雪の朝 ― 2018年12月29日 15:11

今朝目を覚ますと、一面の銀世界でした。
雪の降る日に生まれたからか、雪はとても好きです。(寒いのは苦手なんですけど。)
しんしんと降る雪を見ていると、時がたつのを忘れてしまいます。
夜の雪も好きです。暗い空から雪がはらはらと舞い落ちる雪を見ていると、自分という存在が消えて、世界とひとつになるような気がしてきます。
信州生まれの友人も、夜の雪を見つめているのが好きだといっていましたっけ……。
幼いころに住んでいた家は、東西と北側を田んぼに囲まれた一軒家で、縁側のある南側には空き地が広がっていました。
吹雪の日には、その広い土地が横殴りに降る雪で真っ白になり、恐ろしさと美しさと両方で、時を忘れて見入ってしまうのでした。
サラファーンの星には、全編、雪のシーンが登場しますが、冒頭、地吹雪が舞う大平原を、リーヴ一家が馬車でリーヴェインへ向かうシーンは、そんな思い出が重なっています。
雪の降る夜も好きですが、雪のやんだあと、庭一面の雪に月光が降りそそぎ、神秘的な紫色に染まるのもとても好きです。
第一部『星の羅針盤』では、リーヴとウィルナーが戦場の父に思いを馳せるシーンに、月光に輝く雪の庭を登場させました。
物語の中で、雪は、人の命を奪ってしまう悲しい宿命も帯びていますが、それ以上に、心をやさしく包むシーンや、少し切ないシーンにひんぱんに登場します。
サラファーンの星の中では、星やローレアの花などと並んで、大切な要素です。
たとえば、かつてフォーディルの村から姿を消した幼子トゥーリーに関して、雪がやさしい役割を果たす場面がいくつかあります。
彼が必ず自分のもとに戻ってくると信じている母、ヨハンデリ夫人が、降りしきる雪を見あげて、それがどこかにいる息子からの言伝のように感じるところや、彼女と同じようにトゥーリーが生きていると信じるリーヴが、降りしきる雪の中で、彼が母親のもとに戻るよう一心に祈りを捧げる場面などです。
そんなふうに、誰かが、小さなトゥーリーを思うシーンは、わたし自身、祈るような思いで描いていました。
やはり、ヨハンデリ夫人には、いつかトゥーリーを抱きしめてほしいと心から願いながら。
(写真は、今日と同じような雪の朝、亡き愛犬サリーと実家の庭で遊んだときのものです。雪の日には、よくこのときのことを思い出します。)
子どものころの空想遊び ― 2018年12月29日 14:31
仙台の大学の図書館に勤めている友人、智ちゃんが、サラファーンの星の公式サイトを見て、感想を送ってくれました。
彼女は、物語の国や人物の設定、わたしのイラストを見て、子どものころ、自分でいろいろな訳や状況を設定して、夢中になって遊んだことを思い出したそうです。
「想像して物事を決めたりすることは本当に豊かで楽しいことですね。そういった経験が、大人になっても生かされていて、物語を創る作業につながっていくということなのかなぁ、という気がしてならなりませんでした」
そんな智ちゃんの言葉に、ずっと忘れていた子どものころの思い出がよみがえってきました。
そう。そういえば、わたしも、そんな子どもでした。
ぼうっと景色を見ていることがとても多かったけれど、心の中でろんな想像をして、ここはどこそれの国、と、違う国に住んで、その中でいろんな人たちが活躍するさまを思い描いて遊んでいたことも、たびたびあったのでした。
それが、いまも続いているということですね(*^_^*)
これまでは、物語を書き始めたのは中学1年のころだとばかり思っていて、そんな幼い日のことは覚えていなかったので、子ども時代の自分に会えた気がして、なつかしかったです。
智ちゃん、ありがとうございます☆
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