3月11日の祈り2020年03月11日 16:41


河津桜

あの日から9年が過ぎました。
岐阜の実家から名古屋の妹の家に向かう高速で、横揺れが来たことを思い出します。
強風だと思ったのに、妹の家につくと、「お姉さん、大変なことになっている」と…。
テレビの画面に映し出される津波の映像に、言葉を失いました。

その夜、帰りの高速は、一般の車はほとんど走っていませんでした。
だから、道はとても暗かったです。
その暗いなかを、自衛隊の装甲車が、赤いランプを点滅させながら、次々と東京方面へと
向かっていくのと、何度もすれ違いました。
ずっと鳥肌がたったまま、運転しながら、
「どうかみなさん無事でいて。そして、どうかたくさんの人たちを助けてください」
そう願い、祈ることしか、できませんでした。

二年前、4部作の最後の入稿をおえたあと、初めて被災地を訪れました。
津波の爪痕がくっきりと残る大地。語り部の方の、壮絶な「あの日」の体験。
それを聞いたわたしでさえ、まだ心の整理ができないような、むごい事実……。
天災と人災。ふせげたかもしれない、守れたかもしれない命も、
たくさんあったということ……。

コロナウイルスの脅威が大きくなるなか、迎える、10年目の3月11日。
そのために復興が遅れることなく、日々着実に進みますようにと願っています。

そして、亡くなられた方々の魂が安らかでありますように
いまだ行方のわからない方々が、一日も早く見つかりますように
仮設住宅に住んでいる方々、故郷を離れている方々が、
新しい住まいで暮らせたり、故郷の家に戻れますように
心からお祈り申し上げます。

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