由奈さんとユナと広島サミット2023年05月21日 22:00

G7広島サミットが閉幕しました。
サミットの重要課題のひとつが、「核軍縮・不拡散」。
核兵器の脅威がかつてなく高まっているいま、その会議が被爆地広島で行われ、
各国のトップやEU大統領たちが原爆資料館を訪れたことは、
とても意味のあることだと思います。

訪問が40分だったことは、被爆された方やご家族にとって、
明らかに少なすぎる時間に違いありません。それでも、実際になにがあったかを
見てもらえたことは、大きいのではないでしょうか。
以前、わたしも資料館を訪れましたが、原爆が落とされた時間で止まった時計や、
幼い子が乗っていた三輪車、ぼろぼろになった服などを実際に目にした体験は、
それまで情報として得たこととは、まったく違いました。

今夜、ゼレンスキー大統領の演説を聞きましたが、「人影の石」に二度ふれたことが
とても印象的でした。
「人影の石」は、資料館の中でも最も衝撃的な展示物のひとつです。
銀行の前の石段で、そのとき座っていた人が、黒い影だけになって残った負の遺産。
ゼレンスキー大統領も、強烈なインパクトを受けたことがうかがえました。
ウクライナの街が、たったひとつの影のある石を残して消え去るかもしれなかった、
あるいはそうなるかもしれない脅威。
そして、今後、世界が、そうなるかもしれない脅威……。

中日新聞の連載で、「祈り」をテーマにした広島サミット特集を読みましたが、
その初日が、広島大学の一年生、岡島由奈さんのお話でした。
由奈さんは、ひいお祖父様を被爆で亡くされています。そのため、原爆は
「怖くて、見たくないもの」でしたが、被爆者である高見藤枝さんの体験を聞いて、
考えが変わり、広島サミットを核なき世界へ前進させる機会として成功させたいと、
インターネットで署名を集めてきたそうです。
被爆者からバトンを受け継ぎ、核なき世界を目指す動きを、次世代につないでゆくのが
役目だと語っています。

「ゆうな」さんとお読みするようですが、漢字が「ゆな」と読めることから
なんだか(勝手に)親しみを覚えました。ユリディケのヒロインはユナ。
(追記:今夜22日テレビで「ゆな」さんと紹介してました。ごめんなさい&嬉しいです。)
最初の原稿を書いた時、20代だったわたしは、物語に平和な美しい世界への祈りを
込めました。その2つの柱が、核なき世界と地球温暖化を止めることでした。
時は流れ、世界はいま、その願いとはまったく逆の方向へ向かっています。
すごく虚しさを感じるときがあります。

由奈さんも、自分の活動に意味があるのだろうかと迷いが生じることがあるといいます。
周りの同世代に話をしても、多くは関心が高くないと感じるそうです。
それでも、後悔がないよう行動したいという由奈さん。
被爆者から直接話を聞ける最後の世代だという危機感を抱き、先頭に立っていこうと
考えているそうです。ぜひ応援したいです。
若い人が頑張っているのだから、わたしも頑張らなくちゃ。

ゼレンスキー大統領は、スピーチのなかでいっていました。
人は戦争はなくならないというけれど、
ロシアが戦争をしかけた最後の国となりますように、と。

人は戦争をするものだ、というのは、戦争をしたがる人の言い訳だと思います。
核兵器を持つことが戦争を抑止する、ということも、幻想だと感じます。

どんなことも、思い描くことから始まります。
核兵器を生み出すこともそうでした。誰かが思い描いたから、実現した。
だとしたら、平和な世界を強く思い描けば、実現できるはずです。
G7広島サミットが、その第一歩であったと、後に振り返ることができますように。
そう願ってやみません。

自閉症と青い花2023年04月06日 20:27

毎年4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デー。
日本では、自閉症だけでなくすべての発達障害を含めて、2日から8日までを
発達障害啓発週間としています。
自閉症のシンボルカラーはブルー。「癒やし」や「希望」を表すそうで、
名古屋のテレビ塔はきれいな青にライトアップされています。

こちらは、少し前に、お花屋さんで買ったデルフィニウム。
自閉症のシンボルカラーのブルーに合わせて写真をアップします。
本当に癒やされる青。大好きな花のひとつです。

デルフィニウム

自閉症って本当にわかりにくい障害で、昔、映画館で『レインマン』をみて
初めて知りました。
ダスティン・ホフマンが自閉症の青年レイモンドを演じ、トム・クルーズがその弟。
レイモンドは施設に入っているのですが、別れ別れに育った弟は、
兄の障害をまったく理解しないまま、ある事情があって、黙って連れ出してしまいます。
レイモンドは重度の自閉症。
こだわりが強く、融通はきかず、コミュニケーションもとれません。
大通りで横断歩道を渡っていて(青信号が歩くマークだからわかる)、
赤になって歩行禁止のマークが出ると、道の真ん中で止まってしまったり、
パンケーキを食べるときには最初にメープルシロップが出てこないと
食べることができなかったり、下着も決まった商品でないと絶対に身につけません。
自閉症の人は、音や触覚に過敏なところがあり、生地によってはちくちくして痛いとか
あるそうで(わたしも、洋服の襟元のタグがちくちくして、取ることがよくあるので
あんな感じかな、と想像します。)
レイモンドは、そうした特徴をよく表していると思いますが、わたしが
そうしたことを本当に理解したのは、そのずっとあと。
自分の姪と甥が自閉症だとわかってからです。
(「レインマン」をみた時は、まさか将来自分の身内に、同じ障害をもつ子が
生まれるなんて、想像もしませんでした。)

身内や身近に自閉症の子がいない人たちが、いかに自閉症をわかりにくいか、
(あるいは、発達障害全般をわかりづらいか)本当によくわかります。
自閉症の人は、見かけは普通の人と変わらないですし。

姪が生まれた時も、ごく普通の赤ちゃんに見えました。
成長も、最初はごく普通の子に見えました。
妹たちは神奈川県にいたので、めったに会えず、やがて妹が我が子が他の子と違うと
悩み始めたのも、知りませんでした。
なかなかオムツがとれなかったり、夜中に起きてはベビーベッドの上でひとりで歌ったり
家中の靴やスリッパを床に並べたり、言葉が遅く、話せるようになってもオウム返し
だったり、先生やほかの子どもたちとコミュニケーションがとれず、
幼稚園をクビになったり(おたくのお子さんはうちでは預かれません、と)。

久しぶりに姪と会ったとき、さすがにこれはおかしいと思って、妹に話しを聞き
妹が悩んでいるのを知りました。
お姑さんに、あなたの育て方が悪いと言われていることも。

心理学に詳しい友だちに、姪の様子を相談したら、
「それは、ものすごくわがままか、障害があるかどちらかよ」と言われました。
そして、障害児の教育の専門家を紹介してくれました。
その方は京都の先生で、妹夫婦と私とで、3歳になった姪を連れて訪ねて行きました。
そうして、先生に言われた言葉は、「◯◯ちゃんには障害があります」でした。
それを言われた瞬間、妹夫婦と一緒に泣きました。
「親が死んだあとのことを思うと…」と妹の夫が声をつまらせました。
先生は優しくおっしゃいました。
「泣いて下さい。どうぞ思い切り泣いて下さい。今はそれが必要ですから」
それは、ずっと悩んでいたわたしたちが、初めて感情を表に出せた場でした。
いまも、そのときのことを鮮明に思い出します。

そのころ、妹のお腹には次の子がいて、実家の岐阜に帰省していました。
それから、私も一緒に障害について勉強しまくり、京都の先生に紹介していただいた
岐阜大学の先生を訪ねたり、自閉症に関するあらゆる講演会に行きまくりました。
姪のことで駆け回るうちに、生まれてきた甥も、やがて同じ障害があるとわかります。

自閉症は、脳の機能障害で、自分の殻に閉じこもっているわけでも、
親の育て方が悪いわけでもありません。
脳の機能の一部が正常に働かず、他の人の気持ちを察することができなくて、
それゆえ、コミュニケーションが苦手だったり、言葉がうまく話せなかったり、
排泄の感覚がわかりにくくて、オムツがなかなか(あるいはまったく)
とれなかったり、こだわりが強く、予定外のことが起こると対応できず、
パニックを起こしたりします。

けれども、その特性を知って、接すれば、少しずつ学んでいったり、
コミュニケーションも取れるようになっていきます。
もちろん、難しいこともたくさんありますが、
好きなことには驚くほどの集中力を発揮したり、
中には、芸術的なセンスが優れている人もいます。
カメラアイといって、見たものを記憶する力が優れていることもあります。
姪や甥も(言葉をうまく話せないからそれを伝えることはできませんが)、
一度会った人は覚えていたりします。
なんでもすぐ忘れちゃうわたしより、ある意味、ずっと記憶力がよいです。

自閉症をはじめ、発達障害を抱える人が、少しでも理解されて、
生きやすい世界になるといいなと心から願っています。
社会的に弱い立場いいる人たちが生きやすい世界、寛容で温かい世界は、
きっと、誰にとっても生きやすい世界に違いありません。

3月11日 13年目の祈りの日2023年03月11日 17:07

東日本大震災から12年。今日は犠牲になった方々の13回忌です。
2時46分、テレビに映る被災地の方々とともに黙祷を捧げました。

信じられないくらい大勢の方が亡くなり、未だに行方不明の人も、
仮設住宅で暮らしている人も多いという現実。
守ることができた命、防ぐことができた被害もあったことを思うと、
いっそう胸がしめつけられます。
学校の裏山に逃げれば助かった大川小学校の子どもたち…。
今、『「生きる」大川小津波裁判を闘った人たち』というドキュメンタリー映画が
公開されています。
また、地震の3年前、最大15.7メートルの津波が来る可能性があるとの
報告を受けながら、対策を怠った福島第一原発…。
3年あれば、あの日の津波を防ぐだけの防潮壁を充分に築け、未曾有の原発事故は
起こらなかったはずです。

震災の記憶が風化していっているのか、目先のことしか考えていないのか、
政府は、原発の運転期間を延長する法案を閣議決定しました。
この地震大国で、都市開発が進み、高層ビルが次々と建てられていることには
不安と違和感を覚えます。
なによりも、東北の復興(他の地震や災害の被災地もふくめて)が第一では
ないでしょうか。
世界情勢を理由に原発回帰するのではなく、この機に再生可能エネルギーを増やし、
食料を国内でまかなえるよう農業に力を入れてほしいです
被災地を訪れたとき、若い語り部の方に聞いた言葉が、ずっと心にあります。
「亡くなった人たちも、みんなで一緒に生きている」
被災地や弱者に寄り添う国になってほしいと切に願っています。

暖かな日が続いていますが、東北では本格的な春はもう少し先でしょうか。
震災の犠牲になった天国の人たちに、そして、今も辛い思いをしている被災者の方々に
心からの祈りを込めて、名古屋で咲き始めた青空に映えるミモザの写真をアップします。

咲き始めたミモザ

トルコとシリアの大地震〜日本からできること2023年02月18日 15:00

トルコとシリアで起きた大地震の被害は、日を追うごとに、被害の大きさが明らかになって
きています。
医療援助などで現地に飛ばれた方もいるでしょうし、寄付をされた方もいると思いますが、
なにかしたいけど、なにがいいか迷っている方も多いのではないでしょうか。

NHKのサイトに、こんなページがあります。
↓↓

我が家でも、やはり信頼できる団体がいいと思って、家族で話し合い、
郵便局から日本赤十字あての振り込みと、たまっていたクレジットカードのポイントを
寄付にあてました。妹は、ドコモのdポイントで寄付したといっています。
寄付する団体なども、それぞれのホームページに掲載されています。
(まだ未定、というところもあります。)

シリアの内戦を逃れてきたのに、トルコで被害に遭ってしまった人たちや、
地震で親族を失った子どもたちが行き場を失って、極寒の路頭に迷っているという
ニュースには、特に胸が痛みます。
ささやかながら、東日本大震災以来、応援しているNPO「国境なき子どもたち(KnK)」も、
シリア難民の支援をしているので、どんな状況なのか聞いてみました。

KnKでは、シリア南部から逃れてきた難民をヨルダンで支援しているため、
北部の地震での活動は、全く新規のプロジェクトとなり、危機管理も難しく、
余裕がないのが現状だけど、飛び込んでくる映像に、居ても立っても居られない気持ち
とのことでした。
現地での支援は、まずは支援する側の地盤がしっかりしていることが必須でしょうし、
そのジレンマ、とても辛いと思います。

世界が激変しているいま、助けを求めている人がますます増えていて、
国連のグテーレス事務総長の掲げる「誰一人取り残さない社会」というスローガンが
いっそう大切に感じられます。
一人ひとりの力は小さいけれど、大海もひとしずくの水からなるーーきっとわたしたちは
乗り越えていける。そう信じています。

『森と生きる』2023年02月12日 14:59


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友だちが『森と生きる』という画文集を贈ってくれました。
森と野鳥の好きな私なら、きっとこの絵も気にいると思うから、と。

作者の片田好美さんは、体調を崩されて森に住むようになったそうです。
森で出会った鳥の絵に、その鳥にまつわるエッセイが添えてあります。

水色の背景も美しいこのジャケットの絵は、コジュウカラとノブドウ。
どのページも、こんなふうに鳥と植物が静謐で繊細に描かれていて、
見たり読んだりしていると、自分も大好きな森にいるような気がしてきます。

ツバメとニリンソウのページを開いたとき(これも本当に素敵な絵)
ぱっと、オスカー・ワイルドの『幸福の王子』のツバメのことを思いました。
文章を読み進むと、その『幸福の王子』のことが書かれていました。
なんだか嬉しかったです。
深い森の中の清らかな泉のような一冊で、大切な宝物になりました。

あとがきには、画文集を作ったきっかけのひとつとして、こう書かれています。
「一人でも多くの人が、鳥や植物を知り、名前を覚え、出会った時に喜びを感じる
ようになったら、それはいつか森を大切にすることに繋がっていくのではないか」
いま、片田さんのように、自然の中で、そひとつの存在として生き、
季節の移ろいを感じ、宇宙を感じる視点が、本当に大切ではないでしょうか。

アメリカの科学雑誌が1947年から発表している終末時計が、
これまでで最も短い、残り90秒になりました。
ロシアによるウクライナ軍事侵攻が、時計の針が進んだ一番の理由だそうです。
戦争など、している場合ではありません。
そうでなくとも、病気や思わぬ事故や災害で、人は死んでゆく。
それだけでもとても悲しいです。だからせめてそれだけにしてほしい。

いまも、トルコとシリアの国境で起きた大地震で、甚大な被害が出ています。
わたしたちは、争い合うのではなく、助け合わなくては。
一人でも多くの人が助かりますように。そして、極寒の地で、救助を待つ人々のもとに、
一刻も早く支援が届きますようにと祈っています。

鎮魂の日2023年01月17日 23:29

阪神淡路大震災から28年。いまも行方がわからない方がいるという事実に衝撃を覚えます。
あの日から時間が止まったままの方もいると思います……。

震災を知らない世代も多くなり、神戸の公園での追悼式典会場では
犠牲者を追悼する灯籠が、「1.17」と「むすぶ」という文字の形に並んでいました。
震災の経験や教訓を次の世代に伝えたいという願いが込められているそうです。

あの朝のことは忘れられません。私は実家の岐阜にいて、大きな揺れに、
目を覚ましました。なにか大きな音がしました。
結婚していた妹も帰省していて、寝ていた部屋を飛び出してきました。妹が寝ていた和室の
引き戸が、ガタガタと揺れて開いたそうです。
居間では、キャビネットの上に飾ってあった大きな置物が、離れたところに落ちていました。
大きな音はこれだったのかなと思いました。
「すごい地震だね」と妹と話すときも、まだぐわんぐわんと地面が回るように揺れていて、
どこか遠くで大きな地震があったと感じました。
その後、テレビに映されたい映像に、目を疑いました。神戸の街が燃えていました。
高速道路が倒れたのは、幼馴染が当時住んでいたマンションの近く。
幼馴染は出産で帰省していて無事で、ご主人も幸い無事でした(家具は固定してあったけれど
テレビは落下し、ピアノは20センチ動き、家の中は大変だったそうですが)。

亡くなられた方の魂がどうか安らかでありますように、
教訓や経験がしっかりと次の世代に受け継がれますように、
地震が多いこの国の将来を、みんなで真剣に考えられますようにと願いながら、
鎮魂の祈りを捧げます。

初日の出from名古屋20232023年01月01日 11:57

あけましておめでとうございます。
名古屋の元旦。夜明け前の南東の空です。

2023年夜明け前

7時6分。太陽が昇ってきました。日の出は、いつ見ても美しく壮大で心が動きます。

初日の出2023

皆様にとって、良き一年でありますように。
そして、人と人、国と国とがお互いを尊重し合う平和な世界になりますように。

個人的には、家族が元気になるようサポートし、私自身も、去年壊した心身の調子を、
あせらず、しっかりと戻していきたいです。
そして、『ユリディケ』を紙の本にすべくブラッシュアップし、一歩一歩進んでいこうと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いします。

真珠湾とジョン・レノン2022年12月08日 21:50

今日、12月8日は真珠湾攻撃から81年(現地時間は7日、日曜日の朝)。
忘れては行けない日。平和を考えるこの日は、
のちにジョン・レノンが暗殺された日にもなりました。
愛と平和を訴えていたミュージシャンの理不尽な死。私は大学生。あの日の衝撃は、
いまも胸にくっきりと刻まれています。

12月になると、街にクリスマスソングがたくさん流れますが、
Happy Xmas (War is Over) は、とりわけ好きな曲です。
「戦争は終わる。あなたが望めば」
信じられないような悲惨な戦争が起こっている今、
いつにもまして、この曲に込められたジョンとヨーコの思いが心に響きます。

昨日、W杯で活躍した日本代表が帰ってきました。母と、泊まりに来ていた妹と
心からの拍手を贈りました。勇気と楽しいひと時をありがとう&お疲れさまでした!
この世に戦争はいらない。スポーツで戦うアスリートたちの姿は清々しいです。
何年も何年も努力して、汗を流して、試合が終われば、お互いの健闘をたたえあう。
世の政治家たちは、見習ってほしい!

今宵、南東の空には、満月と火星の饗宴。(南の空では木星もきれいです。)
火星は今日、地球から見て太陽の反対方向に来る衝にあたり、マイナス2等星!
明るい満月のそばでも、はっきりと見えます。
家族の心配事や、自身の心身の問題などあるけれど、
美しい夜空を見上げて、みんなが笑顔になる世界を祈っています。
(宇宙飛行士はいいますよね。宇宙から国境は見えなかったって。)