心からお見舞い申し上げます2024年01月06日 13:46

能登半島地震の被害の大きさが、日ごとにわかってきています。
犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げますとともに、被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
救助活動が、がけ崩れ等で難航していると伝えられています。一刻も早く駆けつけられますように。
羽田の航空機事故も、直接の原因は未だ解明中ですが、海保機が被災地に支援物資を運ぶ使命を帯びていたことを思うと、言葉を失います…。

個人的には、金沢の友だちとは連絡が取れ、小松にいる別の友だちも無事だと教えてもらいました。金沢でも経験したことのない揺れだったそうです。
ショッピングセンターにいた時で、棚から物が落ちてくるし、息子さんと別行動をとっていたため、会えるまで心配でならなかったとのこと。
今も余震が続いています。友だちも、他の方々もどんなに怖い思いをしているでしょう。

ネットではすぐに義援金の受付が始まり、日本赤十字社も色々な形で受付を始めました。
被災地全体にと、地域別があります(石川県と富山県)。寒い時期なので、一層心配です。
今の私はそれくらいしかできませんが、ずっと心から祈っています。

忘れな草とネモフィラ
忘れな草とネモフィラ二輪。無垢な青い花が少しでもなぐさめとなりますように。

この悲しみもいつか幸せな思い出に2023年12月29日 14:06

友だちが逝ってしまいました。
(会社の先輩だったから、友だちと呼ぶのは失礼かもしれないけれど、会社員時代、
よく一緒に遊び、ともに夢を語り合った人なので…。)
共通の友人から訃報が届いた日は、なかなか眠れず、浅い眠りに落ちたと思ったら、
また目が覚めてしまって、そして、ふたご座流星群の時期だったと思い出しました。
バルコニーに出たら、大きな流れ星が夜明け前の空に向かってまっすぐきれいに流れました。
その流星の話は、この前に記事に書きましたが、友だちのことは書けませんでした。

病気だと打ち明けられたのは一年半前。私も障害のある甥の施設探しに奔走したり、
うつ病を発症したりで、なかなか連絡ができなかった時期で、
自分のほうが大変なのに、私のことを心配してくれるやさしい人でした。

亡くなった人は、姿が見えなくなっただけで、魂は決して滅びないとわかってはいても、
思い出が多すぎて、声を聞いたり、一緒に食事をしたりできないのが寂しくてなりません。
メールを読み返すこともできずにいます。今は悲しみが深くなるだけだから。
いつかそうしたすべての記憶が、幸せな思い出へと変わってゆくのかな…。

当たり前のことって、なにひとつない。家族も親戚も友人たちも、みんなそうですね。
どの人も、どの人との出会いも、かけがえのないもの。改めてそう感じています。

もうすぐ2023年が終わりますね。
ウクライナの戦争が長引くうちに、イスラエルとハマスの戦争が始まって、
この21世紀に信じられないような悲惨な状況になっています。
特に犠牲になっているのは子どもたち。本当に辛いです。
私たちは戦争をしている余裕はなく、協力して気候危機を解決しなければならないのに。
亡くなった友だちは、気候危機の問題を真剣に考えていました。
なにごとも、嘆くだけではなく、一歩踏み出すこと。私も、早く心身の元気を取り戻し、
もっと動いていきたいと思っています。
希望は、人の心とともにあります。

今年も、読んでくださってありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。

「人々を分け隔てるなんて馬鹿げている」とポールは言った2023年11月13日 14:59

1964年アメリカ。
7月に公民権法で人種差別が禁じられたものの、南部ではまだ偏見が根強く、
ジャクソンビルでのビートルズ公演は、黒人と白人の席が別々になっていました。
それを知ったビートルズは、それなら演奏しない、ときっぱり宣言。
結果として、誰でもどこでも座れる、今では当たり前の公演が行われました。
当時のポールの音声が残されています。
「人々を分け隔てるなんて馬鹿げてる(silly)。黒人だってぼくらと何も変わらないよ。
みんな同じ人間じゃないか」

コンサートは9月。法律の成立からたった2か月。その政策を進めたケネディ大統領は
前年の11月に暗殺されています。人権活動家が殺される事件も起きている中での
危険と裏合わせの、公演でした。

階級の壁を軽やかに乗り越えた若者たち。ポールは同じ会見で、
「黒人を動物かなんかと思っているのか? 馬鹿らしいよ(stupid)」とも言っています。
動物だって、もっと尊厳を持って扱われることもあるのに、本当に馬鹿らしいことです。

障害者を動物かなんかと思っているのか? と言いたくなる事件もあります。

最近、地元の企業で、全国的に規模を広げた障害者施設が、家族から集めた食費を
それぞれのグループホームにはわずかしか渡していなかった事件がありました。
一日の食費が100円のところもあったそうです。障害者の親が面会に行ったときに
ちょうどお昼の時間で、少しのご飯に、牛丼のもとをスプーン2杯ぐらいかけただけの
食事で、びっくりしてスマホに撮った写真が、中日新聞に載っていました。
入所者たちはガリガリに痩せ細り、可哀想に思ったスタッフが自腹を切って食費を足したり、家からポテトサラダを作って持っていったりしたこともあったそうです。
食事のことだけではなく、障害者をただ放っておくだけのところもあったとのこと。
衝撃でした。

甥っ子のために、妹が施設を探していたとき、その系列のグループホームしか
空きがなく(結局、甥っ子の症状があまりに重く、断られたのですが)、
その後、追い込まれた妹は、重いうつ病を発症しました。
甥っ子の同級生には、その施設に入ったお子さんもいます。どうしているかと思うと
胸が痛いです。
(悪徳施設がまかりとおっていた裏には、丁寧なケアの必要な重い障害者を無視した
国の政策にも、大きな問題があると感じています。)

たとえ言葉が出なくとも、障害者にも、思いがあり、心があります。
姪や甥と接していて、深く感じます。
心の中には、とても豊かな世界が広がっていると。
それを、音楽や絵画、文章で表現している障害者もたくさんいます。

どんなことでも、人を分け隔てるのは、本当におかしなことです。
国が違っても、肌の色が違っても、宗教が違っても、考え方が違っても、
性別がどうあっても、みんな同じ人間です。
殺し合うことも、間違っています。
ビートルズは、愛と平和を歌いました。
「人生はとても短い。言い争ったり、喧嘩したりする時間はない」のだから。

平和のバトンを未来に2023年08月09日 18:21

一度去ってから戻ってきた台風6号が猛威を振るっています。
7号も密かに近づきつつあります。いま、名古屋でも雨が時おり降り、風がひゅうひゅうと
うなっています。どうかあまり被害が大きくなりませんように。

今日は長崎に原爆が投下されてから78年。
平和宣言をされた長崎市長のご両親は、どちらも被爆者だそうです。
長崎を最後の被爆地にするため、次世代に平和のバトンをつなぐ決意を話されました。

長崎と広島になにが起こったか、まずはそれを知ることが、核兵器廃絶への第一歩。
特に世界のリーダーといわれる政治家や企業家には、ふたつの被爆地をゆっくりと訪れ、
核の実情を知ってほしいです。

どちらも本当に美しい街で、以前訪れた時、戦時下で起こったこととのギャップに、
衝撃を覚えました。
広島で原爆ドームと資料館を案内してくれた友人は、子どもたちが学校で平和教育を
丁寧に受けていることに驚いたし、とても心を動かされたと言っていました。
きっと長崎でもそうでしょう。日本中の学校に広がれば、それが力になるはずです。

核兵器が戦争の抑止力になるなど幻想に過ぎないことを、ウクライナに侵攻したロシアが
はっきりと示しました。
「抑止力」は武器にあるのではなく、私たちひとりひとりの心にあるのです。

鎮魂と祈りの日。ひとりの声は小さいかもしれないけれど、いくつも集まれば、
世界を動かせると信じて、平和のバトンを未来へとつないでいきたいです。

七夕の夜の祈り2023年07月07日 23:47

今夜は七夕。名古屋の空は曇っていますが、雲の上はいつも晴れているはずです☆
こちらは、去年の秋、ニュージーランドにいただちから届いたポストカード。
テカポ湖の「よき羊階の教会」を背景にした銀河、天の川の写真です。
ずっとデスクに飾っています。
世界でも星空が美しいと言われるテカポ湖。氷河が溶けた水のミルキーブルーも美しく、
大学の卒業旅行に一度、数年前に母ともう一度訪れました。
二度目は天文台にも行ったのですが、本当に降るような星空でした。
(学生の時はこの小さな教会しかなかったのに、街ができていて、びっくりしました!)
NZからのポストカード
                           Photo Copyright © 2014 Sebastian Warneke

七夕の夜、星たちに祈ります。世界中が平和になりますように。
戦地や被災地で苦しんでいる人々の心が、少しでもおやかでありますように。

『エンジェルス・イン・アメリカ』2023年05月26日 21:25


エンジェルス・イン・アメリカ

1993年8月、ニューヨークの友人宅に2週間滞在し、
ブロードウェイにオフ・ブロードウェイと、演劇三昧しました。
(ちょうどその月『星たちの祈り』が出版されたので、印税を全部はたいて。)
その年のトニー賞に輝いた『蜘蛛女のキス』と『エンジェルス・イン・アメリカ』も、
友人が頑張ってゲットしておいてくれました。
「エンジェルス・イン・アメリカ」は、当時、Part1のMillennium Approachesが
上演されていました。

現在、新国立劇場で日本版『エンジェルス・イン・アメリカ』の公演が行われていますが、
「ミレニアム迫る」と「ペレストロイカ」の2部合わせて8時間。
明後日、28日までで、来月には愛知県と滋賀県で上演されるそうです。
(早く知っていて、もっと体力があったら、行きたかったなぁ。)

ニューヨークで観た舞台は本当にどれも素晴らしかったのですが、
『エンジェルス・イン・アメリカ』にも強く心を揺さぶられました。
エイズが猛威をふるい、恐れられた80年代のニューヨークが舞台で、
ゲイの人たちへの迫害や人種や宗教による差別、薬物依存問題などが描かれています。
天使が降臨するシーンはいまも脳裏に焼きついています。
エイズ患者であるゲイの若者の寝室に現れるのですが、照明も素晴らしく
本当に天使が舞い降りてくるようで、美しかったです。
プレイビル(劇場で無料で配っているプログラム)は、何度も引っ越ししたせいか
なくしてしまって残念でした。
上の画像は、英語が聴き取れなかった部分を知りたくて、帰国してから
のちに見つけたシナリオです。脚本はトニー・クシュナー。

数年後、タイトルにあったミレニアム、2000年が訪れ、
今ではエイズも死の病ではなく薬や治療法もありますが、1993年当時、
コロナ禍が未来の世界を襲うとは想像もできませんでした。
そして、LGBTQ+への偏見は、現在、世界的に少しずつ市民権を得始めているといっても
依然根強く、日本ではまだ市民権を得ているとはとてもいえない状況です。
そのほかの差別は、かえってひどくなっているのではないかとさえ思えます。
その意味でも、『エンジェルス・イン・アメリカ』は、いまなお色褪せない輝きを
放っているのではないでしょうか。

ところで、『ママはシングル』にはゲイの男性が登場しますが、
〈サラファーンの星〉にもLGBTQ+の登場人物が何人かでてきます。
みんな脇役ですが、それとわかるようには書いていないので、
よほど勘の鋭い人でない限り、わからないと思います。
どんな物語でも、わたしはほんと好き放題というか、自分が興味をいだけるキャラクター
しか描いてこなかったので、彼ら彼女らもみんな好きで、ブログに書きたいと思いながら、
まだ果たせていませんが、いつか紹介しますね。

由奈さんとユナと広島サミット2023年05月21日 22:00

G7広島サミットが閉幕しました。
サミットの重要課題のひとつが、「核軍縮・不拡散」。
核兵器の脅威がかつてなく高まっているいま、その会議が被爆地広島で行われ、
各国のトップやEU大統領たちが原爆資料館を訪れたことは、
とても意味のあることだと思います。

訪問が40分だったことは、被爆された方やご家族にとって、
明らかに少なすぎる時間に違いありません。それでも、実際になにがあったかを
見てもらえたことは、大きいのではないでしょうか。
以前、わたしも資料館を訪れましたが、原爆が落とされた時間で止まった時計や、
幼い子が乗っていた三輪車、ぼろぼろになった服などを実際に目にした体験は、
それまで情報として得たこととは、まったく違いました。

今夜、ゼレンスキー大統領の演説を聞きましたが、「人影の石」に二度ふれたことが
とても印象的でした。
「人影の石」は、資料館の中でも最も衝撃的な展示物のひとつです。
銀行の前の石段で、そのとき座っていた人が、黒い影だけになって残った負の遺産。
ゼレンスキー大統領も、強烈なインパクトを受けたことがうかがえました。
ウクライナの街が、たったひとつの影のある石を残して消え去るかもしれなかった、
あるいはそうなるかもしれない脅威。
そして、今後、世界が、そうなるかもしれない脅威……。

中日新聞の連載で、「祈り」をテーマにした広島サミット特集を読みましたが、
その初日が、広島大学の一年生、岡島由奈さんのお話でした。
由奈さんは、ひいお祖父様を被爆で亡くされています。そのため、原爆は
「怖くて、見たくないもの」でしたが、被爆者である高見藤枝さんの体験を聞いて、
考えが変わり、広島サミットを核なき世界へ前進させる機会として成功させたいと、
インターネットで署名を集めてきたそうです。
被爆者からバトンを受け継ぎ、核なき世界を目指す動きを、次世代につないでゆくのが
役目だと語っています。

「ゆうな」さんとお読みするようですが、漢字が「ゆな」と読めることから
なんだか(勝手に)親しみを覚えました。ユリディケのヒロインはユナ。
(追記:今夜22日テレビで「ゆな」さんと紹介してました。ごめんなさい&嬉しいです。)
最初の原稿を書いた時、20代だったわたしは、物語に平和な美しい世界への祈りを
込めました。その2つの柱が、核なき世界と地球温暖化を止めることでした。
時は流れ、世界はいま、その願いとはまったく逆の方向へ向かっています。
すごく虚しさを感じるときがあります。

由奈さんも、自分の活動に意味があるのだろうかと迷いが生じることがあるといいます。
周りの同世代に話をしても、多くは関心が高くないと感じるそうです。
それでも、後悔がないよう行動したいという由奈さん。
被爆者から直接話を聞ける最後の世代だという危機感を抱き、先頭に立っていこうと
考えているそうです。ぜひ応援したいです。
若い人が頑張っているのだから、わたしも頑張らなくちゃ。

ゼレンスキー大統領は、スピーチのなかでいっていました。
人は戦争はなくならないというけれど、
ロシアが戦争をしかけた最後の国となりますように、と。

人は戦争をするものだ、というのは、戦争をしたがる人の言い訳だと思います。
核兵器を持つことが戦争を抑止する、ということも、幻想だと感じます。

どんなことも、思い描くことから始まります。
核兵器を生み出すこともそうでした。誰かが思い描いたから、実現した。
だとしたら、平和な世界を強く思い描けば、実現できるはずです。
G7広島サミットが、その第一歩であったと、後に振り返ることができますように。
そう願ってやみません。

自閉症と青い花2023年04月06日 20:27

毎年4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デー。
日本では、自閉症だけでなくすべての発達障害を含めて、2日から8日までを
発達障害啓発週間としています。
自閉症のシンボルカラーはブルー。「癒やし」や「希望」を表すそうで、
名古屋のテレビ塔はきれいな青にライトアップされています。

こちらは、少し前に、お花屋さんで買ったデルフィニウム。
自閉症のシンボルカラーのブルーに合わせて写真をアップします。
本当に癒やされる青。大好きな花のひとつです。

デルフィニウム

自閉症って本当にわかりにくい障害で、昔、映画館で『レインマン』をみて
初めて知りました。
ダスティン・ホフマンが自閉症の青年レイモンドを演じ、トム・クルーズがその弟。
レイモンドは施設に入っているのですが、別れ別れに育った弟は、
兄の障害をまったく理解しないまま、ある事情があって、黙って連れ出してしまいます。
レイモンドは重度の自閉症。
こだわりが強く、融通はきかず、コミュニケーションもとれません。
大通りで横断歩道を渡っていて(青信号が歩くマークだからわかる)、
赤になって歩行禁止のマークが出ると、道の真ん中で止まってしまったり、
パンケーキを食べるときには最初にメープルシロップが出てこないと
食べることができなかったり、下着も決まった商品でないと絶対に身につけません。
自閉症の人は、音や触覚に過敏なところがあり、生地によってはちくちくして痛いとか
あるそうで(わたしも、洋服の襟元のタグがちくちくして、取ることがよくあるので
あんな感じかな、と想像します。)
レイモンドは、そうした特徴をよく表していると思いますが、わたしが
そうしたことを本当に理解したのは、そのずっとあと。
自分の姪と甥が自閉症だとわかってからです。
(「レインマン」をみた時は、まさか将来自分の身内に、同じ障害をもつ子が
生まれるなんて、想像もしませんでした。)

身内や身近に自閉症の子がいない人たちが、いかに自閉症をわかりにくいか、
(あるいは、発達障害全般をわかりづらいか)本当によくわかります。
自閉症の人は、見かけは普通の人と変わらないですし。

姪が生まれた時も、ごく普通の赤ちゃんに見えました。
成長も、最初はごく普通の子に見えました。
妹たちは神奈川県にいたので、めったに会えず、やがて妹が我が子が他の子と違うと
悩み始めたのも、知りませんでした。
なかなかオムツがとれなかったり、夜中に起きてはベビーベッドの上でひとりで歌ったり
家中の靴やスリッパを床に並べたり、言葉が遅く、話せるようになってもオウム返し
だったり、先生やほかの子どもたちとコミュニケーションがとれず、
幼稚園をクビになったり(おたくのお子さんはうちでは預かれません、と)。

久しぶりに姪と会ったとき、さすがにこれはおかしいと思って、妹に話しを聞き
妹が悩んでいるのを知りました。
お姑さんに、あなたの育て方が悪いと言われていることも。

心理学に詳しい友だちに、姪の様子を相談したら、
「それは、ものすごくわがままか、障害があるかどちらかよ」と言われました。
そして、障害児の教育の専門家を紹介してくれました。
その方は京都の先生で、妹夫婦と私とで、3歳になった姪を連れて訪ねて行きました。
そうして、先生に言われた言葉は、「◯◯ちゃんには障害があります」でした。
それを言われた瞬間、妹夫婦と一緒に泣きました。
「親が死んだあとのことを思うと…」と妹の夫が声をつまらせました。
先生は優しくおっしゃいました。
「泣いて下さい。どうぞ思い切り泣いて下さい。今はそれが必要ですから」
それは、ずっと悩んでいたわたしたちが、初めて感情を表に出せた場でした。
いまも、そのときのことを鮮明に思い出します。

そのころ、妹のお腹には次の子がいて、実家の岐阜に帰省していました。
それから、私も一緒に障害について勉強しまくり、京都の先生に紹介していただいた
岐阜大学の先生を訪ねたり、自閉症に関するあらゆる講演会に行きまくりました。
姪のことで駆け回るうちに、生まれてきた甥も、やがて同じ障害があるとわかります。

自閉症は、脳の機能障害で、自分の殻に閉じこもっているわけでも、
親の育て方が悪いわけでもありません。
脳の機能の一部が正常に働かず、他の人の気持ちを察することができなくて、
それゆえ、コミュニケーションが苦手だったり、言葉がうまく話せなかったり、
排泄の感覚がわかりにくくて、オムツがなかなか(あるいはまったく)
とれなかったり、こだわりが強く、予定外のことが起こると対応できず、
パニックを起こしたりします。

けれども、その特性を知って、接すれば、少しずつ学んでいったり、
コミュニケーションも取れるようになっていきます。
もちろん、難しいこともたくさんありますが、
好きなことには驚くほどの集中力を発揮したり、
中には、芸術的なセンスが優れている人もいます。
カメラアイといって、見たものを記憶する力が優れていることもあります。
姪や甥も(言葉をうまく話せないからそれを伝えることはできませんが)、
一度会った人は覚えていたりします。
なんでもすぐ忘れちゃうわたしより、ある意味、ずっと記憶力がよいです。

自閉症をはじめ、発達障害を抱える人が、少しでも理解されて、
生きやすい世界になるといいなと心から願っています。
社会的に弱い立場いいる人たちが生きやすい世界、寛容で温かい世界は、
きっと、誰にとっても生きやすい世界に違いありません。