ボヘミアン・ラプソディ ― 2018年11月24日 11:47
でも、この映画のお話をする前に、少し創作と音楽のお話を……。
音楽は、わたしの物語にとって、とても大切な要素です。特に〈サラファーンの星〉四部作では、影の主役ともいえるほどで、作品全体に大きく関わってきます。
主人公のひとりが音楽家の少年であることも、ごく初期の段階から決まっていました。
その少年ジョサが奏でるのはフレシートという鍵盤楽器。グランドピアノとチェンバロをイメージして描きました。
天賦の才に恵まれたジョサのイメージはモーツァルトやショパンに近いです。
また、少女たちが、ジョサの演奏を聴いて、騒いだり憧れたりするのは(そうしたシーンはほとんど出できませんが)、現代だったら、もしかして、ロックスターのような立場が近いのかな、と思ったりします。
音楽は、わたしの人生にとっても、なくてはならないもの。
子どものころは、ピアノを習っていました。いまでも一番好きな楽器はピアノです。その澄んだ音色は、星降るような空の下、その星々を映す湖を思わせて、心がどこまでも広がりそうな気がします。
時間が自由になった学生時代から二十代のころは、クラシックからロックまで、コンサートによく足を運びました。
1979年に行ったクイーンの武道館公演は、とりわけ印象に残っています。
わたしは大学生で、体育会の洋弓部に所属し、コンサートの日も、広い大学の敷地のまむし谷という谷を上がった、小高い丘にある射場で練習していました。
コンサートには同じクラブの同期生と行くことにしていましたが、ふたりとも気もそぞろ。頭にあるのは、間に合うだろうか? ということだけ。
体育会は厳しく、早退するわけにいきません。コンサートに行くから帰りますなんていおうものなら、学年全部で正座かランニングさせられること間違いなし。
そんなわけで、練習が終わるやいなや、友だちと丘を駆け下り、クラブハウスで目にもとまらぬ早業で着替え、まむし谷から長い石段を駆け上がり、駅への道をひた走り、電車を乗り継いで会場に駆けつけました。
武道館に飛び込むなり、聞こえてきたのは「バイシクル・レース」! そのころMTVで何度も流れていた曲です。
もう数曲目だったようですが、それでもまだたっぷり時間は残っていて、本当にうれしかったです。
やがて、グランドピアノの前に座ったフレディだけが、青いライトで浮かび上がり、澄んだピアノの音が流れて、「ボヘミアン・ラプソディ」が流れました。
美しい歌声、切ない旋律……。言葉ではいえないほど、心がふるえ、魂が揺さぶられました。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』にも、本当に魂を揺さぶられました。
バンド誕生からライブエイドまで、フレディを中心に、若いメンバーの心情も丁寧に描かれ、青春映画としても秀逸で、俳優たちも素晴らしく(みんな似ていたのですが、特にブライアン・メイはブライアンその人にしか見えない!)最後のウェンブリーでのステージは圧巻としかいいようがありません。
まさに目の前で、クイーンの演奏を聴いているようでした。
大スターであったフレディの孤独も、切々と胸にせまってくる作品でした。唯一無二。稀代のロックスター。あんな存在はもう現れないだろうなぁとしみじみ思います。
映画はもちろん、遅刻しないで冒頭から観ることができました。
これから行かれる方は、20世紀フォックスのオープニングロゴタイトルもお見逃し(お聞き逃し)なく。
鳴り響くおなじみのファンファーレは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーによるクイーンヴァージョンです!
コメント
_ grendel's mum ― 2018年12月06日 04:38
_ fumiko ― 2018年12月07日 09:58
フレディの命日にイギリスでって、すごくうらやましいです。
日本でも最近はエンドロールの途中で帰る人増えてきましたが、
やはりこの作品はみなさん、最後まで残っていました。
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