亡くなった人は生きているときよりずっと近くにいる〜『盗賊と星の雫』より ― 2020年05月06日 00:08
『心の痛みを受けとめること』〜かっこちゃんの思い ― 2020年05月12日 22:57
五月の初め、短い文章の原稿の依頼をいただきました。「新型コロナウィルスの差別
について」という題でということでした。
私はなかなか書けなかったのです。それはずっと悩んでいたというか、考えていた
ことがあったからです。
私が教員になったころは、もう40年も前なので、今とはずいぶん違っていました。
脳性麻痺で体が不自由になられた方が多くおられた学校でした。
子供達の障がいは、感染(うつ)ったりはしないのですが、触ると感染ると
いわれることが問題になっていて、そんな差別はいけないといわれていたのです。
私はそのとき、世の中には感染る病気もたくさんあって、その方は、「感染らないの
だから、差別しないで」という言葉を聞かれて悲しくならないのかなと思いました。
それからしばらくして、エイズという病気が広がりました。中学生の道徳の人権の
授業で「手をつないでも感染りません。だから、教室で差別してはいけない」という
ことが言われていたときに、感染る病気をお持ちの方はどうしたらいいのだろうと
思いました。
南アフリカ共和国にでかけたときに、トーザさんという方が、「昔、皮膚の色は感染
ると言われていわれのない差別を受けました」とおっしゃいました。
私はそんな中で、感染るということについての差別、感染らないからという視点で
いいのかがわかりませんでした。
今年の初めのごろ。まだ武漢に大きな感染が起きた頃。高知へでかけたのです。朝の
テレビでサッポロ雪祭りの映像が映っていました。インタビューを受けておられた方
が「家族で武漢からきました。日本は安全なので」という放送がありました。私は
「怖い」と思ったのです。
そして、ロビーに降りた時に、中国語を話される方がおられました。咳をされたの
です。そのとたん、私は、顔をさっと背け、さーっと後ろにさがってしまいました。
その方を傷つけなかっただろうかと私はその日、何度も思いました。
感染るとか、触っても感染らないとか正しい情報を知ることは大切だけど、一番大切
なのは、エイズのときの授業でもどんなときも、人の悲しみを知ることなのかもしれ
ないなあと思いました。
でも、自分を感染から守りたい。感染をひろげたくないという思いがあるからこそ、
家にいて、人ごみを避けるのだとも思います。
一方、命をかけて私たちを守り続けてくださっている医療関係者のみなさんや、
長距離ドライバーさんやご家族に対して、差別があるということを聞くと、胸がしめ
つけられるように痛くなります。
また、感染することは、誰がなるかわからない。自分だったかもしれません。感染さ
れた方やご家族が差別されると聞くと、やっぱり悲しくて涙がこぼれます。
自分の気持ちがわからずにいて、私はなかなか800字で私の思いを書くことが難し
かったです。
でも、何度も思うのは、感謝の気持ちと、そして、相手の方の心の痛みを思いながら、
悩みながらもこれからもいたいということです。
☆ ☆ ☆
本当にそうですね。
感謝すること。相手の方の心の痛みを思うこと。
わたしも、いつもそうできる人間でありたいです。
かっこちゃんは今、以前出版されたファンタジー『魔女・モナの物語』を朗読しています。
やさしく語りかける声に、心がほんわりします。
(時々、「あ、ごめんね、間違えちゃった」と言ったりするのがまたチャーミング。)
↓↓
モナ森ラヂオ 『魔女・モナの物語』は第28回からです。
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