ある時はさすらいの王 ある時は運転手2019年04月25日 18:28


躍る子馬亭のモデルといわれるパブphoto by fumiko

映画『ロード・オブ・ザ・リング』でアラゴルンを演じたヴィゴ・モーテンセン。
王の血を引くさすらい人、ストライダーがぴったりで、フロドたちと初めて会う
躍る小馬亭のシーンに、ぞくぞくした方も多いのではないでしょうか。

原作者トールキンは、アラゴルンというキャラクターは、あのシーンから浮かんだと
述懐しているそうですがなるほど、とうなずける名場面です。
(写真はオックスフォードを訪れた際の一枚。トールキンが仲間と訪れていたパブの一軒で
ピンクの看板が可愛いホワイトホース。躍る子馬亭のモデルともいわれています。)

そのヴィゴが、運転手兼用心棒を演じた作品『グリーンブック』は
まだ人種差別が激しかった1962年のアメリカを舞台に
天才的な黒人ピアニストが、イタリア人の運転手をやとい、
偏見の激しい南部に公演ツアーに出るという、実話に基づいた映画です。

アカデミー賞三部門に輝いた作品ですが、だからというのではなく、
作品の主題や、音楽を扱った映画だということと、あの王様を演じていたヴィゴが
粗野な運転手を演じるということで、封切りして間もなく観てきました。
(骨折する前に行っておいてよかった!)

映画が始まってすぐ引き込まれました。
ピアニストのドクター・シャーリーは、カーネギーホールの上に住んでいるのです!
優美な家具調度やエキゾチックな品々に囲まれて、アフリカの民族衣装に身を包んだ
姿の、なんと神々しいことか。
ニューヨークで高い名声を得ているシャーリーは、敢えて黒人への偏見の強い
南部への演奏旅行を計画。
用心棒も兼ねたその運転手が、ヴィゴ演じるトニーというわけです。

最初は黒人に対して偏見のあるトニーが、シャーリーの演奏を聴いて心を奪われ
その人間性にも惹かれていく過程が、丁寧に描かれていくのですが、
シャーリーの、どんなに人からさげすまれようと、凜として威厳をたもっている姿には
トニー同様、観ているわたしも、胸を打たれずにはいられませんでした。

旅に出る前に奥さんから「手紙を書いてね」といわれたトニーが
ドクター・シャーリーに手紙の文章を考えてもらうシーンがなんとも可愛い。
トニーの息子さん(この映画のプロデューサー、脚本家)が父親から聞いた話を
映画にしたそうで、このラブレターはいまも残っているとのことです。

クラシックの資質も豊かなのに、黒人に期待される音楽をずっと演奏している
ドクター・シャーリー。
ショパンだって、自分にしか弾けないものがある、という彼が、
映画のなかでたった一度、ショパンの「木枯らしのエチュード」を弾くシーンには
本当に心を揺さぶられました。
激しい感情をぶつけるように弾き始め、やがては、純粋に音楽を愛する気持ちで
いっぱいになるシャーリー。
映画史に残る名場面だと思います。

ヴィゴとシャーリー役のマハーシャラ・アリのケミストリーも素晴らしい。
現実の差別を描き切れていない、という批判もあるようですが、
観ていれば、実際の差別は、もっとひどかったんだな、とか、描かれていないことが
いっぱいあるな、というのは、充分感じることができます。
節度のある描き方が、かえって想像の余地があって、好感が持てました。

ところで、PRプロモーションにかかわっていた友人は、ヴィゴ・モーテンセンが
「オーシャン・オブ・ファイヤー」の宣伝で来日したとき、ずっとついて回ったそうです。
ヴィゴはおだやかでとても素敵な人だったとのことです。(なんとうらやましい!)

彼女によると、来日プロモーションのあいだ、息子さんがずっと一緒で、
仕事が終わったら、二人で北海道に旅に出て、温泉などめぐると話していたそうです。
このときの来日は、マネージャーも連れずに、息子さんとふたりでふらりと来たんじゃ
なかったかな、とのこと。(昔の記憶だから、さだかではないそうです。)

ヴィゴの息子さんと言えば!
アラゴルン役のオファーの電話がかかってきたとき、トールキンの本を読んだことのない
彼が、指輪物語って?みたいにいったときに、そばで電話を聞いていた息子さんが、
「絶対引き受けて!」と言ったので、役を受けた、というエピソードが残っている
あの息子さん。

彼のひと言がなければ、あのアラゴルンは存在しなかったのです。
なんて素晴らしい息子さんでしょう! とっても日本が好きだそうで、
「オーシャン〜」の前にもヴィゴと来て、北海道など一緒に旅をしたようです。

グリーンブックの公式サイトはこちら → Green Book

グリーンブックとは黒人専用のホテルやレストランを載せたガイドブックのこと。
要するに、そこしか入れない、ということです。
アパルトヘイトもそうですが、ついこのあいだまでそんな時代があったのですね……。
そのことを忘れずに、もっともっと平らかな世界を築いていきたいです。

トールキンの伝記映画 この夏日本公開2019年04月14日 14:27


霧のオックスフォード by Fumiko

トールキンの伝記映画が来月全米公開されます。
日本でも、この夏の公開が決まったようで、うれしいです。

孤児となった少年時代、学生時代の仲間たちとの強い絆、生涯の恋人との出逢い、
第一次世界大戦での壮絶な体験など、『ホビット』や『指輪物語』の誕生につながる
若き日々を描いた作品です。

↓こちらをクリックすると公式サイトのトレイラーがご覧いただけます。


冒頭、トールキンと恋人(のちの妻)を演じるニコラス・ホルトとリリー・コリンズの
挨拶が入っています。
(記事に直接埋め込みたかったのですが、うまくできずにごめんなさい。)

写真は、去年オックスフォードを訪れたときのもの。
毎朝、こんなふうに霧がかかって、とても幻想的でした。
ボードリアン図書館で行われていたトールキンの回顧展に行ったのですが、
原稿や原画(トールキンの絵は本当に雰囲気があって素敵です)のほか、
愛用のデスクやパイプ、幼いころ異国にいる父親に送った手紙、
オックスフォードの同期生の集合写真(53名中24名が戦死)、
友だちが戦場でトールキンへ送った手紙なども展示されていて、胸がつまりました。

『かぞくいろ』 〜 喪失と再生の物語2018年12月13日 13:40


かぞくいろ
映画『かぞくいろ』を観ました。

突然夫を失い、彼の連れ子とふたりで残された女性が、その男の子とともに絶縁状態だった夫の父を訪ねるところから、物語は始まります。

愛する人の喪失という痛みを共有する三人は、一緒に暮らし始めますが、それは、お互いをそっと気遣う、一歩引いたやさしさの上に成り立ち、最初から、どこか危うさを秘めています。

やがて、血のつながらない家族は、ある出来事をきっかけに……。


映画は、一両だけの肥薩オレンジ鉄道が走る美しい海沿いの光景を背景に、もろかったその絆が、静かに再生へと向かう過程を丁寧に描いてゆき、彼らに幸あれと祈らずにはいられませんでした。

物語にそっとよりそう音楽も、観る者の心に染みます。

 

〈サラファーンの星〉にも、血のつながらない家族が登場します。

主人公のひとりハーシュは、幼いころ父を失い、母の再婚にともなって、サンザシ館にやってきた少年。新しい父ダンと、義兄のジョサとようやく打ち解けかけたころ、母が事故で亡くなり、三人の関係はぎくしゃくしてしまいます。

ダンは、血のつながりはさして重要ではなく、愛こそがすべてだとの強い信念を持っており、ハーシュと気持ちを通わせようとしますが、彼の心は星よりも遠く思われます。

一方のハーシュは、村の少年に父を侮辱されて暴力事件を起こしますが、理由をいえるはずもありません。また、ふたりのあいだに立つジョサにも、胸に秘めた思いがあり、わたしは、そんな家族の行く末を、やはり、祈るような思いで書いていました。

 

家族とは、家庭とは、血のつながりがあるなしにかかわらず、心がいつでも戻れるところではないでしょうか。そんなふうに感じます。


子どもだったわたしが、世界で一番好きだったのは、母方の祖母でした。無償の愛でわたしを包んでくれた祖母は、安心して羽を休めることのできる、たったひとつの心の港でした。

その祖母が、血がつながっていないと知ったのは、七歳のときです。

祖母は祖父の三番目の妻なのだと母が話してくれたのです。そして、祖父母は母の養父母で、本当は叔父夫婦にあたるのだと。

その話を聞いたときのことは、いまでもはっきりと覚えています。

小さなわたしは、こう思いました。

 

大好きなおばあちゃまとわたしには、血のつながりはないんだ。

普通なら、ここでショックを受けるのかもしれない。でも、全然ショックじゃないな。

血は関係ないんだ。大切なのは血のつながりではないんだ、と。

 

幼い子どもにとって、それは、人生で最初の悟りでした。

わたしは、大人びた子どもではありませんでした。全く逆で、なにをするのも遅く、いつまでも子どもっぽかったと思います。でも、そのときは、強烈に心を揺さぶられたのです。

 

二年後、祖母は亡くなり、最愛の人を失った世界は、色彩を失ったようでした。

祖父もあとを追うように亡くなりました。

けれども、祖母の連れ子である叔父は、いまも元気で、時々一緒に食事をします。大切な家族です。

祖母は百合の花が好きでした。祖父がよく大きな花束を贈り、祖母が居間に飾っていたのを思い出します。今日は祖母の命日。百合の花束を手に、墓地を訪れました。

 

『かぞくいろ』を一緒に観た友人は、小学生の男の子のいる男性と結婚し、その男の子を愛情たっぷりに育てました。いまや立派な青年となった彼は、映画の駿也くんのように、彼女を名前で「ゆかちゃん」と呼んでいたものです。

それもいいな、と思いました。家族の形や呼びかたにこだわることはないのですから。

ボヘミアン・ラプソディ2018年11月24日 11:47

『ボヘミアン・ラプソディ』を観ました。心がふるえました。

でも、この映画のお話をする前に、少し創作と音楽のお話を……。


音楽は、わたしの物語にとって、とても大切な要素です。特に〈サラファーンの星〉四部作では、影の主役ともいえるほどで、作品全体に大きく関わってきます。


主人公のひとりが音楽家の少年であることも、ごく初期の段階から決まっていました。

その少年ジョサが奏でるのはフレシートという鍵盤楽器。グランドピアノとチェンバロをイメージして描きました。

天賦の才に恵まれたジョサのイメージはモーツァルトやショパンに近いです。

また、少女たちが、ジョサの演奏を聴いて、騒いだり憧れたりするのは(そうしたシーンはほとんど出できませんが)、現代だったら、もしかして、ロックスターのような立場が近いのかな、と思ったりします。


音楽は、わたしの人生にとっても、なくてはならないもの。

子どものころは、ピアノを習っていました。いまでも一番好きな楽器はピアノです。その澄んだ音色は、星降るような空の下、その星々を映す湖を思わせて、心がどこまでも広がりそうな気がします。


時間が自由になった学生時代から二十代のころは、クラシックからロックまで、コンサートによく足を運びました。

1979年に行ったクイーンの武道館公演は、とりわけ印象に残っています。


わたしは大学生で、体育会の洋弓部に所属し、コンサートの日も、広い大学の敷地のまむし谷という谷を上がった、小高い丘にある射場で練習していました。

コンサートには同じクラブの同期生と行くことにしていましたが、ふたりとも気もそぞろ。頭にあるのは、間に合うだろうか? ということだけ。

体育会は厳しく、早退するわけにいきません。コンサートに行くから帰りますなんていおうものなら、学年全部で正座かランニングさせられること間違いなし。

そんなわけで、練習が終わるやいなや、友だちと丘を駆け下り、クラブハウスで目にもとまらぬ早業で着替え、まむし谷から長い石段を駆け上がり、駅への道をひた走り、電車を乗り継いで会場に駆けつけました。


武道館に飛び込むなり、聞こえてきたのは「バイシクル・レース」! そのころMTVで何度も流れていた曲です。

もう数曲目だったようですが、それでもまだたっぷり時間は残っていて、本当にうれしかったです。

やがて、グランドピアノの前に座ったフレディだけが、青いライトで浮かび上がり、澄んだピアノの音が流れて、「ボヘミアン・ラプソディ」が流れました。

美しい歌声、切ない旋律……。言葉ではいえないほど、心がふるえ、魂が揺さぶられました。


映画『ボヘミアン・ラプソディ』にも、本当に魂を揺さぶられました。

バンド誕生からライブエイドまで、フレディを中心に、若いメンバーの心情も丁寧に描かれ、青春映画としても秀逸で、俳優たちも素晴らしく(みんな似ていたのですが、特にブライアン・メイはブライアンその人にしか見えない!)最後のウェンブリーでのステージは圧巻としかいいようがありません。

まさに目の前で、クイーンの演奏を聴いているようでした。

大スターであったフレディの孤独も、切々と胸にせまってくる作品でした。唯一無二。稀代のロックスター。あんな存在はもう現れないだろうなぁとしみじみ思います。


映画はもちろん、遅刻しないで冒頭から観ることができました。

これから行かれる方は、20世紀フォックスのオープニングロゴタイトルもお見逃し(お聞き逃し)なく。

鳴り響くおなじみのファンファーレは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーによるクイーンヴァージョンです!