祈りの日 20242024年03月11日 22:10

3月11日。あの日から13年の歳月が流れました。
地震のあった午後2時46分、そして、能登半島地震のあった午後4時10分にも、
各地で黙祷が捧げられたと、テレビのニュースで伝えていました。
東北の方々が、能登の人々へ思いを伝えている姿に、
また、能登の人々が、東北の人々への祈りを捧げている姿に、心を打たれました。

ずっと、忘れてはならないこと。忘れてはならない日。
関連死を含めて亡くなった方と行方不明の方は2万2222名。
今なお2万9千名以上の方が避難生活をされているそうです。
福島第一原発事故の被害も影響も、依然深刻です。廃炉への道も不透明。
そんな現状にもかかわらず、そして元旦の大きな震災があったにもかかわらず、
原子力規制委員会は、能登半島にある志賀原発の再稼働を問題がないとしています。
不安で仕方ありません。地元の方はなおさらではないでしょうか。

実際に被災した方にしかわからないことが、たくさんあると思いますが、私も私なりに、
いろいろ考え、伝え続けていきたいと思っています。

言葉にできない思いで、胸がいっぱいになるとき、私はよく散歩に出ます。
今日の午後は、家から少し離れた街をあてもなく歩きました。
途中、小さな公園に、ボランティアの方が作った花壇を見つけました。
とても清楚な白い水仙がたくさん。黄色い水仙も愛らしいです。
もうネモフィラが咲いていて、名前の分からない隣の濃い紫の花の隣で揺れていました。
昨日までは強風が吹いていたのですが、とても静かな午後でした。
花たちも祈りを捧げているように思えました。

水仙

ネモフィラ、水仙

北陸のソウルフード(揚あられ)ビーバー3種2024年03月09日 17:38

先日、金沢の友だちが、地元を応援したいから、と送ってくれた北陸のソウルフード、
揚あられのビーバー。すぐになくなり、私も北陸応援にと(というより食いしん坊だから?)オンラインショップで取り寄せました。美味しいですよ〜♪
左から、梅味、カレー味、普通?のビーバー。白えび、カニ、あおさもあります。
北陸製菓のサイトによると、1970年の万博のカナダで展示されていたビーバー人形の歯と
お菓子を2本並べた形が似ていることが名前の由来とか。
ほどよい塩加減と昆布の旨味と書いてありますが、その通り。
封を開けると止まらなくなって、ほんと「危険なお菓子」です。

ビーバー3種

能登の地震から、2か月以上。
まだ断水が続いているところがあって、どんなに大変な毎日だろうと胸が痛いです。
どうか、一日も早く復旧しますように。皆さんにおだやかな笑顔が戻りますように。

そして、11日には、東日本大震災から丸13年を迎えます。東北もまだ復興半ばです。
津波あとの大川小学校の光景や、語り部の方たちのお話が、ずっと忘れられません。
せめて、今も行方の分からない4人のお子さんたちが、見つかりますように…。
その方たちを含めて、東日本大震災の行方不明者は、2520人だそうです。
そんなにたくさんの方の行方が未だわからないという現実に、言葉がありません…。

また東北を旅したいです。
そして、もう少し落ち着いたら、北陸にも足を運びたいです。

地震大丈夫でしたか?2024年01月01日 19:59

元旦から、大きな地震が起こりました。
石川県能登地方には大津波警報が出ています。東日本大震災を思い出します。
名古屋もかなり揺れました。
足の悪い母をテーブルの下に避難させるのは思った以上に時間がかかりましたが、
それでもまだ揺れていました。長かったです。

みなさまのところは大丈夫でしたか?
被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

いまニュースを見ていますが、火災が発生しています。早く収まりますように。
また、救助を求めている人々が多いとのこと。早く救助されますように。
原発のニュースも入ってきました。とても心配です。
どうか、被害があまり大きくなりませんように、そして、新しい年が、
できるだけおだやかな一年でありますように。
静かでおだやかだった今朝の初日の出を思い出しながら、そう心から祈っています。

2024年、名古屋の初日の出

坂本龍一さんを偲んで2023年05月03日 22:30


午後の水晶のような月

憲法記念日の夕方。5時半過ぎに近所に買い物に行くと、まだ明るい東の空に
月がぽっかり浮かんでいました。満月が近くなって月の出が少しずつ遅くなっています。
青空にこんなふうに水晶のように透ける月も、とても好きです。
(月は画面中央です。クリック拡大で、模様もなんとなく見えるといいな。

坂本龍一さんの訃報に接してひと月が過ぎました。
反戦と脱原発を訴え、環境問題も真剣に向きあっていた「教授」。
今も空の上から、憲法9条を守りたいと願っているに違いありません。

フィギュアスケーターの三原舞依さんが、先月の国別対抗戦で、シーズン締めくくりとなる
『戦場のメリークリスマス』を滑っていた姿が思い出されます。
彼女の天上的な舞には、坂本さんへの心からの追悼が込められていました。
映画公開当時、彼の音楽も、デヴィッド・ボウイという同じく世界的な音楽家との共演も、
楽しみだったのを思い出します。
戦争のむなしさを描き、強く平和を願う作品で、美しいピアノ曲が、観終わったあとも
ずっと心に響いていました。

東日本大震災から12年になるこの春、坂本さんは新聞に(我が家の場合は中日新聞)
原発に反対するメッセージを寄せていて、切り抜いてデスクに置いていたのですが、
そのすぐあとに亡くなられてしまい、大きな衝撃を受けました……。
そのメッセージのなかで、坂本さんは、
「なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう」と
疑問を投げかけています。
放射性廃棄物の処理の仕方も未解決で増える一方だし、2011年の原発事故の汚染水、
処理水も増える一方。世界一の地震国だというのに、なぜだろう、と。
本当に、わたしも不思議でなりません。

東日本大震災の原発事故を受けて、ドイツは、当時のメルケル政権が脱原発を決断しました。
そして、ロシアのウクライナ侵攻という逆風のなか(実際、反対意見も増えつつあるなか)、
先月、脱原発を完了しました。
痛みをともなっても、未来をしっかり見つめ、賢明な決断を下した勇気に敬服します。

なのに、事故当時国のこの国は、まったく逆方向へと動いていて、悲しくなります。
そして、二度と戦争をしないと誓った憲法9条を変えようとしていることも悲しいです。
水晶のような澄んだ月を見上げ、坂本さんを偲びながら、
日本が平和への道をしっかりと歩み、未来を築く若い人たちが、ひとりでも多く
の遺志を受け継いでいってほしいと願いました。

3月11日 13年目の祈りの日2023年03月11日 17:07

東日本大震災から12年。今日は犠牲になった方々の13回忌です。
2時46分、テレビに映る被災地の方々とともに黙祷を捧げました。

信じられないくらい大勢の方が亡くなり、未だに行方不明の人も、
仮設住宅で暮らしている人も多いという現実。
守ることができた命、防ぐことができた被害もあったことを思うと、
いっそう胸がしめつけられます。
学校の裏山に逃げれば助かった大川小学校の子どもたち…。
今、『「生きる」大川小津波裁判を闘った人たち』というドキュメンタリー映画が
公開されています。
また、地震の3年前、最大15.7メートルの津波が来る可能性があるとの
報告を受けながら、対策を怠った福島第一原発…。
3年あれば、あの日の津波を防ぐだけの防潮壁を充分に築け、未曾有の原発事故は
起こらなかったはずです。

震災の記憶が風化していっているのか、目先のことしか考えていないのか、
政府は、原発の運転期間を延長する法案を閣議決定しました。
この地震大国で、都市開発が進み、高層ビルが次々と建てられていることには
不安と違和感を覚えます。
なによりも、東北の復興(他の地震や災害の被災地もふくめて)が第一では
ないでしょうか。
世界情勢を理由に原発回帰するのではなく、この機に再生可能エネルギーを増やし、
食料を国内でまかなえるよう農業に力を入れてほしいです
被災地を訪れたとき、若い語り部の方に聞いた言葉が、ずっと心にあります。
「亡くなった人たちも、みんなで一緒に生きている」
被災地や弱者に寄り添う国になってほしいと切に願っています。

暖かな日が続いていますが、東北では本格的な春はもう少し先でしょうか。
震災の犠牲になった天国の人たちに、そして、今も辛い思いをしている被災者の方々に
心からの祈りを込めて、名古屋で咲き始めた青空に映えるミモザの写真をアップします。

咲き始めたミモザ

3月11日〜12年目の春2022年03月11日 14:16

あれから11年の歳月が流れ、今年も、
忘れられない、忘れてはならない日がめぐってきました。
いまだ2500人を超える方の行方がわかっていないことに衝撃を覚えます。
どうか、一日も早く見つかりますように。

なにげない日常がいかにきらめいているか
あたりまえの日々がいかにかけがえのないものか、
ロシアによるウクライナ侵攻をまのあたりにして、いっそうそのことを感じます。
犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに
被災された方々が早く日常を取り戻されますよう、
そして、世界中が平和で平穏でありますよう、心からの祈りを捧げます。

祈りの日2021年03月11日 17:40

あの日から10年の歳月が流れました。
犠牲になった人々、行方がわからない人々、大切な人や家、故郷を失った方々の
ことを思うと、いまなお言葉が見つかりません。

先日、東日本大震災の番組のインタビューで、
柳田国男さんが、悲しみは乗り越えるものではないといっていました。
悲しみはずっとそこにあり、深まることすらあれ、忘れて乗り越えられるものでは
ないのではないかと。わたしもそう思います。
人は、悲しみを抱えたまま立ち止まることもある。そこから、少しずつ進んでいく
こともある。

津波の爪痕がくっきりと残る被災地を訪れたときの衝撃が
いまも、心から離れません。
特に、3月11日が近づいてくると、痛みとともに、よみがえります。
万感の思いで、心からの祈りを捧げます。

3月11日の祈り2020年03月11日 16:41


河津桜

あの日から9年が過ぎました。
岐阜の実家から名古屋の妹の家に向かう高速で、横揺れが来たことを思い出します。
強風だと思ったのに、妹の家につくと、「お姉さん、大変なことになっている」と…。
テレビの画面に映し出される津波の映像に、言葉を失いました。

その夜、帰りの高速は、一般の車はほとんど走っていませんでした。
だから、道はとても暗かったです。
その暗いなかを、自衛隊の装甲車が、赤いランプを点滅させながら、次々と東京方面へと
向かっていくのと、何度もすれ違いました。
ずっと鳥肌がたったまま、運転しながら、
「どうかみなさん無事でいて。そして、どうかたくさんの人たちを助けてください」
そう願い、祈ることしか、できませんでした。

二年前、4部作の最後の入稿をおえたあと、初めて被災地を訪れました。
津波の爪痕がくっきりと残る大地。語り部の方の、壮絶な「あの日」の体験。
それを聞いたわたしでさえ、まだ心の整理ができないような、むごい事実……。
天災と人災。ふせげたかもしれない、守れたかもしれない命も、
たくさんあったということ……。

コロナウイルスの脅威が大きくなるなか、迎える、10年目の3月11日。
そのために復興が遅れることなく、日々着実に進みますようにと願っています。

そして、亡くなられた方々の魂が安らかでありますように
いまだ行方のわからない方々が、一日も早く見つかりますように
仮設住宅に住んでいる方々、故郷を離れている方々が、
新しい住まいで暮らせたり、故郷の家に戻れますように
心からお祈り申し上げます。