〈サラファーンの星〉公式サイトを公開しました ― 2018年11月07日 13:53
フィギュアスケートの誘惑 ― 2018年11月10日 23:34
長編の執筆中、もともと不器用な私の頭の中は、物語のことでいっぱいになります。
特にサラファーンの星のような、別世界の物語を書いていると、自分もどっぷりその世界に入ってしまい、パソコンの前を離れて食事や外出をしても、常に心の半分はその世界に住んでいる状態になります。
鳥たちが澄んだ歌声を響かせる銀の森を歩いていたり、悠久の都で夜明けの石畳の道を馬で駆けていたり、紫煙の立ちこめる国境の酒場にいたり……。誰かに話しかけられて、はっと、「いま、ここ」という現実にかえることがよくあります。
(家族にとっては、たまったものではありませんね!)
数年前、私生活に区切りがついて、本格的に執筆活動を再開してからは、基本的には年中無休で、姪と甥と過ごす時間の他は、三度の飯より好きだったはずの映画にも行かず、ほとんどすべてを書くことに捧げてきました。(気がついたときには、観たかった映画の公開も終わっている始末。もうすっかり、映画にうとくなってしまって。)
けれども、ひとつだけ、あらがいがたい誘惑がありました。それが、フィギュアスケート。
毎年、秋のシーズンに入ると、そわそわします。とりわけ2014年のソチオリンピックと、今年のピョンチャンオリンピックの際は大変でした。ソチの時には、サラファーンの第1部を書き終え、第2部『石と星の夜』の執筆が佳境に入っていたし、ピョンチャンの時は、シリーズ最終の第4部が大詰めを迎えていて、どちらも葛藤しながら書くはめに…。
(告白その1:ライブで何度か見てしまいました。)
そしてこの週末は、『ユリディケ』の改稿とNHK杯のはざまで大揺れ(^^;)
(告白その2:やはりライブで何度も見てしまっています。)
フィギュアスケートは、音楽とダンスが融合し、短い時間に素敵な物語を感じられる、本当に魅力的な競技。新しいシーズンが始まるたびに、誰がどんな曲でどんな演技をするのかな、とわくわくします。
物語を書いている最中、好きなクラシック曲が心に流れていることがあるのですが、そうした曲が、フィギュアの演技に使われたりすると、なんだか嬉しくなってしまいます♪
登場人物のモデルは? ― 2018年11月19日 21:27
「登場人物にモデルはいますか?」
そんな質問を受けることがあります。
こたえはシンプル。彼らはみな、想像上の人物です。
わたしが物語を書くのは、ストーリーが頭の中で次々と展開し始めてからなのですが、その段階ではすでに、何人もの登場人物が、それぞれ勝手に動いています。
さまざまな人物がどんどん登場して、物語が展開していく、といった方が正しいかもしれません。物語と人物は、密接に結びついていて、切っても切れない関係です。
ほとんどの人物は、初期の段階からユニークな個性があり、それを強くアピールしてきます。
わたしはすっかり彼らに惹きつけられ、どんな性格で、どんな人生を歩んできたのか、これから、どんな人生を歩むのか、興味津々で、彼らの語る言葉にじっと耳を傾けます。
〈サラファーンの星〉では、あまりに多くのキャラクターが浮かんできて、結果的にカットせざるを得ない人物が何人もいました。
実在の人物までモデルにしていたら、収拾がつかなくなっていたでしょう。
そんななか、ひとり、いえ、一匹(一頭)だけ例外が。
リーヴの愛犬チェスターです。
チェスターは、最初フィツィという名前でしたが、スコットランドに住む父の友人を訪ねたとき、彼の愛犬チェスターがあまりに可愛かったので、その名をもらうことにしたのです。
チェスターはゴールデンレトリバーの血を引く大きな犬で、虐待を受けて施設に保護されていたのを、プラットさん夫妻が引き取ったということでした。大きな屋敷で夫妻に可愛がられ、幸せそうにしている姿に、本当によい家庭にもらわれたとしみじみ思ったものです。
また、二度の結婚をして、二度妻を失ったダン伯父さんの人生には、大好きだった祖父の人生と重なるところがあります(母方の祖父は、三度の結婚をして、一度離婚、二度妻を失っています。恋をするときはいつも本気だったそうで、最後の妻であるわたしの祖母のことも、それはそれは愛していました)。どちらも情熱的で、人望があります。
ただ、そのほかの性格や設定はまったく違いますし、祖父の人生はさらに波瀾万丈でした。
現代物の『ママはシングル』では、ママは広告代理店のCMプランナーという設定です。
ママのドジな性格や大失敗のエピソードには、広告代理店で働いていたわたし自身の性格や経験が投影されています。でも、仕事がバリバリできるママの姿は、残念ながら、ただのあこがれです。わたしはまったくの落ちこぼれ社員でしたから。
冒頭の画像は黒のジョーのスケッチです。もう少し髪を長くしたかったのですが、いまひとつビシッと決まりませんでした。公式サイトのイラストは、これに水彩色鉛筆で色づけしたものを、チャーミングで頼れるデザイナー、畠山美奈子さんがCGに起こしてくれたものです。
このジョーを始め、個々のキャラクターについては、それぞれまたゆっくりお話ししますね。
ボヘミアン・ラプソディ ― 2018年11月24日 11:47
でも、この映画のお話をする前に、少し創作と音楽のお話を……。
音楽は、わたしの物語にとって、とても大切な要素です。特に〈サラファーンの星〉四部作では、影の主役ともいえるほどで、作品全体に大きく関わってきます。
主人公のひとりが音楽家の少年であることも、ごく初期の段階から決まっていました。
その少年ジョサが奏でるのはフレシートという鍵盤楽器。グランドピアノとチェンバロをイメージして描きました。
天賦の才に恵まれたジョサのイメージはモーツァルトやショパンに近いです。
また、少女たちが、ジョサの演奏を聴いて、騒いだり憧れたりするのは(そうしたシーンはほとんど出できませんが)、現代だったら、もしかして、ロックスターのような立場が近いのかな、と思ったりします。
音楽は、わたしの人生にとっても、なくてはならないもの。
子どものころは、ピアノを習っていました。いまでも一番好きな楽器はピアノです。その澄んだ音色は、星降るような空の下、その星々を映す湖を思わせて、心がどこまでも広がりそうな気がします。
時間が自由になった学生時代から二十代のころは、クラシックからロックまで、コンサートによく足を運びました。
1979年に行ったクイーンの武道館公演は、とりわけ印象に残っています。
わたしは大学生で、体育会の洋弓部に所属し、コンサートの日も、広い大学の敷地のまむし谷という谷を上がった、小高い丘にある射場で練習していました。
コンサートには同じクラブの同期生と行くことにしていましたが、ふたりとも気もそぞろ。頭にあるのは、間に合うだろうか? ということだけ。
体育会は厳しく、早退するわけにいきません。コンサートに行くから帰りますなんていおうものなら、学年全部で正座かランニングさせられること間違いなし。
そんなわけで、練習が終わるやいなや、友だちと丘を駆け下り、クラブハウスで目にもとまらぬ早業で着替え、まむし谷から長い石段を駆け上がり、駅への道をひた走り、電車を乗り継いで会場に駆けつけました。
武道館に飛び込むなり、聞こえてきたのは「バイシクル・レース」! そのころMTVで何度も流れていた曲です。
もう数曲目だったようですが、それでもまだたっぷり時間は残っていて、本当にうれしかったです。
やがて、グランドピアノの前に座ったフレディだけが、青いライトで浮かび上がり、澄んだピアノの音が流れて、「ボヘミアン・ラプソディ」が流れました。
美しい歌声、切ない旋律……。言葉ではいえないほど、心がふるえ、魂が揺さぶられました。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』にも、本当に魂を揺さぶられました。
バンド誕生からライブエイドまで、フレディを中心に、若いメンバーの心情も丁寧に描かれ、青春映画としても秀逸で、俳優たちも素晴らしく(みんな似ていたのですが、特にブライアン・メイはブライアンその人にしか見えない!)最後のウェンブリーでのステージは圧巻としかいいようがありません。
まさに目の前で、クイーンの演奏を聴いているようでした。
大スターであったフレディの孤独も、切々と胸にせまってくる作品でした。唯一無二。稀代のロックスター。あんな存在はもう現れないだろうなぁとしみじみ思います。
映画はもちろん、遅刻しないで冒頭から観ることができました。
これから行かれる方は、20世紀フォックスのオープニングロゴタイトルもお見逃し(お聞き逃し)なく。
鳴り響くおなじみのファンファーレは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーによるクイーンヴァージョンです!
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