松本のゴジラと花を愛した伯父 ― 2026年03月15日 15:24
伯父が亡くなり、松本に告別式に行きました。
残っていた母の2人の兄のうちの上の兄で、年末に誤嚥性肺炎になり、
持ち直していたものの、容態が急変したと従妹から聞きました。
伯父は教育者の父親のもと、鳥取で育ちましたが、農業が好きで、信州の林檎とスイカの
農家に婿入し、数年前まで元気で畑仕事をしていました。
本が大好きで、入院してからも、従姉が新刊本をみつくろって持っていくと、
とても喜んでいたそうです。
子どものころ、父が運転して家族で遊びに行き、暖かな歓待を受けたのを今も覚えています。
帰りは美味しいとうもろこしやスイカ、野菜をいっぱいいただいて帰りました。
やがて、林檎園は伯母の妹さんが継ぎ、伯父夫婦はスイカ農園を継ぎました。(私の物語に
林檎園が登場するのは、そんな思い出があるからかもしれません。)
伯母はずい分前に交通事故で亡くなり、従妹が頑張って伯父を手伝っていました。
物静かでにこにこしていて、とっても優しい伯父で、コロナ禍の直前(すでにダイヤモンド
プリンセスでコロナは上陸していましたが、まだ自由に日本中行き来ができた2020年の
2月)岐阜の伯父夫婦と母と4人で訪ねたのが、伯父に会った最後になりました。
松本駅に降り立ったら、大きなゴジラがいてびっくりしました。
「ゴジラ−1.0」は、二年前に亡くなった先輩がかかわっていた映画です。
松本は山崎監督の出身地ということで、地元の有志のみなさんが段ボールで作ったと
説明がありました。
なんの理由もないけれど、先輩が、伯父さんは大丈夫だよと見守ってくれた気がして
しんみりしていた心が、ちょっとなごみました。
かなりの迫力でした。
伯父は黙ってにこにこしている印象が強く、口数も少なかったのですが、岐阜の伯父が
親類を岐阜に招いてみんなで旅行をしたときに、岐阜公園だったかどこかのベンチで
伯父と並んで話をしたことがあります。
いつも親戚がまわりにたくさんいるから、伯父と二人きりで話したのは、おそらく
あのときが最初で最後です。
そのとき、こんなことを話してくれました。
鳥取から信州に行った時、春になったら一斉に花が咲いて、その花の色が本当に鮮やかで
とても感動をした、と。信州は寒暖の差が大きいから、色鮮やかな花が育つそうですが、
そのときの感動はずっと忘れないと言っていました。
あの伯父との会話は、私の宝物です。
伯父には息子一人と娘三人あります。告別式のあとで従姉妹に聞いたのですが、
亡くなる二日前、一番下の(同居している)従妹のマスクをとって、ほおを何度もなでた
そうです。それで、その上の従姉も、ほおをなでてもらったと言っていました。
その夜、意識が亡くなり、翌日息を引き取りました。ほおをなでたのは、お別れの
挨拶だったんだね、とみんなで話したそうです。
足の悪い母と、体調がなかなか戻らない私と、二人で一人前になるかならないかの旅で
したが、岐阜の従兄の助けもあって(同じ特急しなので行きました)なんとか日帰りでき
ました。伯父にお別れが言えたこと、従姉妹の顔が見れたことなど、本当によかったです。
でも、ずっと一緒だった従妹がひとりになってどんなに寂しいかと思います。
伯父さん、見守っていてくださいね。(もちろん、そうしていると思うけれど!)
この紅梅は、会社時代の先輩が庭で撮った写真です。
寒空を背景に、素朴でありながら凛として咲く姿は、花を愛した伯父に似合う気がします。
©️S.N
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