると伝えられています。一刻も早く駆けつけられますように。
羽田の航空機事故も、直接の原因は未だ解明中ですが、海保機が被災地に支援物資を運ぶ使命を帯びていたことを思うと、言葉を失います…。

個人的には、金沢の友だちとは連絡が取れ、小松にいる別の友だちも無事だと教えてもらいました。金沢でも経験したことのない揺れだったそうです。
ショッピングセンターにいた時で、棚から物が落ちてくるし、息子さんと別行動をとっていたため、会えるまで心配でならなかったとのこと。
今も余震が続いています。友だちも、他の方々もどんなに怖い思いをしているでしょう。

ネットではすぐに義援金の受付が始まり、日本赤十字社も色々な形で受付を始めました。
被災地全体にと、地域別があります(石川県と富山県)。寒い時期なので、一層心配です。
今の私はそれくらいしかできませんが、ずっと心から祈っています。

忘れな草とネモフィラ
忘れな草とネモフィラ二輪。無垢な青い花が少しでもなぐさめとなりますように。