同級生はヤングケアラーだった2022年09月06日 17:54

ニュースなどで、ヤングケアラーという言葉をよく聞くようになりました。
病気や障害のある家族のケア、普通は大人がするような家事や介護、
心のサポートなどをしている18歳未満の子どものことです。

小学生のとき、同級生にNちゃんという子がいました。
独特の気の強さがあって、内気なわたしはちょっと苦手だったのですが、
彼女が学校を休んだ日、給食のパンと宿題のプリントを届けに行くよう
先生に頼まれました。家が近所だったのです。

古い木造のアパートを訪ねていくと、
Nちゃんが、赤ちゃんをおんぶして出てきました。
狭い二間続きの部屋に、敷きっぱなしの布団が並んでいて、
そのひとつに誰かが寝ているのが見えました。
お母さんだったのでしょう。なんだか具合が悪そうでしたが、
まわりでは、幼い弟や妹たちが飛び回っています。
Nちゃんは、ちょっと怒ったような迷惑そうな顔で、
パンとプリントを受け取ると、きょうだいの世話に戻っていきました。

その間、5分もなかったと思います。
でも、すべてがあまりに衝撃的で、時間の感覚をなくしていました。
Nちゃんが、ちょっと怒ったような顔をしたのは、
自分の家の事情を、知られたくなかったからだと思います。
わたしは、なんとなく、話してはいけないような気がして、
長いあいだ友だちにもいえませんでした。

ヤングケアラーの存在が、あまり知られてこなかったのは、
人に迷惑をかけたくない思いや、恥ずかしい思いがあったりして
話せなかったり、ケアラーがあまりに幼いと、誰かに相談する、
ということすら思いつかないから、ということがあるのかもしれません。

Nちゃんは勉強が得意ではなかったけど、あの状況では、
勉強する時間なんて、まったくなかったはずです。
友だちもいなかったけど、それは、親に代わって家事をしたり、
幼いきょうだいの世話をしていたからだと、今ならわかります。
本当は、ほかの子と同じように、友だちと遊んだり、勉強したり、
将来の夢を描きたかったのではないでしょうか。

コロナ禍の今、ヤングケアラーは、以前よりもずっとたくさん
いるのではないでしょうか。
他人事ではないと感じています。
妹の子どもたちは、二人とも障害を持って生まれましたが、
もしも片方が健常児だったら、
もう片方は、ヤングケアラーになっていたかもしれません。

日曜日、ヤングケアラー協会の宮崎成悟さんの記事が新聞に載っていました。
宮崎さんは、自らもヤングケアラーであった経験から、
子どもたちが困ったときに気軽に相談できる「お守りのような存在」が
必要だと話されていました。
同じ境遇の仲間と出会って、協会を設立したそうです。
現在、ヤングケアラーが子どもでいられる時間や、夢を諦めない社会を作るため、
いつでも気軽に悩みを相談できるLINEの窓口を開設したり、
ヤングケアラーのことをもっと世間に知ってもらえるようなコンテンツを
発信するため、こちらでクラウドファウンディングを募っています。
↓↓

子どもたちは、世界の未来であり、宝物です。
これから、この社会を導いてゆくのは、子どもたちなのです。
子どもらしい時間を過ごすことで、心が豊かに成長していくと思うし、
大人が本気で気にかけたら、子どもは、人を信用するようになるでしょう。
人から助けられた子は、人を助けるようになります。
助けを必要としている子どもたちをサポートしていける社会を、
「誰ひとり取り残さない社会」を、みんなで築いていけますように。
子どもたちが、家の事情のために、夢をあきらめたりすることがありませんように。

鳥の言葉がわかったら……2020年03月28日 10:28


満開の花桃

このところ実家の岐阜と名古屋の往復は、車でしています。コロナウイルスに感染
しないよう、そして、もし自分が感染していた場合に、感染を広げないように…。

本当は、電車での移動だと、雪をいただいた山並みが遠くに見えたり、
あちこちで桜や菜の花が咲いていたりして、車窓の眺めを楽しめるし、駅までと、
駅からとを歩けるので、けっこう好きなのですけれど、いまは忍耐のときですね。
それでも、散歩に出るのはまだだいじょうぶなので、自然と接して、
気分をリフレッシュさせています。

写真は、実家の庭の花桃。母が昔、友だちにもらった小さな挿し木が、大きく育って
毎年、愛らしい花を咲かせてくれます。
また、庭には、ジョウビタキやセキレイ、ツグミ、ムクドリ、ヒヨドリ、スズメ
メジロ、ときには白サギなど、さまざまな野鳥が飛んできます。

鳥たちは、総じて陽気でおしゃべりです。
何を話しているのかな、と、とても気になります。子どものころからずっと、
鳥の言葉がわかったらどんなに素敵かなぁって思っていました。

鳥たちは、すごく賢いーー時々、専門家のそんな話を聞くと、
そうだろう、そうだろう、と嬉しくなります。
だって、人間が一番賢いなんて、わたしには、ちょっと思い上がりに思えるのです。

たとえば、鳥の脳は小さいと思うかもしれませんが、そして、身体が小さい分、
確かに小さいのですが、実は哺乳類に比べて、神経細胞の密度が高いんです。
つまり、人間よりも、ある意味で、高度な脳を持っているのかも!

シジュウカラの鳴き声から、シジュウカラ語があると発見した先生がいます。
何年か前、新聞記事で読んだ時は、もうほんと、飛び上がるくらい興奮しました。
シジュウカラは、いくつもの単語を使って、文章を作り
コミュニケーションをとっているそうで、方言もあるのだそうです。
(でも、わたしたちがだいたい方言を察するように、互いに通じるそうです。
面白いのは、ヨーロッパのシジュウカラも、日本のシジュウカラの言葉をわかると
いう研究でした。わあ。わたしはスウェーデン語とか、わからないのに!)

先日の「ダーウィンが来た!」では、シジュウカラの言葉を取り上げていて、
そうした発見をされた鈴木俊貴先生が登場し、さまざまな鳴き声を解説していました。
たとえば、「ピーツピ(警戒しろ)」というのと、「ヂヂヂヂ(集まれ)」という
鳴き声を組み合わせて、「警戒しながら集まれ」とか、言うんですよね。
(学生さんのような先生で、びっくり! 白髪のおじさんを想像していたので。)
すごく面白かったです!! 2時間番組ぐらいにしてほしかったなぁ。
論文は全部英語になってしまうようで、詳しい解説は載っていないのですが、
先生の日本語のサイトを発見。

シジュウカラの可愛い卵がご覧いただけます。

サラファーンの物語にフィーンのような種族を登場させたのは、
鳥の言葉がわかったらいいなぁ、という憧れからかもしれません。
不老長寿の民フィーンは、自然と調和して生きている種で、特に、その中でも
預言者や、ヨルセイスと言ったキャラクターは、つねに自然の声に耳を傾けています。
人間のキャラでも、言葉が話せず、片耳しか聞こえない少年シャンベルは
両方聞こえる人よりも、ずっと多くの「声」を聞いています。

わたしは、憧れるばかりで(緑の親指に憧れるのに、植物枯らしちゃうように)
鳥語がわからないのですが、ひとりで散歩しているときや、庭先で、
よく鳥や虫に話しかけます。
(ただし、誰かが近くを歩いている時は、しないよう気をつけています。)

何年か前、ゴミ出しに出た時、ゴミ捨て場にカラスがいました。大きなカラスで
怖くてゴミが捨てられなかったので、「ごめんね。ちょっとどいてね」と言ったら
とってもやさしいオーラを発し、ぴょんぴょんと飛んで、どいてくれました。
なんて賢いの!と感激しながら、「ありがとう」といってゴミ出しをしました。

そして先週、やっぱりゴミ出しに言ったときのこと。
集収所に向かっていたら、カラスが飛んできて、「カア〜カア〜」と鳴いて、
電柱のてっぺんにとまりました。
思わず立ち止まって、カラスを見上げ、「おはよう」と言うと、次の瞬間、
落とし物を…。
真っ白なそれは、風にのって、見事な放物線を描きながら、わたしの2メートル
前方に落下。
もしそのまま歩いていたら、ちょうど頭上に落ちてきたところでした。

あの「カア〜カア〜」は、「おはよう」じゃなくて、「これから、落としますよ」
だったのかな。
カラスはわたしの言葉(どいて)がわかったのに、わたしにはカラスの言葉が
わからなかったというわけですよね。
(もっとも、どいてくれたのは、単にうざったかったからかもしれないけれど。)

ああ、いつか、鈴木先生のように、鳥たちの言葉がわかったらいいなぁと
憧れは、ますます募るのでした。

サルスベリとすみれ

こちらは、サルスベリの木の下から顔を出したすみれ。これ、とっても小さいんです。
(左に白い丸に近いものが写っていますが、あれが花桃の花びらなので、どんなに小さいか
わかっていただけるかな。)

わたしはしゃべらない子どもだった〜場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)の子どもたち2019年12月20日 12:17

ドイツで買った陶器の天使


わたしの書く物語には、シャイで内気なキャラクターがしばしば登場します。

たぶんわたし自身がそうだからかな、と思います。


幼いころ、わたしは本当にしゃべらない子どもでした。

通っていた保育園では、誰とも話しませんでした。

どういうわけか、自分でもわからないけれど、声が出なかったんですね。

 

ただ、家に帰ったら家族とは普通に話したし、

一緒に保育園に通った隣のたかちゃんとは帰ってから毎日遊んで、そんな時は

ちゃんとおしゃべりしたのですが、一歩外に出るとまったく話さなかったのです。

 

小学校に行く前の年、幼稚園に上がりましたが、

そこでも、長いあいだ誰ともしゃべりませんでした。

ところが、何がきっかけだったか今では覚えていないのですが、

あるとき「しゃべった」んですね。

そうしたら、みんながまわりを囲んで、

「あーって言ってみ(言ってごらんの方言)」「いーって言ってみ」

と次々いいました。

そして、みんなが飽きるまで、そんなことが二日か三日続いたのを覚えています。

 

その話をかっこちゃん(図書館の運動の記事で紹介した作家の山元加津子さん)

にしたら、もしかして、場面緘黙(かんもく)症だったのかもと言われました。

かっこちゃんは、長年、石川県で養護学校の先生をしていたのですが、

同じような子どもにたくさん出会ったというのです。


え? なになに? そんな言葉は初めて聞いた、と思いました。

(姪と甥が自閉症スペクトラムだから、いろいろ勉強したし、

大学のゼミは児童発達心理学だったのに!)

でも、もしかしたら、知らない人の方が多いかもしれません。


場面緘黙症(選択性緘黙症ともいうようです)とは、

家族とは問題なく話せるのに、家族以外の者や、保育園や学校などでまったく話せない

状態が一か月以上続くことだそうです。

おとなしい子どもに多いので、内気さから話せないとか、わざと話さないと誤解される

場合もありますが、そうではなく、また、本人もなぜ話せないかわからないとのこと。

 

あ~~~まさに、わたしもそれだ! と、びっくり仰天。

長いあいだ、なんだかわからなかったことが氷解し、とってもすっきりしました。

変な子どもだったと思っていたけど、違ったんだ。

わたしだけじゃないんだ、と知って、心からほっとしたのです。

(ありがとう、かっこちゃん。)


内気な子どもに多く発症するので、単なるおとなしい性格というのと区別が難しいけど

症状が非常に強く、一か月以上(時には、わたしのように何年も)続くそうです。


小さいときに周りが気づけば、症状も早く治りやすいようですので、

場面緘黙症というものがあるんだよ、それはこういうものなんだよ、という

社会の理解が進んでいくように願っています。


(写真の天使は、昔ドイツを訪れたとき、空港でみつけた小さな陶器の天使。

いつも、内気で無器用なわたしを見守っていてくれます。)

双子のこと2019年09月17日 14:31

子どものとき、同じ学年に、3組の双子がいました。
女の子がふた組、男の子がひと組。
小学校と中学校の九年間、一緒だったので、どの双子とも、
少なくとも、片方とは同じクラスになりました。

みんな一卵性だったので、そっくりでしたが、
いつも一緒に遊んでいるわたしたち生徒は、
どちらがどちらかちゃんと区別がつきます。
声も、顔も、微妙に、でも、明らかに違うのです。
ところが、先生たちときたら、てんで見分けがつきません。
どうしてわからないんだかなぁって、みんなで不思議に思ったものです。

双子たちは、おもしろがってクラスを入れ替わったりしました。
(ふたりのロッテみたいですよね。)
でも、ただの一度もばれたことはありませんでした。

どの双子もきょうだい仲がよくて、話したり歌ったりすると
ハーモニーがきれいでした。
姿形はそっくりなのに、性格はそれぞれとても個性があって、
それが不思議で面白く、双子は、わたしにとって、
永遠に神秘的で、魅力的な存在となりました。

大学の卒論では、双子の女の子が主人公のファンタジーを書きました。
サラファーンの星にも、林檎園の双子(いたずらざかりの男の子)と、
葡萄亭という食堂兼宿屋の双子(子どものころは、やはり村一番の
いたずらっこだった十代後半の少年)を登場させました。
脇役で、葡萄亭の少年たちに至っては、話の中で語られるだけですが、
なぜかやっぱり双子の存在は、外せないのです。
どのキャラクターも、同級生とは、容姿も性格もまったく違うけれど
ありありと目に浮かんできて、つい書いてしまうのです。

高校に進学すると、同じ学年どころか、学校全体でも双子はいなくて、
以来、長いあいだ、まったく出会いませんでした。
そして数年前、双子の姉妹のお姉さんとお友だちになりました。
ひさしぶりの双子です。
二卵性なので、見かけは少し違いますが、とっても素敵な姉妹。
やっぱり双子と縁があったのかなと、なんだか嬉しく思っています。

れんげ畑とローレアの咲く丘2019年04月08日 20:40


れんげ草

岐阜県の大垣市で育ったわたしは、子どものころ田んぼの中の一軒家に住んでいました。
春になると、田んぼは一面のれんげ畑となり、濃いピンクの絨毯を敷きつめたようでした。
『ユリディケ』の冒頭、ローレアの花が丘を水色に染め、ユナがその中で寝転んで空を
見あげているシーンが浮かんだのは、子どものころのそんな原風景から来ているのだと
あとになって気がつきました。

れんげ草とローレアでは、色も形も違うし、ローレアの方は咲く季節も
早春から春の終わりまでと長いけれど
あたりがその色一色に染まり、そよ風が花を揺らし、蝶や蜜蜂が飛び交う
のどかで平和そのものの光景は同じです。

そうしたエピソードは『石と星の夜』のあとがきに書いたのですが、ちょうどいまが、
そのれんげ草の季節。
子どものころに比べて、れんげ畑は少なくなったけれど、春になって見かけると、
本当にうれしくなります。
実家で静養しているいま、ささやかですが、近くに咲いているところを見つけました。

『ユリディケ』から二千年の時をさかのぼり、前日譚を書くにあたっても、
ローレアの花は外せないエレメントでした。
どちらの物語でも、心のよりどころとなる存在ですが、
サラファーンの物語では、音楽も重要なエレメントであり、ローレアの花が
祖国を離れた者が故郷を思って歌う歌として登場するのは、ある意味で必然でした。

早春の丘を水色に染める
麗しのローレア……

歌が出てくるシーンでは、この歌詞を書きながら、いつしか自然とメロディが浮かび、
いつも歌いながら書いていました。
ごく単純な曲ですが、いずれ楽譜を紹介できたらと思っています。
(長調なのですが、なに調にするかをまだ決めていないのと、副旋律も入れたいのとで、
まだ譜面に起こしてないのです)。
また、環境保全活動に取り組んでいる友人(イラストもプロ並み!)に、
ローレアのイメージを伝えて描いてもらった作品が手もとにありますので、
こちらも紹介していきたいです。

初めての詩と小学校の文集2019年03月19日 21:02


絵里ちゃん手作りの文集の表紙

初めて詩(らしきもの)を書いたのは、小学校三年の時です。
詩や作文を書いて、友だちと交換して作品を集め、それぞれが文集を作ったのでした。
表紙もなにもかも手作り。
こちらの写真は、幼なじみの絵里ちゃんの表紙。紫の色使いが素敵です。
絵里ちゃんのパパはベレー帽姿もダンディな絵描きさんでした。きっとその血筋ですね。

記憶力がよくて物持ちもよい絵里ちゃんは、こうして小学校時代の文集も残っています。
わたしは、記憶力は悪いし、物持ちも悪く、文集も手もとにありません。
(10回ぐらい引っ越ししたので、そのせいもあるかな、と言い訳したりして。)

ただ、初めて詩を作って、すごくわくわくしたことだけは、鮮やかに覚えています。
「見たこと、感じたこと、何でもいいんだよ」
先生の言葉に、「もみじ」というタイトルで、庭のもみじのことを書きました。

庭には、
もみじの木が三本ある。
みんな、
赤色にそまった葉をつけている。
夏は、
青色をしていたのに。
まほう使いみたいに、
葉の色がかわった。
赤ちゃんの手の色が
かわっていくようだ……

初めての詩は、とってもつたないけど(葉は緑だよね?というツッコミ所も)
詩を好きになった原点、そして、創作の原点です。

絵里ちゃん、写真をありがとう。
今日はお誕生日だね。おめでとう! 素敵な一年になりますように!

雪の朝2018年12月29日 15:11



今朝目を覚ますと、一面の銀世界でした。

雪の降る日に生まれたからか、雪はとても好きです。(寒いのは苦手なんですけど。)
しんしんと降る雪を見ていると、時がたつのを忘れてしまいます。
夜の雪も好きです。暗い空から雪がはらはらと舞い落ちる雪を見ていると、自分という存在が消えて、世界とひとつになるような気がしてきます。
信州生まれの友人も、夜の雪を見つめているのが好きだといっていましたっけ……。

幼いころに住んでいた家は、東西と北側を田んぼに囲まれた一軒家で、縁側のある南側には空き地が広がっていました。
吹雪の日には、その広い土地が横殴りに降る雪で真っ白になり、恐ろしさと美しさと両方で、時を忘れて見入ってしまうのでした。

サラファーンの星には、全編、雪のシーンが登場しますが、冒頭、地吹雪が舞う大平原を、リーヴ一家が馬車でリーヴェインへ向かうシーンは、そんな思い出が重なっています。

雪の降る夜も好きですが、雪のやんだあと、庭一面の雪に月光が降りそそぎ、神秘的な紫色に染まるのもとても好きです。
第一部『星の羅針盤』では、リーヴとウィルナーが戦場の父に思いを馳せるシーンに、月光に輝く雪の庭を登場させました。

物語の中で、雪は、人の命を奪ってしまう悲しい宿命も帯びていますが、それ以上に、心をやさしく包むシーンや、少し切ないシーンにひんぱんに登場します。
サラファーンの星の中では、星やローレアの花などと並んで、大切な要素です。

たとえば、かつてフォーディルの村から姿を消した幼子トゥーリーに関して、雪がやさしい役割を果たす場面がいくつかあります。

彼が必ず自分のもとに戻ってくると信じている母、ヨハンデリ夫人が、降りしきる雪を見あげて、それがどこかにいる息子からの言伝のように感じるところや、彼女と同じようにトゥーリーが生きていると信じるリーヴが、降りしきる雪の中で、彼が母親のもとに戻るよう一心に祈りを捧げる場面などです。

そんなふうに、誰かが、小さなトゥーリーを思うシーンは、わたし自身、祈るような思いで描いていました。
やはり、ヨハンデリ夫人には、いつかトゥーリーを抱きしめてほしいと心から願いながら。

(写真は、今日と同じような雪の朝、亡き愛犬サリーと実家の庭で遊んだときのものです。雪の日には、よくこのときのことを思い出します。)

子どものころの空想遊び2018年12月29日 14:31

仙台の大学の図書館に勤めている友人、智ちゃんが、サラファーンの星の公式サイトを見て、感想を送ってくれました。

彼女は、物語の国や人物の設定、わたしのイラストを見て、子どものころ、自分でいろいろな訳や状況を設定して、夢中になって遊んだことを思い出したそうです。

「想像して物事を決めたりすることは本当に豊かで楽しいことですね。そういった経験が、大人になっても生かされていて、物語を創る作業につながっていくということなのかなぁ、という気がしてならなりませんでした」

そんな智ちゃんの言葉に、ずっと忘れていた子どものころの思い出がよみがえってきました。

そう。そういえば、わたしも、そんな子どもでした。
ぼうっと景色を見ていることがとても多かったけれど、心の中でろんな想像をして、ここはどこそれの国、と、違う国に住んで、その中でいろんな人たちが活躍するさまを思い描いて遊んでいたことも、たびたびあったのでした。
それが、いまも続いているということですね(*^_^*)

これまでは、物語を書き始めたのは中学1年のころだとばかり思っていて、そんな幼い日のことは覚えていなかったので、子ども時代の自分に会えた気がして、なつかしかったです。
智ちゃん、ありがとうございます☆